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冬の流星群  作者: 悠里
3/3

後編

 その日は真っ青な空色の中、心身を洗うような冷たい風が吹き抜けていた。

 待ち合わせ時間の十分あと。雅紀が来たら飲み物をおごってもらおう、と決意しながら身をすくめながら駅で待っていると、紺色のマフラーをした雅紀がポケットに手を突っ込んで歩いてきた。


「遅い!」


 誘ったのも時間を指定したのも雅紀の方なのに。開口一番に文句を言うと、雅紀は少し申し訳なさそうな顔をした。


「悪い。どうせ遅れてくると思って家を出る時間遅くしたんだけど、思ったより時間かかった」


 待たせたんだから温かいもの買ってよ、という言葉を私は捨てなければならなくなった。私がここに来たのは待ち合わせ時間の五分後だったからだ。

 雅紀は私が気乗りしないままのろのろとやって来たことを見抜いているのだろう。


「冷えただろ。自販機で何か買ってやるよ」

「ううん、いい。それより早く行こう」


 雅紀はそうかとうなずいて、切符売場へ歩き出した。

 電車の中ではあまり会話がはずまなかった。いつもならくだらない話題でずっと話し続けていられたのに。

 原因は私だった。雅紀が話題を振ってくれても、私が話を止めてしまう。

 次第に雅紀も話さなくなって、揺れる電車の中、無言が空間を支配する。私はただ雅紀のつま先をじっと見ていた。


     *


 様々な展示が同時に催されていることもあってか、会場である美術館は人がごった返していた。

 お年寄りから子供まで、さまざまな年代が集まっている。

 こんな中で展示されているのかと思うと、少し気分が悪くなってくる。

 だけど結果を知らないままでいるわけにはいかなかった。人ごみの中に応募した展示の案内板を見つけて、「あった、行こう」とあわててついてくる雅紀の気配を背中で感じながら歩き出した。

 展示広場も人は多かった。とりわけ学生らしい年代が多いのは、応募条件が二十歳未満だったからだろう。

 年齢層が低いとはいえ、目につく絵は自分と比べ物にならないと思うほど素晴らしいものばかりだ。意味のないことだとわかっていても後悔してしまうほど。

 いくら歩数を増やしても、自分の作品は見つからなかった。歩くたび、後悔という後悔が積もっていくような気がする。そのうち、不安による思い込みが強くなってきて、応募条件を満たしていなかったのではないか、そもそも間違ったところに郵送してしまったのではないか、もしかしたら技術があまりにも未熟すぎて展示さえさせてもらえなかったのではないか、そんな考えが浮かび始めた。

 いよいよ本格的に気分が悪くなってきて、私は立ち止まった。指先も震えはじめる。

 その手が、ふいに温かいものに包まれた。手を握られたのだ。おどろいて隣を見ると、雅紀が前を向いたまま「バカ」とつぶやいた。


「お前のことだから変なことでも考えてるんだろ。大丈夫、どこかにはあるって。ゆっくり探そうぜ」


 ……いつだってそうだ。彼は躊躇する私の腕を取ってどこまででも連れて行く。

 流星を見に行った時もそう。夜道と親の説教が怖くて行きたくないと言う私の中の好奇心を見抜いて、半ば無理やり連れだしたあの時も。

 私は雅紀の手を握り返した。隙間から生まれる不安を押しつぶすように。


「ありがと」


 小さなかすれた声でつぶやくと、雅紀は「行こう」と手をつないだまま歩き出した。

 その時。雅紀が「あ」と驚きに満ちた声をもらした。彼の横顔を見ると、これでもかと言うほど目と口を大きく開いていた。

 彼の視線の先には、優秀賞の文字が書かれたプレート。その上には────。

 青黒い空と、流れるいくつもの筋、満天の星。そして草の上にたたずむ幼い少年と少女の陰。

 信じられなかった。賞のプレートの上に、数か月間ずっと向き合ってきた絵があることが。

 現実に戻るのは雅紀の方が早く、独り言を言うようにつぶやく。


「あの時の景色か。お前にはこんなふうに見えていたんだな」

「うん……」

「俺、お前の絵が好きだよ。星と同じくらい好きだ。子供のときに描いたへたくそな絵も、この絵も、他のも全部」


 そっか、雅紀は私の描いた絵が好きなんだ……。

 驚きの後におとずれたのは、整理のつかない感情と涙だ。目の前がぼやけて、私は腕で目をぬぐった。


「絵を描き始めた理由は、雅紀にあの時の光景をもう一度見せたかったからなんだ。雅紀と同じ感動するものを共有したっていう根拠がほしくて。

 ……でも、だめだね。もっと上手く描ける、上手く描きたいって思っちゃうんだ。雅紀が好きだって言ってくれたんだから、もうこれ以上、上手くなる必要はないのに……」


 言葉を重ねるほど頭がぐじゃぐちゃで、何を話しているのかすら分からなくなる。それでも、雅紀はきちんと言葉をくみ取ってくれる。


「もう俺に見せたいって理由は関係なくて、お前はただ絵を描いていたいだけなんだよ。ずっと描いてたらいいじゃねえか。学んで、技術磨いて、色んなものに感動していけばいい。思い出にこだわってここで終わるのはもったいねえよ」


 他人の評価なんて気にしないつもりだった。ただ、自分の技術を磨いてあの光景を描けるだけでいいって思っていた。

 でも、今、他人に評価されたこともとても嬉しい。

 雅紀が私の絵を好きだと言ってくれて満足だと、そう自分に思い込ませられるほど、私は大人になってない。将来をあきらめられない。

 身体の向きを変えてまっすぐに見てくる雅紀の視線を感じる。


「お前はどうしたい?」

「私、絵を描いていたい。もっと上手くなりたい……。でも、いいのかな。本当にそれでいいのかな。自信なんて何一つないよ」

「大丈夫だ、詩織ならきっと」


 顔をあげて雅紀を見た。星を語るときと同じ、自信ありげな憎い笑み。

 ああ、雅紀はずっと私を信じてくれる。

 安堵からか覚悟が決まったからか、止めていた嗚咽が込み上げてきた。雅紀は手を離して私の肩を軽くたたき、照れくさそうに言う。


「それに、仕事が不安定でも幼馴染の付き合いで時々飯くらいおごってやる」

「大丈夫だって言ったばかりでしょお! でもありがと!」


 手を広げて、雅紀の首に飛びついた。彼は「おわ」っと声をあげて私を抱きとめる。

 不安なことはたくさんある。今更進路を変えることを親や先生に納得してもらえるかどうかも分からない。

 でも、きっと努力を積んだうえでなら納得して夢を諦められる。別の夢を見られる。

 未来は大きく果てしない。空に浮かぶ光の数ほど選択肢があるのだ。

 すぐそばには雅紀がいる。彼はずっと私の夢を一緒に見てくれる。

 あの日、幼いころ感動した心境が、今、蘇った。

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