それぞれの盾
突然荒々しく木の扉が開いた。
部屋の中で頬づえをつき娘のことを思案していた教皇は驚きを隠せず、相手を見ていた。
「何?」
そう問いかけた顔は教皇ではなく、聖斗にだけ見せていたただの女としての顔だった。
少し甘えるようでいて、そして頼って欲しげな顔。
聖斗にはそれが分かっていた。
その顔を見てしまうと主従関係しか残さないと決めた自分の心が激しく揺さぶられた。
「どうしたの?聖斗・・・。何か?」
「何もきかないでついてきてください。」
聖斗は強く教皇の腕を引いた。けれど教皇はその手を振り解いた。
「教えてくれないと行きませんよ。今は非常事態なのです!何処に行くのです聖斗。言いなさい。」
「それは・・・女としてのお願いですか。それとも教皇としての命令ですか?」
聖斗にとってそれは賭けだった。
もしここで彼女がただの年上の女になってくれるのであれば、美珠や国王のことは切り捨てて、彼女のことだけを考える男になれるかもしれなかった。
けれど答えなどはじめから分かっていた。
「教皇としての命令です!言いなさい!言わぬのならば、人を呼びますよ。」
その答えを聞いてどこか安心できた。
そんな人だから自分は愛して全てを捧げようとと思ったのだから。
「国王様の命令でここから退去します。」
「あの人の?攻撃でもされているのですか?」
「兎に角こちらへ。」
教皇は自分を連れてゆく元恋人の背中をただ見ていた。
夫が与えてくれないものを与えてくれるように、自分が十年以上にわたって片時も離さず育てた男。
けれどもう触れてはいけない男。
それが自分のためでもあり、家族のためでもあり、彼の未来のためでもあるのだから。
門の後ろでは静かに人が集まっていた。
皆、教会騎士団長に伴われ現れた教皇に道を譲り、沈痛な表情で頭を下げた。
聖斗は部下から竜の手綱を渡されると、不安げな教皇を慣れた手つきで竜にのせた。
「何が起こるのですか・・・。国王はどこに?」
誰も教えてはくれなかった。
その沈黙が教皇にとっては不安でしかなかった。
答えが欲しくて、自分の後ろに乗った聖斗にもう一度問いかけようとした。
その刹那、怒号が聞こえた。
「行くぞ!」
光東の声が聞こえて竜たちが一斉に鳴いた。
重い門がゆっくり開くと、全ての竜がそちらへ向かって駆け出した。
教皇は訳の分からぬまま、気が付いたときには城から飛び出ていた。
慌てて城へと振り返る。すると先ほどまでいた小さな城ではまるで花火のように赤や青の魔法弾が飛び交っていた。
それは全て飛竜に対しての攻撃だということは暫くたって理解できたことだった。
教皇は周りを見渡した。
かなりの数の人間が今、闇に紛れて逃げているのに、今戦っている者達、一体あの者達は誰だろう。
「残ったもの達は?あれは・・・。」
「全て家族のいない者です・・・。国王がそのもの達に残るかどうかを訊かれ、全員が残りました。国王と共に・・・。」
教皇は最後の言葉を聞いて理性ではどうしようもない涙が浮かんだ。
先ほどの国王の姿がはっきり目に浮かんだ。
(彼はいつもと違った。それが分かっていたのにどうして意地悪を言ってしまったのだろう。どうして素直になれなかったのだろう。)
「戻ります!聖斗!私は戻ります!早く、戻して!」
「それはなりません!今戻ればあなたまで我々は失うことになる。そして・・・全て美珠様に押しつけられる気ですか!」
娘の名前を聞いて教皇は我に返った。
それは女ではなく、妻として母として。そして国王としての自分だった。
(私が死ねば次に襲われるのは美珠・・・。私達の子が、命の危険にさらされる。それだけは止めないと。次にあの子の盾になれるのは自分しかいないのだから・・・。)
教皇は唇を噛み、聖斗の腕をきつく握った。
「ありがとう、聖斗。私は次の美珠の盾になります。」
「ご心配なさいますな。あなたの盾に私はなります。」
「・・・ありがとう。・・・ありがとう聖斗・・・。」
教皇は初めて夫への想いを胸に抱きながら聖斗にしがみついた。