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拝啓、蛮人共へ。

作者: ラジオ

 世の中には二種類の人間しかいない。弱きを挫く蛮人と、蛮人に挫かれる弱き貧民である。そこに蛮人を罰し、貧民を救済する聖人が介在する余地はない。なぜなら、蛮人を罰する方法を知ってなおそれを実行できる者は存在せず、また、貧民を救う意思を持ちうるのは貧民だけであるのにも関わらず、貧民には貧民を救う能力がないからである。しかし、それでも万が一にも奇跡が生じ、聖人が現れた暁には、聖人は自らの行為を罰するために最後に残された自身の命を絶たねばならないだろう。そうして初めて、貧民は救済されるのである。

 ここで一つ追記しておけば、蛮人の蛮行を傍観する者、目の前の蛮人の蛮行を阻害して貧民を救った気になっている者は、どちらも紛れもない蛮人である。



 21世紀のとある時代――少なくとも初頭のとある五年間には、高山満という少年が存在した。少年が小学五年生の時、彼はこの国のどこでも起きている至ってありふれた「いじめ」にあっていた。

 少年は幼い頃に父親を亡くしており、母親と二人で生活していた。母親は我が子の世話をしつつ、時間を縫い合わせるようにして働き詰めていたが、それでも女手一つで子供を育てる環境は過酷そのものだった。少年が隠していたこともあり、彼女が自分の子供の身に起きていることを知る余裕はなかったのである。

 少年が最初に自分のことを「お母さん」と呼んだ時には驚いて怒りもした――亡き父親が定めた呼び方で自分たちの愛を繋いでいたつもりだったのである。だが、少年の様子に気付いてすぐにそれもやめた。

 高山少年が毎日恒例の挨拶のようにされてきた言葉によるいじめの中には、こんなものがあった。

「おーい、満。今日もちゃんと大好きなママに『いってきます』してきたか?」

「今日もこいつ、家出る時に大好きなママに玄関まで出てきてもらってバイバイしてたぜ」

「はははは、っつーかその年で未だにママ呼ばわりとかヤバくね?」

 まだ小学生で精神の育ち切っていない高山少年には、恥じらいは苦痛へと直結した。客観的に考えれば、人が母親を何と呼ぼうと他人に害が生まれることはなく、他人がそのことでからかう権利もなければ、そもそもからかいにすらならない。その人間が母親に甘え切った性格をしているかどうかはまた別の問題である。しかし事実、高山少年にはそれは多大な苦痛となった。子供の行いとはいえ、少年が告訴すれば立派な犯罪になり得るのである。

 当時齢十一にも満たない少年の恥ずかしさによる顔の紅潮は、すなわち心の傷と同義であった。

「ねえ、かわいそうだって。やめてあげなよ」

 正義感に駆られた女子の一人が助け舟を出すかのごとく横から口を挟むが、実質は火に油を注いだに過ぎない。本気で舟に乗せるつもりがないからこそ、余計な言葉を付け足すのである。

「小さい妹でもいるんじゃないの? その子に合わせてあげてるのかもしれないじゃん。それか逆にお姉ちゃんがいるとかさ」

 高山少年をからかっていた男子の筆頭が笑い声を上げた。

「こいつは一人っ子だよ」



 高山少年へのいじめは、筆頭の男子たちが思いつくたびに種類と頻度を増し、また、伝染していった。クラスで絵日記の宿題が出されれば、提出後に黒板に張り出してそれ以上ないようなやり方でもって少年を辱めた。クラスの全員が意見を述べる発表会が行われれば、発表後にクラスの全員を回り、細部まで完膚なきまでに皆々からの少年の意見への否定の言葉を聞かせた。

 心苦しく感じた者たちが控えめに発した「こういう考え方はあまり好きじゃない」、「自分だったらこう考えるけどね」、そんな言葉も、高山少年の心には深く刺さった。本意から言っているかどうかは関係がなかった。彼に味方はいなかった。もしも義に厚い味方が現れていればそれは単なるフィクションになっていたが、これは少年のノンフィクションである。

 立場の違う人間には、真の意味で人を救うことはできない。そして、挫かれる弱者たちは往々にして孤立しているものである。



 かつて夫を亡くした高山少年の母親は、これから自分が少年を本来あるべき形で守っていけないことに引け目を感じ、彼に次のような言葉を残した。

「もしも何か困ったことがあって、満がどうしても自分では解決できない時は、ママに一生の頼みだと言って。そしたら一度だけ、どんな願いでも必ず叶えてあげるから。約束よ」

 一度だけ、という条件は無論、父親がいなくてもたくましく育ってほしいという母親の願いが形をもったものである。しかし、たった一度きりのその願いがまさかこんな内容であるとは、約束を誓った当時から願いの内容を聞くその時まで、一度として想像したことはなかった。

「ねえお母さん……一生の頼み……『一生の頼み』だから、クラスのみんなを殺して」

 涙を吞みながら言う少年の姿に、母親もまたふっと涙を流し始めた。

 全てがもう手遅れなのだと、母親は悟った。前触れとは、後になって初めて『あれが前触れだった』のだと気付くものである。そして、それは気が遠くなるほど昔からあったのだった。母親は知った。今、全てをさらけ出した自分の大切な一人息子はここまで傷だらけになっていたのだと。その傷は深く、決して癒えることもなく、自分が寄り添える領域をもはるかに脱しているのだと。そして母親は何よりも理解した。

 自分の息子は、もう助からないのだと。



 少年の願いに対し、母親はこう答えた。「殺すことはできないが、もっとひどいことをしてあげることならできる」と。その日、母親は一通の手記を愛する我が子に書かせ、翌朝には母子共に失踪を遂げていた。

 手記は少年のクラスの担任の教師の元へ届いた。手記を受け取った翌日、教師はクラスの朝の挨拶と共に高山少年の親子と連絡が付かないことを告げ、それから手記を読み上げた。そしてそれを黒板に掲示して一時間目を子供たちの自習時間にすると、自分は職員室にいると言い残して教室を出た。

 手記には高山少年の拙い筆跡でこう書かれていた。


『 はいけい、五年二組のみんなへ。

 ぼくはみんなと同じクラスの高山満と言います。身長137センチ、体重は30キロ、たん生日は11月17日のさそりざです。血液型はA型です。

 みんなはぼくのことを覚えているかわかりませんが、ぼくはみんなのことを覚えています。みんな大好きで大切な友達です。みんなと過ごしたことはずっと忘れません。ぼくはみんなに色んなことを教えてもらいました。すごく大切で、ぼくにとってかけがえのないたから物になりました。

 ぼくはこれからお母さんといっしょに遠くへ行くことになりました。とても遠いところなので、もうみんなとは会えないかもしれません。でも、ぼくはずっとみんなのことを考えています。みんながわすれてしまっても、ぼくは絶対にわすれません。いつかまたみんなに会えたら、色々なことをして遊びたいです。

  けい具 』


 教師は誰か一人でも気付いて自分のところへ来ないかと、希望を――淡い希望を抱いたが、誰も職員室には現れなかった。

 一時間目が終わる頃に教室に戻ると、始めの教師の重い口調から察した一部の児童は涙を流していた。教師は一時間目の最後に「ここにはいないけど、高山満君にお別れの言葉を送ってあげて」と言った。すると案の定、子供たちは「ずっと友達だよ」、「意地悪してごめんね」、などといった見当はずれの言葉を送った。

 手記の真意が伝わった相手は、教師だけだった。

 しかし、教師はそれでよいことを知っていた。少なくとも、高山満少年にとってはそれでよいのだと。

 なぜならこの手記は、大人になった後の彼らに向けて書かれたものだからである。

 一週間後、少年の通った小学校のある町から遠く離れた港で、ロープに繋がれた二人の母子の溺死体が漂着した。



 クラスでの高山少年へのいじめに関して言えば、担任の教師は完全に気付いていた。だがそれにも関わらず見て見ぬふりをしたのには目的があった。無論、彼にも教師としての誇りがあり、本来なら高山少年に対し相応の対応を図るべきであったのだが、彼はこの国の至る所で――もっと言えば世界中で同じようなことが多発していることをよく理解していた。教師の少年時代のクラスメイトにも、自ら命を絶った貧民がいたのだから。

 教師の目的、それは蛮人の手により貧民の身に起こる悲劇を無くすこと――ゼロにまではできなくとも、可能な限りこの高山少年のような境遇の子供たちを減らすことだった。そしてそのために必要なのは、大きな悲劇であった。

 大きな悲劇を起こし、それを広く世に伝え、訴えかける。

 それが教師の目的であり、母子が失踪する直前に母親から頼みを受け、聞いた顛末をノンフィクションとして世に出版するためこうして文章に書き起こしている理由でもある。

 私は私なりの考えをもって、蛮人なりの振る舞いをするのである。

 いつかこの本が、蛮人の苦しめる貧民を救う聖人を生むことを願って。

 この本に相応しいタイトルは、きっとこれだろう。


『拝啓、蛮人共へ』。


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