師匠との出会い
「あ、目、覚めた?」
男が目を覚ますと、木張りの天井が見えた。
薪の燃える香りが漂う中体を起こすと、見知らぬ小屋のソファの上だった。
声の方向を向くと、この世のものと思えないほど神々しい美人がこちらに向かってきた。
「……女神?」
ブッフゥ!
女神が下品に噴き出した。
「っちょ!お茶が零れるじゃない!」
笑いながら非難した女神の持つマグカップには、見間違いでなければ、既に盛大に飛び出した液体が巻き戻る様に吸い込まれて収まった。
「……零れたじゃない……」
ブッフウ!グフッ
男の呟きにまた噴き出した女神が、今度は何も言う前にマグカップをテーブルに置いた。
「……ッフ、……目が覚めて良かった。なんであんなとこ居たの。」
困ったような微笑で問われて、男も困り顔になる。
「あの、気付いたら森の中で寝てて。嫌な予感がして木に登ったら狼が見えて。死ぬかと思ったら白い光が見えて。」
男は、眉を寄せながら目を伏せた女神に問う。
「あの、ここは天国ですか。」
狼に切り裂かれたはずの足に痛みが無い。疲労感もない。そして、この女神の存在。
腰より長い金髪は光を放つ様に艶めき、ウェーブを描いて軽やかに揺れる。
碧眼は宝石の様に澄んで、肌は抜ける様に白く瑞々しい。
長い睫毛、大きな瞳、薄く桃色に色づく唇、どこを採ってもいつか美術館で見た絵画か彫刻の様に完成された美しさで、極めつけにギリシャ彫刻の様な白い貫頭衣。
明らかに日本ではない。
にも拘らず、問題なく日本語が通じている。
と、苦い顔をしていた女神がまた噴き出した。笑い上戸か。
「グッ、ッフ、フフ、女神って本気だったのね。ありがと。まー、残念ながらそんな素敵な所ではないわね。
ここは“黒の森”の中の私のお家。城下町から歩いて30分、野生動物も魔物も居るから、あんまり人は来ないわね。私はエルフリーデ。エリーでいいわよ。あなたは?」
「ヨウヘイです。太陽と平和で陽平。」
「ヨーヘイ?へn……聞いたことのない名前ね。でも良い名前だわ。」
もうほぼ変って言ったよね。とツッコミたくなりつつ、陽平はやはりここが日本でない事を理解した。
「どこから来たのかは覚えている?」
「日本から来ました。」
「二ホン。聞いたこともない。攫われたのかと思ったけど、名前も聞かない遠方からここまで連れてくる意味って何かしら。愛玩って感じでもないし。」
少し低く心地のいい柔らかい声で上品に、しかしエリーは無神経な言葉を発し、すぐに『やってしまった!』という苦い顔をした。
「人が寄り付かない森の中って言いましたよね。なぜそんな所に住んでるんですか?それに、俺今日本語で喋ってます。俺たちなんで会話出来てるんですか?あと、俺を助けてくれたのってあなたですよね。どうやって狼を追い払ったんですか?そういえば、足の傷は」
話を逸らそうと質問を始めると、陽平の口からは次から次に疑問が溢れてきた。
「はいはい、そこまで。」
これ以上は覚えられない、と苦笑しつつエリーは答え始めた。
「まず、ここに住んでる理由ね。私さ、魔女なの。」
魔女、と口にし慣れない言葉を反復する。
「そ、魔女。小さい頃から魔法がすっごく得意でね。魔法のことなら、教えられなくても自然に何でも分かった。何でも出来た。でも、それって“普通”の人間からしたら気持ち悪いみたいね。」
何でもない事の様に、他人事の様に話すエリーが余計に哀れに見えて、自然、陽平は眉尻を下げる。
エリーはとうとうと言葉を続けていく。
7歳までは両親に可愛がられ、期待されながら何不自由無く暮らしていたこと、魔法の素質が現れた子どもらが国中から集められた魔法学校に通い出すと、いよいよ周囲との差が明らかになったこと、調子に乗ってどんどん魔法の規模が拡大し、終には演習場を損壊しクラスメイト達も傷つけてしまったこと、その際教師が防御壁を張らなければ人死にもあったろうこと。
「ねぇ、厄介でしょ。そこまでやってやっと、自分が異常だって気付いたのよね。段々と学校で腫れもの扱いされるようになって、両親に当たって、それでも説教しながら愛情を向けてくる両親に自分がどんどん惨めに思えてさ。
しかも、城内にあるらしい矯正施設に入れるべきだって街のお偉方の直談判を聞いちゃったらさ。それでも号泣しながら“勘弁してくれ”ってお偉方に縋りつく親の姿を見たらさ。出ていくしかないでしょう。」
両親が好きだった、と言う。迷惑をかけられなかった、と。10歳だった、と言う。10歳の少女が、こんな危険な森に一人踏み入った心境を思うと、胸が締め付けられる思いがした。日本なら、まだ小学生だ。日本でなくても、まだ社会に守られて然るべき年齢でないのか。
「まー、甘ったれだからさ、そんなに遠くに行く勇気も無くて、城下町徒歩三十分。あはは。まあ、人が入れるとこじゃないから、いいかなって。で、住めば都ってやつよね。家を作って、自活してたら思ったより性に合っててさあ!楽しいったらないのよね!」
なんだ、同情して損したぞ。
あれ、というか。
「え、十歳でこれを作ったってこと?」
この、がっちりと安定感のある、丸太で組まれた小屋。
小屋とは言えど、ゆったりとした4人掛けのテーブルとソファのあるリビングダイニングに、対面式のキッチンがあり、脇には2つ扉があることから、さらに2部屋あると思われる。
マットが敷かれた扉は外に続くものだろうか、そちらも2つあることから、片方は玄関として、片方は中庭なのか別館に続くのか。
一言で言えば、立派な一軒家だ。
「そうだけど?」
だからどうした、というキョトンとした顔で返されて呆気にとられる。本当に、根っから“普通”じゃないらしい。陽平は、日本でいうチートってやつじゃないのかこれ、と思って。
はたと気づく。
魔女、魔法、大き過ぎる狼、目が覚めたら見知らぬ地、日本じゃないのに通じる言葉、チート……
これは俗に言う『転生物』では?
ぶわ、と胸中に熱いものがこみ上げてくるのを感じる。
ずっと、何者かになりたいと思っていた。ずっと、もっと違う道があったのではないかと思っていた。心のどこかで、自分はこんなものではないと思っていた。出来る妹が羨ましかった。もてたかった。金持ちになりたかった。有名になりたかった。
もしかしたら。
もしかしたら。
ここでなら、成れるのかもしれない。
物語の主人公だ!
「次は、会話出来てる理由だっけ。ヨーヘイの言葉が分かんないから魔法で通訳してみた。」