【プロローグ】I sink in a game
目が覚めた。黒で塗りつぶされた視界の中で、ゲーム機のモーター音だけが聞こえてくる。
俺は目を開けるのを邪魔している機械を頭から外し、丁寧に自分の頭の横に置く。
目を開けると真っ白で無機質な天井が目に入ってきた。ベッドの中でもう1度目をつぶり朝のスイッチを入れてから、睡魔から逃げるように勢いよく上体を起こす。
「――っふぅ、くはぁ.....」
思い切り腕を天井に向かって伸ばすと肩の骨が大きな音を立てて軋み、口から変な声が漏れた。
――しかし、都心郊外の小さなアパートの1人暮らしサラリーマンが住む部屋では、それを咎める者は居ない。
この男、そろそろ両親が伴侶の存在を心配する年にも関わらず、嫁どころか彼女さえ居ない。
こじらせオタクの悲しい事実である。
冷たい水で顔を洗う、最近は夜も暑くなってきたから冷水がとても気持ちいい。
タオルで顔を拭いて鏡を見る。
「――後で髭そるか」
顎を触りながらわざわざ声に出して言った。
その言葉に対する返答は無いというのに。
欠伸をしながらキッチンへ向かい、スーパーの袋から昨日買った新しい6枚切りの食パンの袋を取り出して、それを素手で力づくで開け、その中から2枚取り出し、パンが飛び出てくるタイプの懐かしさを感じるトースターに差し込んで、小さい取っ手を1番下までおろす。
実家から持ってきた物だから若干動きが悪い。
ガラスのコップにミルクではなくただの水道水を注ぐ。
その水を飲まないままキッチンを抜けて、テレビの前を横切って窓まで歩いて行き、カーテンを開けるとそこには――ただのコンクリートブロックで造られた壁。
トーストとベーコンエッグを焼いてくれる嫁も彼女も居ないし、朝イチの採れたてミルクは玄関先に置かれるはずも無ければ備蓄もない。ましてカーテンを開けると見えるのは美しい朝日に照らされる高層ビル群。
そんな生活は彼とは程遠い、ロマンもヘチマも無い。
「こんな事ならいっそのこと、ゲームの世界に閉じ込められた方が大分マシかな.....」
と、軽く苦笑いを浮かべながら腰に手を当てて一気に水道水を流し込む。冷たい感触が喉を通り胃まで落ちていくのを感じた。
俺はテレビをつけてから、空になったコップを置きに、シンクまで歩く。
テレビで女性アナウンサーが既に終わっている東京オリンピックの話をしていた。
「――さて、ここで日本の高度経済成長について1つずつ振り返ってみましょう」
俺はキッチンの下の方の収納スペースからフライパンを取り出し、今は懐かしガスコンロに置いて油をひいてから火をつける。
「――こうして、東京オリンピックは大成功。日本の景気はうなぎのぼりとなり、ドローンやAIなどの未来技術が次々(つぎつぎ)と現実の物となり始めました」
トースターが高らかにパンが焼けた事を知らせて、パンが飛び出んばかりに登場した。
俺は卵1つと昨日の朝ごはんの残りのソーセージを取り出し、火をつけっぱなしのフライパンの元に行く。
「最近ではリニアモーターカーの実現、果てはホログラム.....でしたっけ?そのような物の開発も進んでいるとか」
「もはや、映画の中でしか再現できなかった物が現実になっていきますねー」
テレビの中で若い女性アナウンサーと決して若いとは言い難い男性アナウンサーが言葉を交わす。
どれだけの年月が経とうともこのスタンスは変わらないらしい。
パン祭りの景品で入手できそうな皿に目玉焼きとソーセージを乗せて、覆いかぶせる様にトーストを乗せる。
俺はそれを持ってテレビの前のテーブルに置いて、2,3人用のソファーに1人でどかっと座り、食パンに食らいつく。――サクサクでとても美味い。
食パンは何もつけず、何もかけず、ありのままのソイツを食べる。焼き加減は五分、これ以外は俺はトーストとは認めない。
――こういう変なプライドがいつまで経っても彼女ができない理由だと気づくのはいつになるのだろうか。
「そして!何といっても今の最先端の技術といえば!やはり一昨年に開発された電脳制御式家庭用ゲーム機の『ミライ』です!」
テレビ画面にヘッドギアの様な機械の写真と『MIRAI』という文字列が写し出される。
――見なれた機械だ。
「昨今の技術革命、その一翼を担う日本を代表する大企業『ジェネシス』つい最近まではAIの開発に熱を入れてましたが、そんな中開発された未来感溢れる機械、それがミライです!」
はいはーい、持ってまーす。ゲームの機体だけで10万円弱の給料を取られましたー。
「いやー.....大分熱がこもってますね」
男性アナウンサーが苦笑いを浮かべる。
「アハハ.....すいません、つい.....いやでも、本当に面白いんですよ」
「の様ですね。いやーすいません、私はこういう物にはめっぽう弱くて.....解説、お願い致します」
「はい。では僭越ながら解説させていただきます。電脳制御、というのは我々の人間の出す脳波をスキャンしてそれを機械を通してバーチャルリアリティーの世界に反映する、というものですね。一部ではフルダイブシステム、なんて言われてますね」
「フルダイブシステム.....ですか.....」
「簡単にまとめると、そうですね.....自分自身がゲームの世界に入り込むって感じですかね」
「なるほど、つまり自分自身がゲームやアニメの主人公になれる、という訳ですかね?」
「認識としてはそれで合ってますね」
俺はテレビのリモコンを使って電源を消して、会社に向かうためにスーツに着替える。
全く、最近暑くなってきたってのに何でスーツ着なきゃならないのかねぇ.....まぁ、営業周りだから仕方が無いんだけどさ.....
クール素材使用とか書いてあったはずのスーツで身なりだけは整っている事を鏡で確認、そしてリビングに置いてある鞄を持つ。
「行ってきます」
誰も居ない部屋に別れを告げて、外に出た。
電脳制御式家庭用ゲーム機、『ミライ』綴りはローマ字で『MIRAI』名前の由来は多分、というより確実に『未来』だろう。
『MIRAI』に搭載されたまさに革新的なシステムそれが電脳制御――どこぞの黒の剣士の物語風に言うならフルダイブシステム。
電脳制御というのは、さっきのアナウンサーも言ってた通り脳波――人間が体中に命令を出すための電気信号をスキャニングしてVRの世界に反映させるシステム。
そんな夢の様な技術のお陰で『MIRAI』と『ジェネシス』の株と売り上げは急上昇。
『MIRAI』の方は他の有名ゲーム機を抑えて一躍トップに。しかも売り上げはまだまだ伸びていて現在も1位を独走中との事。
そして『MIRAI』を代表する超人気ゲーム、そのプレイ人数は世界で15億人とも言われるまさにレジェンド、その名も――
『I am a HERO』
直訳すると『私は英雄』実にシンプルな名前だ。
ゲーム内容は広大なオープンワールドのMMORPG。他に引けを取らないどころか、他のゲームでは信じられない程のジョブの数。そしてそれに伴う無数のスキル。
その他、PvPやダンジョンやクエストや――とにかく作り込みとやり込み要素が多い、中でも魅力的なのはプレイヤー同士のランキングシステムだろう、もちろん順位に伴ったプレゼントもある。
これ以外にもこのゲームは相当のスペックを持っている。
とあるアメリカの資産家は「このゲームは人類史上でも類を見ない売上を叩き出すだろう」と言ったらしい。
学生も、社会人も、果てはニートさえも、『MIRAI』の電源を入れてヘッドギアを付ければ誰でも英雄になれる。
――そう、例えばこうして上司にペコペコ頭を下げてる冴えないリーマンでさえも。
「どういう事だこれは?」
「すいません.....」
「謝って済む問題じゃねぇだろ!」
怒鳴り声がフロア内に響き渡り、そのフロア内に居る全員が一斉に声の方へ向く。
「ほんとうにすいません!」
次いで若い男性の謝罪の弁。一旦手を止め、足を止めていた人達はまたせわしなく動きだした。
今回、俺が怒られているが、本当の原因が俺にある訳では無い。
大事な取引先の書類を、俺はとある1人の後輩に預けた。というのも、その取引先は後輩が初めて勝ち取ったもので、代わりにまとめてやっといた書類を「俺がやった取引先なんで、俺が責任とるっす!」と言ってきたので、俺は俺で快く任せてやったのだが――どうやら不備があったようで、営業周りが終わったらこの始末.....ざけんな。
「なんでアイツは今日休んでる?」
「知らないです」
嘘だ、本当はさっき「彼女とランドなうw最近仕事で忙しかったから構ってやれなくてごめんな?今日はめちゃくちゃ楽しむw」
というツイートを見つけたばかりだ。
「はぁ.....もういい、後始末は俺がやっとくから。お前はアイツに連絡しとけ」
「はい、申し訳ありませんでした」
俺はすごすごと自分のデスクに戻っていく。
「ふざけんなクソッタレ共!」
「災難だったねぇ」
笑いながらで隣のデスクの千夏さんが話しかけてくる。
「ほんとですよ、あいつら2人とも絶対許さねぇ」
「まぁまぁ、そんな事よりほら、悪い事あった日で明日は仕事休みなんだから呑みに行こ?」
「良いですね!行きます!」
「決まりね、ぱぱっと仕事終わらせちゃお」
「うっす!」
花山 千夏 (はなやま ちなつ)。童顔でそれでいて低身長、故に高校生、果ては中学生程度に見えなくもないが、これでも俺の上司で仕事もしっかりできる頼りになる人だ。
しかも、当然のようにルックスにも恵まれており、まぁ......胸もでかい。
ただ、それでも難点はある――彼女、千夏には彼氏が居る。
まぁ、そっちは別に問題は無い。恋愛対象として見る分には苦労するだけだ。
問題はこっちの方――
「おらー、もっと酒持って来ーい!」
――びっくりするほど酒に弱く、酒癖が悪い。
「千夏さん落ち着いて下さい」
俺ももう慣れている、何より酒に酔った彼女は凄く可愛い。
呑みに行く目的の半分はこれ。
「君も大変だよね、あんなクソ共に囲まれて!ほら、お姉さんがこの胸を貸してあげるから、この胸でたんと泣きなさい!この胸で!」
千夏さんがその大きな胸を揺らす。
「あはは......遠慮してきます」
ああああ!泣きてええええ!その巨乳に顔埋めてええええ!
――なんて、言えるはずはないか。
「すいませーん。お会計お願いしまーす」
気持ちが煮えたぎって来る前に、早々に会計を済ませた。
千夏さんに肩を貸して外に出る。
店の目の前にタクシーが止まっていたので、それに千夏さんを乗せる事にした。
人の熱と、甘い香りが俺のそばから去っていく。
酔いつぶれた客が乗って来たことで、タクシーの運転手は心底嫌そうな顔をしていたが、行き先は俺から伝えたし多めにお金を置いといたし、まぁそこまで機嫌はそこねてないだろ。
酒で熱くなった体に涼しい夜風が当たる。
タクシー代は別の誰かに上げてしまったので、そこまで遠くない駅までの道を1人で歩いた。
地下鉄に揺られながら俺は千夏さんにメールを送る。
「そういや明日『HERO』の1周年記念パーティーですけど千夏さんログインしますか?」
すぐに既読がついた。だがしかし返信は来ない。
「俺、明日先にログインして広場で待ってますね」
と、2件目を送信してスマホの電源を落とした。
「ただいまー」
再び、誰も居ない部屋に呼びかけて靴を脱ぐ。
スーツを脱いでリビングに投げ捨て、風呂場に行く。
シャワーだけで済ませて、ジャージに着替えて自室に向かう。
そして『MIRAI』の電源を付けようとして、止める。
今朝もそうだったが、最近はヘッドギアを付けたまま寝るのが習慣の様になりつつある。俺は、ベッドに滑り込みすぐに眠った。
――目を覚ます。木組みの天井が目に入ってきた。
俺は、普段の戦闘しやすい服からタキシード風の服に着替えて、家の扉を開ける。
時間がアメリカ基準のため外は暗い、爽やか風とそれを受ける草原。土でできた道、俺の住んでいる物と似た形のオークの木でできた小さな家が点在している。
さすがはガンナージョブ、この時間帯にログインする事はそんな無いからあまり効果のあるものじゃ無かったけど、やっぱり夜目が効くのは助かる。
そう、ここは現実世界とは違う。ここは『I am a HERO』の世界。中央都から東に位置する小さな村。名前はルスティクス。
メニュー画面で時間を確認する、時間はもう無い。急いで村の入り口に停めてある馬に乗り、駅のあるダンプ村へ。
馬に乗って風を切っていく感覚が恐ろしい程リアルに感じる。まるで、こっちが現実の様に思えてくる。
馬を20分程走らせて、東部最大の街、ダンプ村に到着した。馬宿に銀貨を支払って馬を預け、駅に向かって走る。
すぐに中央都行きの蒸気機関車に乗り、パーティー会場の中央都の大広場に向かう。
広場は既に、かなりの数のプレイヤーで賑わっていて、ランタンで明るく照らされている。プレイヤー達は、腕相撲をして遊んだりダンジョン攻略の話に花を咲かせたりしていた。
噴水の上にはカウントダウンのモニターがでていて、もう既に残り10分を切っている。
フレンド枠から千夏さんを探し、チャットで、
「すんません寝坊しました!もしかしてもう居ます?」
と、送る。
「居るよー、てか見つけたからそっち行くね」
すぐに返信が帰ってきて俺は辺りを見渡す。
急に周りのプレイヤーがざわつき始めた。
すぐに気づいたのはカウントダウンが五分を切っていた事だったが、どうやら違かったらしい。
このゲームは一部を除いて、相互で承認をしないとプレイヤー名が表示されないという設定になっている。そんな設定がある中、天槻千夏というプレイヤーネームが見えてくると同時に、プレイヤーの中から1人のプレイヤーが出てくる。
長身ですらっとした見た目に、端正な顔立ち、控えめな胸と紺を基調としたドレス。
「ごめんねリアスくん、お待たせ」
「いえいえ、こちらこそ待たせてしまってすいません」
「んーん、今ログインしたところだから」
天槻千夏。千夏さんのアバターだが、その見た目は現実世界と異なる――というより全くの正反対だ。
名前も、苗字は昔好きだった歌手の人の名前をもじったものらしいけど、下の名前は読み方が逆になっている。
ちなみにジョブはエンチャンター。天槻の横に赤のお札のマークが表示されている。ここの色はランキングで分けられているらしい。
「あと一分位なんだね――ん?何これ?」
「運営からのプレゼント?」
視界に運営からのプレゼントというログが表示される。俺は、とりあえずオープンを押した。
すると、千夏さんと俺の右手に細身のグラスが現れた。
「おぉ!スパークリングワイン!運営も気が利くわね!」
周りをみると、皆ワインを片手にしている。
「あっ、見て見てリアスくん!」
「残り10秒ですね!」
モニターに表示されてるのはもう既に9秒だけど。
「5秒前!」
と、誰かが叫ぶ。そして、それをきっかけに広場に居る全員がカウントダウンを始める。
「4!」
「3!!」
「2!!!」
「1!!!!」
モニターの数がピッタリゼロになってカウントがゼロになって、花火が上がる。
「かぁんぱぁいっ!!!!」
――これが、俺が普通の生活を送れた最後の記憶になった。
日本基準での2027年7月18日水曜日、午後14時00分
世界最大のVRMMORPG『I am a HERO』は突如として、現実世界から姿を消した。
どうもーうさぎでーす。初めましての方は初めまして、ブクマと評価よろしくお願い致します。
この度、知り合いのユーチューブで実況をされてる方に「俺が主人公の小説かけやゴルァ」って言われたんで書いてみました。
いやーうん、疲れた。
実はこれが初投稿というわけではなく、既に連載中の作品が1つありまして(よければそちらの方もどうぞ)これからは2作品同時投稿という事になりますね。
まぁ、どちらも気楽に、ゆるゆると更新していくのでよろしくお願い致します。
では、Ein gutes neues Leben.うさぎでした!