それぞれ
「そうですか・・・。桐もまたこの国の被害者でしたか・・・。」
「はい・・・。」
美珠は母の前に座り、手当てされた腕を撫でていた。その撫でる手のひらには桐の炎を握ったときの火傷の跡があった。
けれど美珠はそれを消したくはなかった。
桐の思いを忘れたくはなかったから。
「この国は大きく豊かです。・・・けれどその大きさに払ってきた代償もあります。今回はその代償でも償いきれなかったものなのでしょうね・・・。」
「百五十年も彼女はあんな思いを・・・。いっそ忘れられたらどんなに幸せだったでしょう。」
美珠は桐を思い浮かべた。
「ええ・・・そうね。」
「これからも・・・この国はこんなことを繰り返していくのでしょうか。・・・きっとそうなのでしょうね。そうしたくないと思ってはいても・・・。」
「ええ・・・そうでしょうね。平和な国を作るためにも力は必要です。なければ大陸のどこかの国に飲み込まれてしまうから・・・。そうなれば、悲しむのは国民です。」
「でも・・・私はその痛みが分かる人間になりたい。そうすれば・・・いらぬ争いは避けられるはず・・・。」
「ええ・・・。そうです。」
教皇は隣の車椅子を押し始める。
「あなたが生きてくださってよかった・・・。悲しみにくれずともよいのですから。」
そうささやいた相手はこの国の国王。
「たとえ・・・どれだけ女垂らしであろうと。そこにいてくださるだけでよいのです。これからは共に白亜の宮で過ごしましょう。」
国王は愛妻と愛娘を見つめ、口元を緩めた。
「さて、怪我人を見舞うといたしましょう?」
教皇が二人に声をかけると扉を開けたのは聖斗だった。
「ありがとう。あなたもご苦労でした。ゆっくりお休みなさい。」
「はい。」
聖斗は顔を崩すことなく、頭を下げ自分の敬愛する主を送り出そうとした。すると軽く国王は手を動かし、扉の取っ手に手をかけていた聖斗の手の甲を数度叩いた。
聖斗は目を閉じ、まるで涙をこらえるかのように唇をかみ締めると、過ぎ去る車椅子に敬服し礼をした。
*
「爺というのはないんじゃないか?まだ私は二十八だぞ。」
「あの時は非常時だったんだ。慌ててたし、ついつい本音が。」
「本音だと?」
魔央と魔希は言い合いながら廊下を歩いていた。
「だってさあ、正味、俺と十二個違うんだ。今はいいけど、やだなあ、俺が六十五の爺さんで、七十七のお前の介護をしないといけないのか。」
「・・・そうか。考えたことなかったな。」
「将来設計が甘いなあ。ほんと。」
魔希はそれでも幸せそうに笑っていた。
「でも・・・ほんとその年になっても一緒にこうやって歩いてられたらいいかなあ。手とか人前でつなげないし、子供とかできないけどさ。それでも・・・歩けるだけでいいから・・・。」
そんな魔希の手を魔央は握った。
「な、何?」
「あの、戦場でのお前は輝いて見えた。いつもは守ってやるだけの相手だったのに。頼りなくてすぐ泣いてたお前はもういないと思うと少し寂しかったな。」
「何だよ!それ!俺はいつでもしっかり者だ!もうすぐ騎士団長にだってなるんだからな!すぐ抜いてやるから、首洗って待ってろ。」
*
「ほら、お兄様口を開けて。」
「いたた・・・。口の端も切ってるんだ。そんなにたくさん入らないよ。」
それでも差し出される匙を恥ずかしそうに咥えた瞬間、扉が開いて両親が姿を現した。
光東は思いもよらぬ来客にのどを詰まらせた。
「東清、怪我の具合はどうだ?」
育ての父に本当の名を呼ばれ、光東は咳をして呼吸を整えてから笑顔を作った。
「大丈夫です。」
「でも・・・ひどい怪我だって聞いたわよ。・・・もう引退して、家を継いだらどうなの?」
「いえ・・・。それは。騎士は自分の夢でしたから。あと・・・。」
チラリと初音を見る。初音は匙を机に置いて兄をただ見ていた。
「・・・育てていただいたお二人には・・・申し訳ないのですが・・・、初音を妻にいただきたいのです。」
二人はその言葉を聞いて顔を見合わせた。そして父は息子を見た。
「お前が家を継ぐのなら、結婚は認める。はなからそのつもりだったからな・・・。ただお前が騎士であるというのなら認められん。」
「お父様!」
初音が父親に噛み付こうと前に出ようとすると、光東が初音の手を握った。
「騎士は自分の天職だと思っています。いい仲間もおります。だから、騎士を辞めるつもりもありません、そして初音をあきらめるつもりもありません。」
「あなた・・・。」
「今日は見舞いに来ただけだ。・・・この話はお前がまた歩けるようになってからだ。」
「お父様!」
父がさっさと出て行った後ろで母はおろおろとでて行った。
「ああ・・・言っちゃったな。とうとう。」
「お兄様・・・。」
初音は涙をこぼしながら抱きついた。
「痛い・・・。初音。」
「私、跡継ぎになるわ。しっかり勉強して・・・跡継ぎになればお兄様は自分の道を生きていけるものね。」
「初音。」
「私、今回のことまで、お兄様のことしか考えてなかったけど・・・
私に何ができるのか、どうすればこの国・・・、お兄様や美珠様のためになるのかを考えてみる。」
光東は初音の気持ちに感謝しつつ、頭を撫でた。
「私も頑張る。頑張りやのお兄様に負けないように!」
*
この日暗守は初めて甲冑を脱ぎ捨て両親の墓参りに出かけた。
初めて鎧もなく街を歩いた。好奇の目にさらされたが、それは自分が今まで想像してきた視線よりも軽いものだった。
そしてその姿のまま、花売りの娘から花を買って、二人に供えた。
「昔は・・・悪いことをしたと思っています。折角・・・命を駆けて守ってくださったのに・・・。お二人にひどい言葉をかけ罵った。」
生まれてこの方、両親と会話するようにこの墓に語り続けてきた。
けれども石の墓から返事が返ってくるわけではない。
暗守はただじっ二つの墓石をみていた。
「・・・暗黒騎士の甲冑は重い。・・・そして自分でその重さに自分への嫌悪感、劣等感までかぶせていました・・・。とても重く息苦しいものでした。でも、もうそれも消えうせた。・・・よき主にも、よき友にも恵まれました。だから、お二人とも安らかに・・・。」
暗守は墓の前で目を閉じた。