第一章1話・・・穴の下
重要な入力が終わり、パソコンの前で大きな息を吐き出す。
首をコキコキと鳴らしながら視線を上げて周りを見るが、すでにどの席も空席だった。
時計を見れば、時間はもうすぐ9時になろうとしている。
みんなとっくに帰宅したのだろう。
仕事に夢中になり過ぎて、みんなが帰宅していったのに気づかなかった。
家に帰っても一人。
それが少しさびしくて帰りたくない気持ちから、つい残業を毎回毎回受け入れてしまう。
「はぁ・・・・・・彼氏欲しい」
誰もいない職場につい本音が溢れる。
国生 咲。
22歳OL。
見た目は普通?
胸の大きさ・・・たぶん、普通。
仕事はまあわりと出来る方だと思っている。
性格は人懐っこくて誰とでも仲良くなれるけど、彼氏いない歴は更新中だ。
恋愛してみたいと思っているのに、何故か誰かを好きになるということがなかった。
告白されたことはそれなりにある。
でも、自分が好きになった人と付き合いたかった私はすべて断ってしまった。
もったいない話である。
ごく平凡な私を好きになってくれる人がいるだけでもありがたいと思っているけど、私は恋をしたい。
誰かを思うと胸が苦しくなるくらいの熱い恋を!
ま、そんなこと言ってるから彼氏の一人も出来ないんですけどね。
ああ、どこかに恋でも落ちてないかなー。
ため息を1つついて椅子から立ち上がる。
いい加減帰らなければ。
明日は土曜日。
夕食の買い出しして、クリーニング行って、DVD借りてこようかなー。
それとも友子とショッピング行こうかな?
春物のブラウスが一枚欲しいんだよねー。
そんなことを考えながら、机に置いておいたマグカップを持つと、給湯室へ向かう。
給湯室に一歩入った瞬間だった。
足元にぽっかりと真っ黒な穴が広がっていたのだ。
まるで床がそのまま崩落したかのように給湯室の床がなかった。
体が穴の中へ傾く。
「ええっ! ちょ・・・待って!」
慌ててそこに落ちないように手を伸ばす。
どこかに掴まろうとしたのだけど、手に持っていたマグカップのせいでドアの縁を掴み損ねた。
「いやぁ~! 誰か助けてぇ~~~~!!」
私の悲鳴がこだまするけど、職場には私だけしかいなかった。
当然助けてもらえるはずがない。
私はそのまま真っ暗な穴へと落ちていった。
ドスン!って音とともにお尻に痛みが走った。
「いったぁあああい!」
お尻を手で押さえつつ悲鳴が上がる。
痛みに顔をしかめながら顔を上げて私は固まった。
こちらを見ている男性が6人。
向こうも目を大きく見開き、口を開いて驚いた顔をしている。
あれ?
私給湯室で穴に落ちたんだよね?
なんか、石造りの広い場所で6人の男性の見守る中に私、いるんだけど?
しかも何か床に魔法陣のようなものが書かれていて、私はその真中にいた。
「△◯◯&%%%!」
いち早く一人の男性が驚きから立ち直って何か言ってるんだけど、何を言ってるのかぜんぜん判らない。
英語ではないのだけはわかるけど、なんか音楽のようなぴろぴろ~~~みたいな変な発音だった。
「□◇◯×!」
もう一人の男性も何か言い出す。
そのまま2人は言い合いするかのように何かを話しだした。
最初に話した男性は60歳くらい白髪交じりの男性で、2番目に話していた男性は男性と言うより少年って感じの男の子だった。
全員裾の長いローブを着ていて、それぞれ違った刺繍や飾りがついている。
最初に話た男性が何か高級そうな飾りをつけてて、2番目に話した男の子はシンプルなローブを着ていた。
床に尻もちをついたような格好だったが、自分が制服のスカート姿だったと思い出して慌てて座り直す。
そのうち他の男性も話しだして、なんか全員焦っている様子だ。
給湯室にいたはずだったのに、突然見知らぬ場所にいて何が起こったのか判らず私も混乱する。
私、どうしたらいいのだろうか?
ってか、ここどこなんだろう?
この人達、いったいなんでいるんだろう?
疑問ばかりが頭の中をめぐる。
しばらく話し合った男の人達は、突然話すのをやめた。
2番めに話していた男の子が私の前に進み出て、手を差し出す。
私はその男の子と手を交互に見ながら、この手を取ればいいのか少し悩んだすえ、そっと自分の手を差し出した。
男の子は私の手を掴むと自分の方に引っ張る。
どうやら立てってことらしい。
私は痛むお尻に手を添えたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「☆◯◇△◇」
男の子は何か一言言って歩き出し、私は彼に引っ張られるまま付いて行く。
最初に話した男性と他の男性はそこから動かず、その横を私と男の子が通り過ぎる。
どこに行くのだろうか。
その場所から出て長い廊下を歩き、何回か曲がった先にある部屋のドアを開けた。
中はシンプルな10畳くらいの大きさの部屋。
机、ベッド、タンスのような家具があり、シンプルながらも落ち着いた雰囲気の部屋だった。
「△◯%、◇%◯◯」
男の子は何か言いながら小さなテーブルの椅子を引く。
ここに座れってことなのだろうか?
おずおずと椅子の前に行き、椅子を背後にして立つと椅子が膝裏にぶつかった。
やっぱり座れってことらしい。
まだ子供なのに椅子をひいてくれるなんてずいぶん紳士的だ。
男の子は私が座ったことを確認すると、ドアの前に行く。
どこかに行くつもりなんだろう。
焦って立ち上がろうとした私に男の子が振り向く。
「&□△」
そう言って私に手の平を見せる。
まるでここで待ってろと言うような感じのジェスチャーだ。
ここは窓からは明るい光が差し込んで、どうみても監禁する部屋にはみえなかったけど一人にされるのは不安だ。
けれど、男の子はここで待っているように言っている。
少し浮かしかけたお尻を戻して椅子に座ると、男の子は2回頷いて部屋から出て行ってしまった。
私、この部屋でどうすればいいんだろうか。
このまま待っていて怖いことなんて起きないよね?
不安ばかりが先走る。
私は残業してもう夜の9時前だった。
けれど、部屋の窓から見える外の景色は昼少し後くらいに日差しが明るく高い。
私の中に1つの言葉が浮かぶ。
異世界・・・。
これが穴に落ちて気絶した私を外国のどこかへ運んだと言われても何か変な感じがする。
運ぶのに飛行機?
夜だった日本から昼の国に運ぶのに飛行機でどれくらいかかるのだろうか?
その間、私、ずっと気絶していたの?
私は椅子から立ち上がると、窓のところへ行って外を見た。
窓の外から見えるのは普通の景色。
木があって、道があって、建物は洋風。
ふわっと顔に風がかかる。
え?窓開いてるの?
閉まってはずの窓から何故か風が吹いてくる。
そっと窓に手を伸ばしてみれば、枠から手がすり抜けた。
ガラスがない。
窓枠はあるのにガラスだけない窓だった。
そりゃ風が通りぬけるはずだ。
ノックの音がして振り向くと、ドアが開いて女性がカートを押して部屋に入ってくる。
中年女性は私の存在に気づくと軽く頭を下げ、カートの上に乗っていた料理のようなものを机の上に広げだした。
見た感じ普通の料理に見える。
私が椅子に戻って座ると三叉スプーンのようなものが私の前に置かれ、女性はまたカートを押して出て行った。
これ、食べていいのだろうか?
見た感じ一人用の量に見える。
目の前の料理を食べていいものなのか悩んでいると、さっきの男の子が顔をだした。
私が料理に手をつけていないことに気づいて眉をよせる。
男の子は料理を指差した。
まるで食べろと言わんばかりに何度も料理を指差す。
私は三叉スプーンを手に取って男の子を見ながら料理にスプーンを差し込むと、男の子はうんうんとばかりに頷く。
どうやら食べてよかったらしい。
男の子はそのまままたドアの向こうに消える。
私はまた1人にされ、料理に視線を落とした。
美味しそうな香りのする見た目の美味しそうな料理を、少しだけ期待しながらソレを口の中に入れる。
ぱくり。
え?
・・・何これ?
慌てて口を抑える。
「薄い・・・。味が薄すぎる」
香りはちゃんといい匂いなのにほぼ無味。
味をめちゃくちゃ薄くしたようにかすかに味がする程度だ。
私は口を抑えたままテーブルの角におでこを乗せた。
この超薄味料理を私は完食しなければならないのだろうか?
それってどんな罰ゲームなの?
私が気力を使い果たして何とか完食する頃、あの男の子が40歳くらいの男性を連れて部屋に戻って来た。
その男の人はインテリっぽいって言うのかな?
すごく頭のよさそうな感じの男性が私を見て驚く。
出会う男性、みんな私を見て驚いているけど、ここの女性と私って何か違うところがあるのだろうか?
少し不安になってしまう。
男の人が何かを男の子に話ながら私の方へ歩いてくる。
またどこかに連れて行かれるのだろうか?
状況も言葉も通じない不安で心が揺れる。
男の人は私の前で止まると椅子に座っている私をまっすぐに見下ろす。
そんな男の人に私は警戒して身を固くする私の肩を男の人は軽く叩いた。
まるで何も心配しなくてもいいと言うような笑顔を浮かべて。
男の人の左手が私の右頬に触れ、私の耳たぶをそっと掴む。
何をするのかと思った時、触れられた耳たぶに鋭い痛みが走った。
慌てて男の人から身を引いて痛かった耳を抑える。
何かされた?
そう思った時。
「大丈夫ですか?」
男の人が日本語を話した。
「日本語が話せるんですかっ!」
ここにいて初めて聞く日本語にやっぱり異世界なんかじゃなかったのだとほっとした。
どうやってここに来たのかはわからなくても、同じ地球なら帰ることが出来る。
そんな安心感が私を満たした。
しかし、男の人は少し困った表情を浮かべ首を横に振ったのだ。
「日本語・・・と言うものが何のことなのか私にはわかりませんが、今貴方の右の耳につけた耳飾りが貴方の脳に働きかけて直接翻訳してくれているので私の言葉がわかるのですよ」
「え?」
驚いて思考が回らない私に容赦なく言葉がかけられる。
「ここはエルティーダの東にある島国、ファビュラス国の首都、ファビュラスです。そして貴方は魔導召喚実験の失敗で召喚されし者。つまり貴方はこの世界に召喚されて来た人なのです」
ここはエルティーダの東にある島国、ファビュラス国?
そして私が魔導召喚実験の失敗で召喚されてしまった人間?
じゃあ私はやっぱり異世界に来てしまったんだ。
しかも失敗で・・・。
心配そうに私を見る男性の顔が少しゆらっと揺れたかと思うと、私の意識は闇へと落ちていった・・・。
明日(月曜日)も更新予定ですが夜になるかと思います。