死者
美珠はヨロヨロと馬車に乗った。心配そうに光東が護衛をする。
「美珠様?」
問いかけても返事はない。ただうつろな表情で窓の外を眺めているだけだった。
けれど美珠の頭の中はどす黒い大きな渦が巻いていた。その渦に喜びや、希望などすべての光が飲み込まれてゆくようだった。
(珠以と珠利が死んでいる・・・。夢でしか現れないない二人。夢の中のように、私はどこかで本当に・・・同じ空気を吸って、同じものを見てきたんでしょうか。)
そばにいてくれるなら、夢の中のように自分も奔放でいられたかもしれない。夢の中のように地平線の見える場所で、皆とそろいのシャツを着て駆け回って・・・そして夢を語れたのかもしれない。
(じゃあ、私の中にあるばあやや静祢達と館の中で過ごした記憶は何・・・?。)
「珠以・・・。あなたは本当に私のそばにいてくれたの?」
いつも穏やかな顔をして自分を見てくれた、高い志を持った少年。
「あの顔を・・・私はそばで見ていたの?」
失くした。そう思うと無念で残念で悔しくなった。
けれども美珠の頭の中で渦巻く黒いどろどろとしたものののなかから、それでも何かが顔をのぞかせた。
瞼の奥から輝く噴水がよみがえってきた。
「あの人・・・。」
珠以しか知らない言葉を知っている男の人。
(あの人に直接聞くしかないようです・・・。)
美珠は家に急いで戻ると庭を駆け回り孝を探した。
よく考えてみれば、一体どこにいるのか、正式にこの宮に入れるのか分からなかった。
美珠は小さな声で孝の名を何度も呼んだ。
するといつの間にか孝は美珠の後ろに立っていた。
美珠は驚いたりはしなかった。むしろ顔を見ることができてほっとした。そしてゆっくりと近づいてゆく。
「教えて欲しいの・・・。あなたは本当は誰なのか・・・。」
孝はすでに美珠の質問の意図が分かっているようであった。美珠の待っていた答えは思いのほか直ぐ返ってきた。
「私は『死者』です。私の存在自体消されてしまった。まだ生があるにも関わらず・・・。」
「どういうこと?」
「大きな流れに飲み込まれたのですよ。時代という流れにね。」
「じゃあ・・・。」
瞳に涙が溜まった。前に立つ男の顔がぼやけて見えなくなってゆく。
(じゃあ、じゃあ、ずっと珠以は生きていたの・・・。ずっと私を守るという約束を果たすために、生きてくれてた。)
「生きていてくれて良かった。」
本心だった。その言葉をきいて孝は優しく微笑んだ。
「美珠様。」
孝の声に美珠が目を上げると、孝の唇が自分の唇と重なった。
二人の周りの空気が止まったようだった。
けれど心臓だけは破裂してしまうのではないかと思うほど激しく動き、その音が相手に伝わるのではないかと美珠は心配した。
唇が離れると相手は美珠の顔から目をそらしつぶやいた。
「愛しています。」
「・・・。」
何を言っていいの判らなかった。結局出た言葉は自分が思ってもいない言葉だった。
「・・・だめです。だって・・・私は婚約者が・・・。」
「美珠様は私以外の男を選ばれるのですか?私は一番になりました。」
(そうだ、私は珠以がいれば結婚するって何度も誓ってきた・・・。願ってきた。)
美珠の手と足はかすかに震えていた。
(珠以と結婚したい。)
けれど、まだ理性が打ち勝った。
「今日は一人にして。少し・・・考えさせて・・・。」
「分かりました・・・。ではまた。」
孝は美珠の動揺を知り、様子を伺っていたがやがて背を向け、去っていった。
美珠は振り返ることなく自分の唇をそっと押さえる。
孝の唇は優しく美珠の唇に触れていった。
孝と唇を合わせたときには浮かばなかったのに何故か今、国明の顔がずっと浮かんでいた。命令で結婚するはずの国明が鮮明に。
「どうしよう・・・。」
国明のことを思い浮かべていると、美珠の目からとめどなく涙がこぼれた。
そして誰にも見られぬように部屋へと走ると、寝台に突っ伏した。




