売り家
パソコンの整理をしていたら出てきました。
オーソドックスな幽霊話です。
朝新聞を読んでいて何気なく折り込み広告を見ていたら一軒の売り家のチラシが入っていた。何気なく住所を見たらわりと近所だった。簡単な地図が載っていて、
「ああ、この酒屋。この小路の三軒目って・・あれ?」
そこは小学校のクラスメートの家だった。はるか大昔の話で、その子とは二年いっしょのクラスだったが、特に親しいわけでなし、その家にも二度ほど他の子たちと遊びに行ったくらいで、小学校を卒業してからは一度も会っていなかった。
ふうーん・・と、特に気にも留めなかったのだが。
その夜。そういう時には何か偶然の因縁というのがあるのか、駅前でその時のクラスメートにばったり、二十年ぶりに会って、いっしょに飲んだ。そこで
「そういえば今朝のチラシでH君の家が売りに出されてたな。H君どうしてるんだろうねえ?」
と訊いたら、ちょっと嫌な顔をして、
「知らないのか? 死んだよ、H。中学の時、事故で」
と教えられた。そうか、自分は小学校卒業と同時に県外に越して、こっちには就職で戻ってきたのだ。
そうかあ・・、死んでたのかあ・・・・。
たしかH君は一人っ子だったと思うから、家を継ぐ人間がいなくなってしまったんだろうか?・・・
旧友と別れて、それっきり。取りあえず話はお終い。
ところが半年ほどして、またH君の家のチラシが入ってきた。よく覚えていないがだいぶ売値が下がっている。
ああ、そうかあ、なかなか売れないんだな、と思った。
その日は土曜日で、会社は休み。一日ごろごろして、夕方近所のスーパーに買い物に出た。そこで
「おやまあ、Tさんじゃないの?」
と、小さなお婆さんにニコニコ笑いかけられて、さあーて、誰だろうなあ?・・と困った。そしたら
「お久しぶりねえ。Hの祖母でございます」
とお辞儀された。わたしは覚えてなかった。大昔に会ったかどうかも分からない。いや、そういえばたしかおばあちゃんがいたような気がする、H君の家に遊びに行ったとき。
「ああ、H君の。そうですか、お久しぶりです。失礼しました」
と挨拶を返した。しかし、変ではないか? なんで自分なんかのこと覚えているんだろう? 小学校の、子どもの頃の話だ。おばあちゃんはニコニコしてこっちのことを見ているが、こっちももう年が年だ、おばあちゃんも相当のお年だと思が、見た感じ八十くらいだろうか? 背中が丸まって小さくて元気そうではあるんだが・・・。
「ああ、Tさん、久しぶりに家に遊びにいらっしゃいな。陽一も喜びますから」
と、わたしの袖を掴んで誘った。ニコニコ笑って。陽一というのがH君の名前だ。
ああ、そういうことか・・・、
と、困ってしまった。呆けちゃっているようだ。年寄りは大昔の些細なことを鮮明に覚えていたりする。つまり、今、H君が中学校で亡くなってしまったことを忘れてしまって、昔、小学校の二度ほど遊びに来たどうでもいい友だちのことを覚えているのだ。こっちはもう見ての通りのおっさんになってしまっているのに。
さて困った。家は売りに出されているのだ、まさか今もそこに住んではいないだろう。おばあちゃんが家族、H君のお父さんお母さんと一緒に住んでいるのか、それともどこかの老人ホームにでも入っているのか、わたしには分からない。
「ぜひいらっしゃってくださいな」
と袖をずーっと掴んだままニコニコ言うものだから、しょうがない、お呼ばれすることにした。きっと家には鍵が掛かっていて入れないだろうし、となりの人に訊けばおばあちゃんの今の家も分かるだろうと思った。
このおばあちゃんが、やたら元気で、歩き出すとちょこちょこちょこちょこやたらと早足だった。こっちの方がついていくのがやっとのくらいに。
近所の近所だからほどなくH君の家に着いた。この小路は塀の高い大きな家が並んでいて、ちょっとしたお屋敷街で、H君の家もその例に漏れず大きい。そういえば遊びに来たときに高そうなオモチャがいっぱいあったような気がする。
さてどうするのかと思ったら、おばあちゃんは鍵を取り出してさっさと玄関のドアを開けてしまった。さあどうぞ、と。わたしは途方に暮れる思いがした。
広い庭の見える客間に案内されてお茶を出された。庭もきれいに手入れされていた。はて?売りに出されていたのはここじゃなかったのかな?と思った。おばあちゃんは
「陽一はすぐに帰って来ますからちょっと待っててくださいねえ」
と、奥に引っ込んでしまった。さてさて、困った。
しばらく待って、・・おばあちゃんも引っ込んだまま戻ってこない。だんだん薄暗くなってきて・・、なんだか胸がざわざわ嫌あな気分がしてきた。
「おばあちゃん。おばあちゃん。どちらですか?」
と声をかけても返事がない。廊下から奥を見るとすっかり暗くなったところに西の窓から一条真っ赤な夕日が射していて、・・・・わたしはなんだかひどく怖くなった。
そこで、おいとま、逃げだそうと思った。玄関に戻ると、
「わあっ」
と驚いて声をあげた。暗い中何か置物かと思ったらおばあちゃんが隅にじいっと立っていた。ニッコリわたしを見て、
「ほら、帰ってきましたよ」
と、視線を。玄関の引き戸がガラガラガラ・・と開いて、
「やあ。久しぶりだねえ、T君」
と。わたしはゾッとして、なんでなんだ!?と思った。なんでわたしなんだろう?と。なんでたいして親しくもなかったわたしを招いたりしたんだろう?
H君は背が高くて細くて、いかにもお金持ちのお坊ちゃんみたく品のいいにこやかな顔をしていた。・・・・わたしの知っている小学生の姿をしていた。
H君は靴を脱いで上がってきて、
「おいでよ、遊ぼう」
とわたしを誘った。わたしは壁にへばりついて、
「なんでわたしなんだ?」
とカラカラに乾いて痛くなった喉で言った。
「特に仲が良かったわけじゃないだろう?」
と。H君はしらっとした目で、
「うん。そうだね。しょうがないよ、君しか引っかからなかったんだもん。ねえ?」
と、おばあちゃんに言うと、
「ええ、残念ですけどねえ」
と、カタカタ真っ白な骸骨が笑った。わたしはヒャアッと悲鳴を上げて、見ると、H君は少し大人、中学生の姿になって、口と鼻からダラアーッと血を垂らして、
「遊ぼうぜ」
と手を伸ばしてきた。わたしは悲鳴を上げて玄関に飛び降りて、
「開かないぞ」
と言われたけどドアを引いたらガラガラ開いて、大慌てで逃げ出した。後ろで「チッ」と、H君の舌打ちするのが聞こえた。
翌朝H君の家に行ってみると、門扉の外にわたしの靴が揃えて置いてあった。玄関まで行く気にはならなかったが、チラリと見た庭は雑草がぼうぼうと生えていた。
H君はとっくに死んでいて、確かめたわけではないけれどおばあちゃんも亡くなっているんだろう。
後日それとなく表の酒屋で聞いてみると、やっぱり出るんだそうだ、H君の幽霊が。それでなかなか買い手がつかないんだろう。
―おわり―
ありがとうございました。
稲川淳二さんの「渓谷の旅館」のパターンです。これをパクリと言ってはいけません。怪談の場合はバリエーションを楽しむのが良い鑑賞法かと。
2007,12,13(2006,8,29)