荒野に咲いたカランコエ(上) 作:北三郎
言いだしっぺの法則で企画担当者の北三郎が第一話目を担当します。
とりあえず軽ーく読めるお茶請け程度の作品です。
現在上下二作を予定しています。
からん……
来客を告げるドアベルの音が響いた。
カウンターの向こう、無愛想なマスターが面倒臭そうに新たな客の方を振り返って、目を丸く見開いた。
続いて、マスターのすぐ近くに座ってファーブルトン地方特産の安ワインとタバコに舌づつみ打っていた男が訝しげに彼の視線を追って――同じく固まる。その横の女もまた同じ、カウンター席に座る者達からやがてボックス席に座る者まで、速やかに驚愕の表情は伝播していった。
先程までの喧騒が嘘のように静まり返り、皆が皆、一斉に扉付近に立ち尽くす者に様々な感情の入り混じった視線を向けていた。
酒とタバコ、汗と血の匂いが熱気に混じってかおる酒場において、その来訪者はそれほどまでに異質な存在だった。
そして、その者の次の一言に、酒場の荒くれ者達は更に驚かざるを得なかった。
「店主、人を雇いたい」
そう静かに告げたのは、まだ年端もいかぬ少女だった。
10歳を僅かに超えたばかりだろうか、まだ幼さの残る顔立ち。しかし、そこには先程のセリフも相まって凛々しささえも感じさせる気品のような者が見て取れた。
纏ったマントは、一見して辺境地帯を旅する者が好んで着用する、高い通気性と簡易的な魔除けを備えた物だが、この場にいる者達はそれがそこら辺で売られているような安物ではないと瞬時に看破していた。
「店主、水を一杯いただこう」
周りの好奇の視線をものともせず、少女はずかずかと店内に入り、マスターの目の前のカウンター席に着く。
「……今、何ていった?」
マスターは渋い顔でそう尋ねずにはいられなかった。
彼はこの仕事を初めてもう30年以上にもなる。その中で色々な人間やそれ以外を見てきたが、この少女は今までにこの酒場を訪れたそれらとは明らかに違う存在だった。衣服といい、まとう空気と良い、この少女はおよそこんなところにいて良い存在ではない。
端的にいうのであれば住む世界が違う。
それが、今、何と言ったのか?
思わず彼は自分の耳を疑わずにはいられなかった。
「?……水を一杯いただきたい」
「いや、そっちじゃなくてだな……人を雇いたいだとか」
少女の発言に多少面食らったように訪ね返すと、彼女はきょとんとして、
「うむ、確かにそう言った。ここに来れば冒険者を雇えると、そう聞いたのだ」
「そりゃまぁ、そうなんだが」
“冒険者”――それは、読んで字のごとくこの世界を旅して周る職業の総称である。狩人から護衛、人探しにトレジャーハンターまで幅広く含み、冒険者と言ってもその仕事は多岐に渡るが、概ね金次第で何でもやる雇われものという点では共通している。
それをこの少女は雇おうと言っているのだった。
「お前さん、人を雇うって言ったがね。相場やら雇うってことの意味やら方はわかってるのか?」
冒険者の雇用に関して、相場というものは実は厳密には決まっていない。どころか、子供の小遣い程度でも雇える者は雇えるのが現状ではある。
それもそのはず、ひとえに冒険者とは言ってもその質はピンからキリまで、職務に忠実な義理堅い者から、金だけもらってトンズラを働く詐欺師までその内訳は様々である。
だが、その中でも比較的まともな者を雇おうとすればそれ相応の報酬が必要となってくる。いや、相応の報酬を支払ったところでまともな冒険者を雇える可能性は半々。ハズレを引けば金の持ち逃げで済めばまだマシな方で、下手をすれば冒険者を名乗る人買いに身柄を売り飛ばされる危険性さえもある。
冒険者を雇う上でもっとも重要なのは下調べである。本来このような場所でそんな事を口にするのは良い手とは言えないのだ。
「金なら心配ない。この通り……」
「よせ!」
少女が懐からずっしりと重そうな革袋を取り出そうとするのを、マスターは鋭い声で制した。
きょとんとした表情を浮かべる少女を呆れと心配の入り混じった顔で見て、マスターは周囲をそっと伺う。残念な事に周囲のならず者たちは少女の懐の鐘の存在に気がついてしまっていた。
「おい、お嬢ちゃん……あんた、こういうとこ来るの初めてだろ?」
「む……いや、そんなことは!」
「変なところで強がんなくていい。今後の為に一つ教えてやるが、こういう所で無闇やたらと金を見せびらかすな。店の中なら俺も止めるが……正直、店を出てからどうなるか分かったもんじゃないぜ?」
脅かすようなマスターの言葉に少女を身を固くした。
まさに彼の言う通り。この世界は綺麗なことばかりではない。
治安の良い場所は普通に治安が良いが、悪い地区はとにかく悪い。この辺境地区、オストアンデル無政府区は治安で言えば凡そ悪い方に分類されるのだった。
かつてこの地はオストアンデル公国という小さな国家があったものの、それは今や昔、財政破綻を起こした公国は既に滅んで久しく、本来ならば周辺の国に吸収合併されてしかるべき領土だったが、科学と魔法が発達したこの世界においてスタード公国の技術レベルはそこまで高いものでもなく、特産品もあるわけでもなかったがために、どの国も吸収する旨みがなく、放置。そんな折に何の因果か周辺の小国も同じような理由で崩壊し、この辺境地区は今や無政府状態、かろうじて街のなかでのみ通用する条例と自警団によって人間世界の体裁は保っているものの、ほぼ無法地帯とかしているのだった。
ならず者が横行し、冒険者達が台頭するこの地域において金を見せびらかすのは自殺行為以外の何者でもない。
「悪いことはいわん。裏口に回してやるから店を出たら全速力で逃げろ」
「しかし、私は冒険者を……」
「まだ言ってんのか。あいにく、ここにいるのはタチの悪いモグリばっかだ。そもそも何の目的で冒険者が必要なんだ?」
常日頃からならず者たちを相手にしているマスターもまた善人とは程遠いはずなのだが、相手が世間知らずな少女と知っては流石に無体なこともできず、一応尋ねてみる。
「隣のリオッシュ共和国まで向かうのに護衛が欲しいのだ」
「護衛?」
この酒場からリオッシュ共和国までは凡そ数十キロ程。
それほどの距離ではないが、その道中は、そこまで凶悪ではないにしろモンスターの類や野盗の類の出没はあると聞く。少女一人には少々難しい道のりかもしれない。
「護衛か……」
相手が大の大人や少年であれば適当にあしらうところではあるのだが、まだ年端も行かぬ少女とあっては無碍に扱うのも若干はばかられた。
酒場に出入りしている冒険者達の顔を一人一人思いだし、助けになりそうな者を探してみるがなかなか難しい。
「悪いな、嬢ちゃん。力になれそうもない」
しばらく頭を悩ませたが後にマスターは申し訳なさそうに言う。思い当たってる人間は現在長期の仕事に出てしまっていてこの場にいないものばかり。なんともタイミングが悪すぎる。
対して少女は唇を噛み、しかしすぐに笑顔を浮かべて、
「そうか……なら仕方がない。なら店主殿、何か料理を出してはくれないか?」
「ん?あぁ、それなら。道は長いだろう、たんと食うといい」
少女の切り替えの速さに一瞬戸惑ったが、少女の笑みにつられてマスターも笑顔で了承して厨房に引っ込んでいく。
間もなくして彼は皿いっぱいの料理と水を少女の前のテーブルにおいた。
「ダイオウヒラメとシャグマール茸のヤーパン風パスタ。熱いうちに食え」
「おぉ……」
皿に山盛りに盛られた白身魚と茸のパスタ。立ち上る湯気から香るヤーパン地方名物の乾燥魚からとった出汁の匂いが少女の鼻をくすぐり、食欲を刺激する。
我慢できずフォークを掴み、パスタを一口――
「!?」
少女が料理に口をつけようとしたまさにその時、ドアが乱暴に開かれて男が一人店内に入って来た。
ばさり、とボロボロのマントを翻しながら彼は店内に数歩踏み込んで、
「もう、ダメ……」
いきなり床に倒れた。
「また来たか穀潰しめ……」
その様子を見てマスターが渋い顔で溜息をつく。
口ぶりからしてその男はこの店の常連なのだろう。こんな風に彼が店に来ることも日常の風景なのか、周囲の人間も一瞬彼の方に視線を送ったかと思えば、何事もなかったかのように彼から目を背けて食事や談笑に戻っている。それはまるで彼との関わりを避けているようですらあった。
「マスター……水。あと飯。出来るだけ早く」
「金はあるのか?」
マスターの問いかけに、男はうつ伏せに倒れたまま、上げた右手を振ってみせた。
「金持って出直せロクデナシ」
「ツケで頼む!」
「そういう事は今までのツケを精算してから言え」
有無を言わせぬ調子でマスターがそう言うと、男はがばっと身を起こして、カウンター席、少女のとなりまでやってきてマスターに食ってかかる。
「そんな!頼むよマスター!おれもう三日も何も食ってないんだ!」
「餓えて死ね」
鬼気迫る勢いの男だったが、対するマスターはどこまでも辛辣であった。
男はそのまま糸が切れた人形のように崩れ落ちて、少女の隣にどっかりと腰を落とし、
「マジでもうダメ。このまま死ぬ。餓えて死ぬ。ここで死んでやるー……」
「迷惑だから店の外行けよ」
「やだ!飯くれないんならここで死んでやる!」
情けないやみっともないといった風体を通り越して、最早人としてどうなのかという駄々をこねて男はテーブルの上に突っ伏した。
少女は隣の席に座ったその男に怯えと嫌悪感の混じった視線を投げかけながら、そのすがたをそっと伺う。
ボロボロのマントに同じくボロボロの旅人帽、恐らく冒険者だと思わしき格好。そして年齢は30代半ばといったところか、見え隠れする顔には無精ひげが生えている。
いい年したおっさんが周りの目も気にせずに駄々をこね、おいおいと泣き出している姿は見るに耐えないものだった。
「……店主殿」
「あ?……すまんな、すぐにつまみ出すから勘弁してくれ」
「いや……この料理と同じものをこの男にも出してやってくれないか?」
†
「いやー生き返った!マジで今日という今日は死ぬかと思った!」
数分後、皿に大盛りのパスタとピッチャー一杯の水を平らげて、男は満足そうな笑顔でそう言った。
「嬢ちゃん……言わせてもらうが、こんな屑に情けをかける必要はないんだからな?」
男の叫びを無視して、マスターは少女に心配そうな声をかける。
「いや……情けというかなんというか……」
男の様子があまりにもあまり過ぎて見ていられなくなった……というより見るに耐えられなくなったというのが本音だった。
改めて男の姿を見てみれば更にその感想はひどくなってくる。
ボロボロのマントにボロボロの旅人帽、右肩には申し訳程度の金属製のアーマー、背中には何かの武器と思われる長い包を背負っている。ここまでならばまだただの冒険者といえなくもないだろう。
しかし、アーマーから伸びる真っ赤な背旗はやたらとその存在を主張しているし、帽子には巨大なショッキングピンクのリボンがくくりつけられているとあっては酷いの一言しか浮かんでこない。おまけにマントといい背旗といいリボンといい、わずかでも男が身じろぎをするたびにヒラヒラバサバサと派手な音とアクションを起こすのだから始末に負えない。
最早正気を疑うような格好だった。
「いや、嬢ちゃん!ホント助かった!いや、助かりました!このご恩、一生忘れません!」
「い、いや……うん、元気になってなによりだ」
男は興奮した様子で少女の手を握りしめ、感謝の言葉を述べるが少女は引きつった笑みを返すのみで、出来ればかかわり合いになりたくなさそうだった。
「おい、嬢ちゃん嫌がってるだろ……」
「おっと、これは失礼。おれは冒険者のジャンと言います。ここで命を助けて頂いたのも何かのご縁、何かあったら力になりますんで!」
マスターに言われて手を離すと、男は名を名乗って、そして少女の姿を頭のてっぺんから足先まで見て不思議そうに、
「そういや何でこんなお嬢さんがこんな寂れた店にいるんだ?」
「寂れた店とか言うな。冒険者を探しにきたんだとよ」
「冒険者?こりゃまたなんで?」
「隣の国まで行くのに護衛が欲しいんだとよ……そうだ、ジャン、お前雇われてやれ」
「……え?」
マスターの言葉に声を上げたのは少女だった。
「おれがお嬢さんに?いや、そりゃ別に構やしねぇけど……金はあんのか?痛ッ」
「馬鹿野郎、さっきたらふく飯食わせてもらって何言ってんだ」
マスターに思い切り横っ面を張り倒されて、ジャンは椅子から転がり落ちた。
そんな様子を視界のすみにさえいれず、マスターは少女に向き直り、
「どうだ?こいつを護衛に雇うってのは?」
「いや………しかし……」
「そんなに怯えんな……嫌なのは分かるが泣きそうな顔までするなよ。今この酒場にいる中で人間性――はともかく、まともなのはこの頭のおかしい男しかいないんだ」
「まともなのに頭がおかしいとは……」
もっともな少女の言い分ではある。
彼女は困惑しながらも男に目をやった。
頬を押さえて床に這い蹲り悶絶する男は、とてもじゃないが護衛なんて務まりそうには見えなかった。
「この男はアル中の気はあるし糖尿の疑いもあるし、おまけに金遣いがあらくて賭博が好きなロクでもない男だが――」
「チェンジで」
「いいから話は最後まで聞け。そんな屑野郎だが腕は確かだし見かけよりは怪しくない」
「え……」
マスターに言われてなお信用できずにいる少女の横でゆっくりとジャンが立ち上がり、マントについた埃を払う。
今までにマントに溜まっていた埃が一斉に舞い上がって、少女は思わず目を細めた。
「いやー……こうしてこの子だって嫌がってることだし、無理強いはよくないんじゃねぇの?ほら、おれこんな体たらくのおっさんだし?」
「なるほど。で、本音は?」
「働きたくないでござる」
もう一度マスターがジャンの横っ面を張り倒した。
「てめぇ、命の恩人に対してそれか……」
「分かった!分かったから殴るのやめて!暴力反対!おっさん、もう若くないんだから!」
必死で両手を上げて降参をアピールしながらジャンは再び席につき、少女の方に体を向ける。
「そんな訳で、一飯の恩と命の恩に報いるために不肖このわたくしめが護衛の任につかせていただきたくございます」
「……」
少女はなんとも複雑そうな顔をして、たっぷり10秒以上悩んだ挙句に渋々首を縦に振った。
どのみち護衛が必要なのは確かだし、先程の財布を見せてしまうという失態のためにこの店から出るにも危険が伴うとなればなおさらである。実力の方は甚だ信用ならないが、最悪この店を出てからの盾代わりくらいにはなるだろうと、そう踏んでのことだった。
「よっしゃ、契約成立!久しぶりの仕事だ……っと、そうだ、まだ名乗ってませんでしたっけか。おれはジャン。ジャン・ジャカ=ジャンっていうつまらない者っす!」
「いや、十分に面白い名前をしているぞ……」
見かけだけでなく名前まで、どこまでも騒がしくて派手な男だった。
ジャンは少女の料理の皿が空っぽになっているのを確認すると、勢いよく立ち上がり――テーブルに太ももを打ち付けて苦鳴をあげる。
「い、痛い……いや、お嬢さんのその目が痛い……気持ちいい……じゃなかった!と、ともかく、善は急げってことで、そろそろ出発しませんか?」
「……うむ。そうするとしよう。店主殿、釣りはいらん」
少女はそう言ってテーブルの上に金貨を数枚並べると踵を返して扉の方へ歩いていく。
その後ろに慌ててジャンも派手な衣擦れの音を立てながらついていく。
「そういえばお嬢さん……名前聞いてなかったんすけど、何てお呼びすればよろしいんで?」
重い扉を押しながら、少女は振り返りもせず、
「クレア。そう呼んでくれ」
性は名乗らず、短くつぶやくように言われたその名を口の中でそっと呟いて、
「了解、クレアお嬢様」
クレアが重そうにしていた扉をジャンが一緒に押しあけた。
吹き込むのは爽やかな風、目にうつるのは雲一つない空。
少女とおっさんの物語はここからはじまった