魔法学校生活7ヶ月目:揺れる
教授の表情から、陽平は唐突に理解した。
この人は、終わりを見届ける事の出来なかった戦争と母国のその後を気にしているのだ。
正直言って、陽平は積極的に学ぶ方でもなければ、歴史好きというわけでもなかった。表面的で、良く聞く話しか出来ない。それでも、多分、この人が考えているほど酷い未来では無いだろうと思う。
「世界大戦は、1945年に幕を閉じました。連合国側の勝利です。私の母国は原子力爆弾を二都市に落とされました。今でも日本や、当時のドイツを率いた集団は非難の対象で、何かと物語の中に悪役として登場します。
それでも、どの国も、戦争の残した大きな爪痕を乗り越え、今は平和の為に努力しています。まだまだ、貧困や紛争、差別、外交問題など万事上手くいっているとは言えませんが、きっと、教授が心配しているよりは、良い未来に歩みを進めているのではないでしょうか。
そして、教授の母国は、ヨーロッパの国々と協力体制を取り、今や、その中でも経済の支えとして重要な役割を担っていますよ。」
教授は、唇を噛むと、言葉を発する事なく、唯一度、軽く頷いた。
「私は、生前、ゾフィー・マグダ「失礼しまーす!ヨーヘイ来てますかー!」
俄に、空気をぶち壊すエリーののんびりした声が響いた。
勿論、招き入れる前に扉は開かれた。
「……ノックを、したら、返答を待ちましょうね。」
教授はそれだけ言葉を紡ぐと、陽平と顔を見合わせ、二人で噴き出した。
一気に部屋の空気が温かくなったようだった。
「あー……、すみません。」
バツが悪そうなエリーに、陽平は何故自分の居場所が分かったのか問うと、ニヤリと笑って翻訳首輪を指差した。
え、この首輪、翻訳だけでなくGPS的なものが付いてるのだろうか。
え、そしたら、本当にこれは所有の意味の首輪になってしまうではないか。
陽平が憤慨しそうになると、教授が笑って応えた。
「あら、目印など無くとも、あなたなら人探しなど朝飯前でしょう。」
エリーもおどけて笑う。なんだ、からかわれただけらしい。途端に陽平は、真面目にとった自分が恥ずかしくなった。
「前回提案頂いた上水道の件でお招きしたの。ヨーヘイさんにお話してしまったから、必要な事だけ聞いて貰えるかしら。」
「了解です。」
「そうしたら、教授、お時間頂きありがとうございました。今日はこちらで失礼します。」
「ええ。気を付けてお帰りなさい。」
教授室の戸を開け二人を見送る教授に、陽平が声をかける。
「……帰りたいと、思いますか?」
「……私は最早、あちらよりこちらでの時間の方が長くなった身です。昔は結婚を決めていた相手を思って心を痛めましたが、既に手遅れでしたし、今は、今の相手が居ます。……あなたは?」
「……俺は……」
背中にエリーの視線を感じ、考えがまとまらず言い淀む。
「わかりました。ゆっくり考えるといいわ。もし帰りたいと思ったら、またおいで。帰れる方法は見つかっていないけれど、これまでに集めてきた情報が有るから。」
教授に手を振られて法学教室を後にした。
陽平は遂に答えられなかった。
「なるほど、教授もこの世界の人じゃ無かったのね。だからヨーヘイだけ呼ばれたのか。柄にもなく、嫌われたのかと心配しちゃったわ。」
心配してあの大胆さは凄いな、と陽平はくすりと笑う。
「よくあれだけの会話で全部分かりますね。」
「いや、あれだけ聞けば分かるわよ。
何を心配してるのか知らないけれど、陽平は向こうに家族がいて、仕事があって、帰らなくちゃいけないんでしょう。帰れる方法を探そうって決めたところに教授のお話、渡りに船じゃない。
日を改めて教授のところに行きましょうよ。今度は私も知っている事を伝えて、一緒に行くわ。」
「もうちょっとだけ、後になってからでも良いですか。」
「……私は構わないけれど。でも、こんなこと言うのは縁起でもないけれど、教授の年齢は考えた方が良いんじゃないかしら。話が聞けなくなってからじゃ遅いと思うのよ。」
自分は何を迷っているのだろうか。
以前、教授が異世界の事を知っていそうだと気付きながら身の上を隠した時も、自分で自分が不思議だった。
自分が無断で抜けた仕事の穴だとか、部屋に残っているのだろう体とか、残してきた家族とか。
責任感やら罪悪感やら募って“帰らなければ”と思っていた筈なのに。
やっぱり、魔法を使える憧れの世界に溺れてしまったのだろうか。
エリーを見遣ると、首を傾げながら笑顔を向ける。
安心するような不安になるような複雑な気持ちで陽平は帰途についた。




