序章 第一章
序章 衷心
キラキラと夕日が反射し絶えることなく流れ続ける黄金色の水面は、黄金とダイヤモンドをちりばめたかのように神々しいまでの光を放ち輝いていた。
その神の御技ともいうべき美しさの水面をうっとり、陶酔するように見つめている少女の後ろでは少女より幾分年上の少年は何かを器用な指先で一生懸命磨いていた。
「出来た」
少年は嬉しそうに目を輝かせ立ち上がると、訓練着の白いズボンに付いた土を払いながら少女の前に足音を忍ばせ立った。視界が遮られた少女は、ふと視線をあげた。
「どうしたの? 珠以」
珠以と呼ばれた少年は少女の前で屈託無くニコニコと微笑み続け、少女の前に自ら跪く。
「美珠様、この命尽き果てるまで俺は美珠様をお守りします」
「珠以、有り難う」
少女の微笑みは水面の美しさにも負けない程美しいもので、何よりもその少女の純粋さ純情さを溢れんばかりに出していた。珠以はその笑顔が大好きで、宝物だった。
「私ね、誰よりも珠以が好き。お父様よりも、お母様よりも。だっていつでも一緒にいてくれるもの」
「俺も……あなたが好きです」
そう言うと珠以は少しはにかみ照れながら、手に握っていた物を出す。それは紅水晶で彫られた小さな花の形をした首飾りだった。少しいびつで途中から何の花か分からなくなってしまったが、二人にとってそんなことは関係なかった。美珠は嬉しそうにその花を見ていた。
「美珠様、俺がこの国で一番の剣士になったら、結婚して下さいますか?」
「ええ、約束するわ! あなたがこの国で一番になったら、私、お嫁さんになるから。そうすれば、いつまでも一緒にいられるものね。ずっと、ずっと。……すごく嬉しい」
「美珠様。」
緊張がほぐれた珠以は嬉しさを噛み締めそっと美珠の後ろに回りこむと首飾りを着けた。
「誓いのしるしです。」
「私も何かあげたい! ね? 何が欲しい? うんと、じゃ、私の宝物! これもってて!」
「美珠様、これはいけません! 俺は美珠様のそばにいられるだけで満足なんです! 笑っててもらえるだけでいいんです。それにこれは母君様が自分の代わりにと置いていって下さったものではありませんか! 寝るときも片時もはなされないのに」
「それだけ私の中で珠以は大切なの。それに珠以からもらったものを今日から着けます」
子供の手のひらに収まるくらいの女性の人形を珠以は小さな美珠の手から受け取った。ほとんど会うことのない母親が二年ほど前に美珠に作っていった母親に似せた人形。もうほつれも目立ったが美珠にとってそれが宝物だった。珠以はそれを知っていた。いかに美珠に大切に思われているか分かった珠以は黙り込んでしまった。
「だから、私をおいてどこにも行かないでね。ずっとそばにいてね」
「ええ。ずっと貴方のそばに……。この命尽き果てるまで。約束です」
まだ年端も行かぬ美珠の言葉で有頂天になった珠以が右手の小指を出す。美珠も笑顔で右手の小指を出した。
「ええ、約束よ。」
二人は小指をつないでお互いの未来を誓い合った。
第一章 天命
大陸の中で並ぶもののない大国、紗伊那国。
その国には二人の統治者がいた。
強大な国を作り上げるため二百五十年間軍部を率いてきた国王。
そして戦いが続き疲弊した民の心を導いた教皇。
二人の統治者はそれぞれに『騎士』を持っていた。騎士は大陸最強の兵士と謳われ、特殊な鋼の鎧を着、自分の背丈の二倍はある二足歩行の深緑色の竜を足として使っていた。
彼らは自分の信条に従い国王側と教会側に分かれ己が敬愛する人を守り続けた。国王を守るための国王騎士団、光騎士団、竜騎士団、教皇を守るための教会騎士団、暗黒騎士団、魔法騎士団がそれである。
だが、強国となり何十も国のある大陸で確固たる地位を築き上げた超大国に平和が訪れることはなく、時がたつにつれ国王か教皇かどちらを国の象徴とするのかで争いが起こりはじめた。国が二つに割れ、統治者間の争いにさらに拍車をかけるように騎士も日々対立し、貴族、騎士だけではなく民間人まで死者を出すようになった。
世論が反騎士制度に向いたことからその時の国王と教皇は事態の収束を図り、渋々ながらお互いの跡継ぎを結婚させた。
それから一年、二人の間に跡継ぎが生まれた。国民から国統一の願いを一身に受けたその女児は父により美珠と名づけられ、立場の違う両親が過ごすために建てられた王宮、「白亜の宮」で女官ばかりに囲まれて慎ましく暮らしていた。
「あ、あの……お呼びでしょうか?」
父譲りの大きな二重の黒い目が始終不安そうに左右に動き、部屋の中の様子を探っていた。部屋の中央には大きな机に向かい合って座る父の国王と、母の教皇、そして後ろに見知ったお互いの侍女が二名、そして今日はそれを囲むように等間隔に六人の男が円になって座っていた。中にいるもの全員の目が少女に向けられていた。
「おお、おお美珠遅かったな。待っておったぞ」
にんまり笑う父はやや大げさに両手を開いて、男のいる部屋に入ることを渋っている自慢の美しい娘の手をひき、無理やり二人の間に座らせた。
美珠は隣の母の顔を見て嬉しそうに頬を桃色に染めた。
「ここにいるのは、我が紗伊那国が誇る六騎士の団長達だ。お前は宮にこもっていたから実際会うのは初めてだろう」
美珠は周りを囲む男たちに遠慮がちに視線を向けた。そう聞いてみれば、彼らはみな鎧をつけてはいるがそれぞれの装束の形が違った。
「紗伊那の騎士といえば、他国にまで知れ渡った精鋭達だ。なろうといってなれるものではない、知ってるだろう?彼らがどれほど過酷な試験を突破してきたか。その試験というのがまた、っは! いかんいかん、話がそれた。そこでだ」
父は普段とは違うまじめなまじめな顔をしていた。
その顔に美珠は一抹の不安を感じた。この顔をするときはいつも誰かに無理難題を押し付けるときだった。
「お前ももう十六。お前の母親も結婚したのは十六の時だ。今日呼んだのは他でもない!お前に結婚の話をしようと思ってな」
「結婚、ですか」
初めて言葉を発し目を伏せた。重い何かが体の上に突然乗ってきたような眩暈がした。
「お前も私と教皇が国の為に結婚したことは知っているな」
「はい。分かっております。私も国の為に結婚する覚悟はとうに出来ております」
本意ではない。誰もがわかっていた。
結婚を聞いたとたん握り締めたこぶしがずっと震えていた。
教皇が娘の姿を見兼ねたのか、後ろから優しく肩に手を置いた。
「ごめんなさいね。私達がもっと国をうまくまとめられていたなら」
ほとんど聞き取れないような小さな小さな声であったが美珠にははっきり聞き取ることが出来た。
美珠はかすかに首を振り、父を見た。
「で、私のお相手はどなたなのです?」
どうせ愛のない結婚をすること位知っていた。自分の親を見ていれば十分だった。
けれど、それでも、心のどこかで物語に登場するくらいの運命の出会いをして、恋に落ちる妄想を考えたことがないといえば嘘になる。万が一の可能性をかけて彼女は尋ねていた。すがりつく思いだった。けれど父はあごひげをただ触れていた。
「王族ですか?」
「いや」
「では大臣様?」
「いや」
「どこかの国の方ですか?」
一向に要領を得ない会話を終わらせたのは母親だった。
「騎士団長ですよ」
「は? 騎士団長。」
美珠の目は見開かれたまま止まっていた。
(何? 意味が分かりません。何で騎士? どうして騎士? これは何の為の結婚? で、誰と?)
自分達を囲む男をこっそり見る。
全員が美珠を見ていた。それに気がつき、もう一度顔を伏せた。
「で、どなたなのです?」
「……まだ決まっておらん。」
「え?」
「この国は何年も前から内部対立が絶えん。先人が今のこの国の地位を確立したというのにな。私達が結婚をしたのは国をひとつにし、お互いの意見を取り入れるため。……だが、まあ、あまりうまくはなあ」
ポリポリと頭をかく四十半ばの父親はまだ少年のような表情を見せた。
一方、その言葉を聞いた母親の表情は崩れることもなく、父親に視線を向けることもなかった。
「で、あるからだ。私達の一人娘であるお前に更なる結束が求められるが、悲しいかな。現状お前の相手となるべき両者の意見を聴く者はいない」
「何故、それが騎士なのです?そんなことをすればどちらかに力が偏るに決まって」
「そうも言ってられん。騎士にも変革が求められる時期なのだ。国民の信頼を失いかけた今自分側の騎士だけを考えていればいいのではない。六騎士団をまとめる力が必要になるのだ。お前や国を守るため六騎士をまとめられる力を持つ者が。お前に見つけてもらいたい」
「私や国、六騎士をまとめられるものをですか?」
「そうだ、しばらくともに生活をし、どのものがお前、そしてこの国にふさわしいかを」
(え? 何か、今、生活をともにとか聞こえたような。)
娘の頭の上の疑問符を無視し、更に父は続けた。
「お前が六騎士団長と信頼を深めることが出来れば、国の結束は強くなる。更に国は富むであろう。それにお前もこんないい男たちの中から、自分の好きな男を選べるんだ。こんないい話はないだろう。私が女なら喜ぶがな」
(こんな知らない男の人たちと一緒に暮らすの? そんなの無理に決まってます。お話しするのも怖いです)
美珠の目にはジンワリ涙が浮かんでいた。今まで宮の奥で女ばかりに囲まれて暮らしていたのに、こんな見るからに屈強そうで野蛮そうな男達と寝食を共にするなどと考えただけで気を失ってしまいそうだった。
「これは命令だ。泣いても叫んでも、もう決定事項だからな。彼らも了解済みだ」
(誰か一人くらいいやだって言ってくれてもいいではありませんか)
その言葉が更に美珠を地の底へと突き落とした。母親がそんな娘の涙を指でぬぐったが、更に涙は溢れてきた。
「分かったな。じゃあ、今から」
「もういいわ。美珠、宴の支度をしていらっしゃい」
母親は美球の腕を支えながら立たせそして侍女に美珠を託した。けれど、少女は何度もふらついて、侍女がもう一人支えた。
「今から紹介させようと思っていたのに」
出て行った娘に目を遣りながら、国王は残念そうにつぶやいた。
「今は何を言っても耳には入りませんよ。あんなにふらついて。可哀想に」
「なら、娘に国の安定を押し付けようとする前に自分が私に折れたらどうだ?」
「何故、とっかえひっかえ女を漁るあなたなどに。非はいつも貴方にあるのです。折れるくらいなららばこの命を絶ったほうが幾分がましです」
「本当に口の減らない女だな」
「そんな女に誰がしたんでしょうね。ああ、あなたたち下がっていていいわ」
「はっ!」
慣れた様子で二人の嫌味を聞いていた男達は一斉に立ち上がり、敬礼して去っていった。
「いくらなんでも無茶な話ね。……共同生活なんて。よく考え付いたものね」
「強い男達が常に傍にいたほうがいい。あの子があの記憶を思い出すことはなんとしても避けないと」
「ええ、そうね」
額に手を当て、うなだれる教皇の肩に国王は手を置いた。
「それが親である私たちの使命だ」
「しっかし、可愛いお姫様だなあ。これぞ、深窓の姫君ってな感じで。王様が出し惜しみしてたわけも分かるってもんだなあ」
「ああ、そうだな」
先頭を張り切って歩く一番年若い竜騎士団長が後ろを振り返り頬を高潮させていると、目のあった教会騎士団長は冷静に頷いた。
「幼少の頃より美しいと評判の姫様だったが、あそこまで美しくなっておられるとは思いもしなかった。けれど、今日の姫はさすがに傷ついたお顔をなさっていた。……本当にこれでよかったのだろうか?」
うつむき加減で国王騎士団長はポツリとつぶやいた。すると誰ともなく歩みを止めた。
「しかし、これが国王様と教皇様のお考えといわれてしまえば、誰も逆らえません。いくらおかしな提案だと思っても。我々は従うしかないのですよ」
見るからに人のよさ気な光騎士団長がそういって心配する国王騎士団長に笑いかけるその傍を、黒尽くめの暗黒騎士団長は何を言うこともなく追い抜いていった。
「んだよ、暗えなあ」
「彼は全く自分の感情は出さない、むしろ鎧を脱いだ姿を見たことのあるものもいないそうだ。例え、同じ騎士団にいても」
腕を組んだまま、黒い姿を見送る魔法騎士団長が苦笑いをすると、竜騎士団長は不安そうに呟いた。
「あいつとうまくやっていけんのかな」
「いかないと困るんだよ。俺たち自身、全員と顔を合わすのは式典ぐらいなものだった。だからお互いのことは何も干渉しなかった。けれど、これからは違う。変えていかないといけないんだからな。国王様もおっしゃっていたように今、騎士価値は下がりつつある。最近の民の目は冷たい。皆もそれは実感しているだろう?とにかく団長である我々が何とかして道を切り開かねば」
国王騎士団長はそういうと皆の顔をみて笑った。
「ひどいです。私、何の自信もありません」
いつも自分を囲んでいる女性たちを見た瞬間美珠はそこに座り込んで声を上げて泣いた。周りをいつも世話をする侍女たちがオロオロと囲み、恰幅の良い乳母が横に座って背中を撫でていた。
「ほら、姫様。それ以上泣くと折角の綺麗なお目目が腫れ上がってしまいますよ」
「でも、でも、私……」
「いいじゃありませんか。いきなりいけ好かない男性の妻になれって言われたわけではないのですから。姫様には選べる権利があるんですのよ」
「そうですよ。だって騎士団長様なら何の申し分もありませんよ。侍女たちも色々な派閥に分かれて各団長様を応援してるんですから。それを選べるなんて、私姫様が本当にうらやましいですわ」
「放っておいて、貴方達には私気持ちなんて分かりません。好きな人と結婚できるほうが良いに決まってるわ」
乳母、道代の言葉も中堅の侍女の言葉も遮って美珠は部屋に飛び込み中から鍵をかけた。
「姫様! 姫様!」
「一人にしてください!少しでいいですから」
「でも、お支度を!」
時間を気にする中堅の侍女、静祢を道代は優しく止めた。
「では、私達はしばらく休憩させていただきますので。また。宴の前に参ります」
扉の前で座り込みひとしきり声を上げて泣いた。これだけ声を上げて泣いたのはいつ振りだろう。もう覚えてはいなかった。
(お父様なんて大嫌いです。私のことなんて考えてくれていないんですから。新しい侍女を口説き落とすほうを絶対重視してるんです)
涙を手の甲で拭う。更に涙が溢れた。
(けれど、騎士の対立で騎士だけではなく、民間人からも被害者が大勢でているのも現実で……。国がまとまらないといけないのは分かっていて。でも、でも、一緒に住むのはいやです!)
顔を上げると窓の向こうで鳥が二羽飛んでいた。無意識に窓により更に空高く飛んでゆく鳥を目で追った。
「私もあんなふうに好きな人と飛んでいけたら良いのに」
美珠は夢の中の少年を思い浮かべた。いつからか分からないけれど、夢の中に出てくる少年。その少年はいつも同じ姿のまま。自分に屈託のない笑顔を向けてくれて、夢物語のような甘い言葉をかけてくれるその少年が何度現実に現れてくれないかと願ったか。
けれど、いつも自分にほんの少しの切なさをのこしてその夢は覚めてしまった。
(あの子が迎えに来てくれれば、迷わずついていきます。でも、あの人は夢の中の人。どうにもならないことくらい私にも分かっています。私だってもう十六なんです!夢の話ばかりしてられません!この国の跡継ぎとして立派に役目を果たすことを考えないと)
美珠は深呼吸を一つし、扉の鍵を開けた。
「支度をしてください」
休憩に行くといっていたのに道代と静祢は部屋の前で待っていた。二人はほっとした表情で顔を見合わせた。
「あんな嗚咽久しぶりですねえ」
「ええ、まさか姫様がこんなに大きくなられてからなさるとは思いませんでしたが」
道代は部屋に入ると手際良くお茶をの用意を初め、静祢は新人二人と衣装の支度をしていた。ずっとその間美珠は空を見ていた。もう鳥の姿はなく、ただいくつかの雲が浮いているだけだった。
「さあ、のどか沸いたでしょう?」
振り返ると道代がお茶入れて立っていた。受け取り口をつける。もやもやが吹っ飛ぶほどの熱いお茶で渇いたのどが癒され、ジャスミンの香りで少し心が上を向き始めた。
「おいしい。それに懐かしい」
「でしょう?ばあや、特製のブレンドティです!美珠様が泣いたとき専用のお茶ですからね。さあ、支度いたしましょう?今日は美珠さまが主役の日なんですから!」
美珠は口の端を頑張って持ち上げて笑顔を作ると静祢のほうを向いた。ひっつめ髪にお団子という形を何年も貫いている彼女は真白いドレスを見ていた。
「国王様から誕生日の贈り物でしたわよね。まあ、見事な花の刺繍が入っておりますわ。薔薇ですかね。ねえ」
最後は乳母にかけられた言葉であった。乳母は寄ってきて手に取った。
「まあ、本当。見事ねえ。さあ、姫様」
「判ってます!さあ、煮るなり焼くなり、はじめて頂戴」