魔法学校生活7カ月目:テミス・ヴァーゲ教授の過去
「ヨーヘイさん。今私と話していた中で、違和感はありませんでしたか?」
「え、違和感、ですか?」
ヴァーゲ教授が微笑みながら眉尻を下げた。
「私は、“近代のものと比べても”と発言しました。」
陽平は目を丸くする。もしかして、もしかしなくても。教授のこれまでの先進的な改革の数々や、深く広い知識の源泉は。
「以前にも伺いましたが。ヨーヘイさんは、どこから来たのでしょうか。」
鈍感な陽平にも分かる。この“どこから”は、元の世界を指している。前回もなんとなくそんな気はしていたが、今回は逃げられない。そう思った。
「ヨーヘイさんの容姿や名前は、この国や周辺地域では大変珍しい。水瓶から水場にホースを利用して水を引く発想も、この国で生活していたら中々出ないでしょう。そして、あなたは突然この国に現れ、それ以前の記憶が無いと。非常に怪しいですね。」
黙りこくる陽平に、教授が静かに話しかける。
「そこまではまあ良しとして。あなた以前、私に対して“映画”とおっしゃたのよ。覚えてらっしゃる?」
陽平は、顎が外れるのではないかというくらいに口を開けた。全く身に覚えがない。そんな失言をしていただろうか。しかも、この人にその単語の質問をされたかすら覚えていない。
「ふふ、うふふ、本当にうっかりさんですね。私はその時、触れないでおきました。踏み込んではいけないかしらと思って。でも……」
「でも?」
「いえ、もうちょっとだけ覚悟する時間が欲しいわ、ごめんなさい。」
「あの、教授は、その、もしかして、地球から来たんですか?」
ブフッ!
教授がここまではっきり噴き出すのを初めて見た陽平は面食らう。
「なんだかそう聞くと、私たち火星に居るみたいね。そうね、私は元々、地球の、ドイツに住んでいた。でも、目が覚めたら、この国のヴァーゲ家に新しく生を受けていたわ。この国はまるで、歴史で習った過去のドイツと、おとぎ話が混ざったような国だった。でも、登場人物は、名前や役割はなんとなく似ていても、時代が違う人達が混在していて、実にちぐはぐな世界観だわ。」
「時々、先生が先の事をご存知の様に話されるのは、歴史上の出来事と照らし合わせていたんですね。」
「そうね。まあ、話した通り地球の歴史の通りでないから、確実に分かっているわけでは無いのだけれど。私には魔力が無い分、この先読みのはったりをばらまいておく事が、新事業やら法改正で大分有利に働いてくれたわ。」
教授は老獪な笑みを浮かべた。
「自分でも、よくやったと思うのよ。自分が知っている不幸な歴史は絶対に変えたかった。疫病対策の時には、周辺諸国とも掛け合って、相手国によっては、この国で一部下水道や浄水の整備も負担した。この国だけで防げるものではないと国の上層部も説得したりして。おかげで、外交で上位に立てるなど副次的メリットも出てきました。」
陽平は、この人は一人でどれだけ戦ってきたのだろうか、と、75歳という教授の年齢から途方もない孤独を想像した。
「……今日、ヨーヘイさんお一人にお声かけしたのには、こうしたお話がしたかったという理由があったのです。……ヨーヘイさんは、地球の、どの辺りにいらしたの?」
「日本です。」
「日本……そう……」
「……教授は、その、おいくつの時にこちらに?」
「あれは、そう、21歳の時だったわ。私は、兄たちとともに断頭台に立った。
……私は、国と言うものが、法と言うものが、国民と言うものが、……世界と言うものが、ただ平和の為に在って欲しいと思った。皆、自分で考えて、大多数の意見に対しても疑問を持って。個々を、種族を、尊重して。
そう言う思いが残ってしまったから、記憶を持ったまま、違う世界に生まれ落ちたのかしら……
……ああ、まだ、ごめんなさい、聞くのが少し怖いのだけれど。
あなたは、何年の地球からいらしたの?おいくつだった?」
「私は、2018年の地球から来ました。30歳でした。」
「2018年……ちょうど75年経っているのね……」
陽平は、教授が零した言葉から計算する。ヴァーゲ教授は、1943年、第二次世界大戦真っ只中のドイツから来たのだ。転生前もきっと、大変な苦労をしたのだろう。21歳、早すぎる死だ。
呟いた後は、教授は何か言いたそうにしながらも、瞳を揺らした後口をつぐんでしまったのだった。
「……あの、私は、恥ずかしい話、教授の様な立派な人生は歩んで居ませんでした。日々をなんとなく過ごして、特に大きな心残りもなく、死んだ記憶すら無いんです。だから、本当に、自分が何故ここに居るのかは分からないんです。」
30歳になっても童貞のままだったからこの世界に来たのかも、なんて、この教授の前では口が裂けても言えない。陽平は、教授が地球に戻るための手がかりを探しているのだろうと考え、あんまりにもあんまりな事実は伏せてそう告げた。
と、予想外に、教授は顔を綻ばせたのだった。
「そう、そうだったの……そう……」
なんの手がかりも無いというのに、教授は実にホッとしたというような表情だった。




