ことの発端
ベジレンジャーより後(時期未定)
冬
ナスとタマネギはこんな感じの仲良し
ある意味実録
この話を入れて全三話予定(※全四話になりました)
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「旅行しよう」
こいつの提案はいつも突然だった。
「……あ?」
思わず出た声を「ガラが悪いよ」とたしなめる篠崎。篠崎の目はメニューを忙しなく追い、通りがかった店員を呼びとめると次々に注文を済ませていく。店員が深々と一礼して竹格子を閉めたところでやっと視線が合う。
「だから、旅行だって、旅行」
「旅行っつったって色々あんだろ。何をするとか、どこへ行くとか」
「平泉」
どこへ行くとか、に被せるようにして、目的地が告げられる。
平泉。……なるほどな。
合点がいった。こいつのことだから次に言うことは決まっている。
「せっかく共演するんだ、一度見ておくのも悪くないだろ」
案の定、篠崎はこちらが想定したとおりのことを言ってのけた。
来春、某テレビ局が開局五十周年を迎える。その記念に五週連続放送の特別ドラマを制作する――題材が義経と弁慶に決まり、同時に篠崎と俺に打診があったのは数か月前のことだ。
スケジュールの調整から撮影準備、ポスター撮影に制作発表。局側が相当力を入れているのは企画案を見せられた段階からわかっていたが、この様子だと篠崎もずいぶんやる気になっているらしい。
今日だって京都でのロケがひと息ついたところだというのに、何か月も先のシーンへと思いを馳せている。
「あ、もちろん前の日は俺ん家に泊まっていいからさ」
「篠崎」
「ん?」
「お前ん家と俺ん家の距離を分かって言ってんのか」
海老芋の揚げ出しを口に含む。ほろりとした触感とどことなく甘い香りが味わい深い。お通しにしておくのがもったいない。おすすめの一品に同じものがあるのを確認して、あとで追加することを決める。
篠崎はお猪口に入った冷酒をくっと飲み干し、邪気のない笑顔で言い切った。
「うん。歩いて十分」
同じ港区内、南北線を使えばたった一分――二人の住まいはひと駅の距離で、前乗りも何もあったもんじゃない。と言ってもまあまあの頻度で篠崎の家に泊まりには行っているのだが、平泉旅行に関して言えば何の得にもならない。
だと言うのにどうしてこんなに嬉しそうなのか。
「死に際は見せ場だし、きっとこんな機会なんて滅多にないと思うんだ。だからさ」
ぱん、と両の手が顔の前でくっついた。
「頼むよみーなん」
語尾に音符かハートがつきそうな声音で篠崎。
いいか、首を傾げたところでかわいいのは女子供だけだ、大人がそんなのやったって普通は気持ち悪いだけなんだぞ。
喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。友人になって早数年。篠崎がめんどくさい男なのはとっくのとうにわかっている。
本音を言えば、自分だって楽しみなのだ。
ふつう弁慶といえば筋骨隆々の大男を宛がうところだ。義経の配役は妥当としても、自分が弁慶になるなんて到底あり得ない。そこを敢えて推してきた脚本家や監督に目に物見せようという意気もある。
確かに、どう転んだって義経と弁慶の死に際は見せどころだろう。片や娘と妻を殺した上での自害、片や主人を守って立ち往生――見る者の心を揺さぶるならここ、と言わんばかりの大舞台は、平泉の地にある。
頭の中にスケジュール帳を思い浮かべ、大きくため息をついた。
「水無月?」
「長逗留は無理だな。せいぜい一泊二日ってとこか。新幹線は朝イチのはやてをグリーンで取るぞ。お前はどうせホテルより旅館の方がいいんだろ。……って、何ぼさっとしてんだ」
「いやあ」
篠崎が後頭部に手をやった。
「俺の弁慶は優秀だなって」
そう言って微笑む篠崎が義経にだぶる。
うすぎぬを被き笛を吹いて五条を行く、狩衣姿の若い男。対するは千本目の太刀を奪おうとする荒法師。弁慶の一太刀をひらっとかわし、一つに結った肩までの髪をなびかせて――
「おい、誰がお前のだ、お前のっ」
「え? 俺のでしょ、オ・レ・の」
みーなんなら乗ってくれると思ってさ、実はもうパンフレットも準備したんだよね、と付箋だらけの旅行雑誌を突き付けられた。
乗せられたのか、乗ったのか。
ご丁寧に場所ごとに色わけまでして、ところどころに書き込みも見える。外面はともかく、案外几帳面な内面をあらわすようにとめもはねもしっかりついた、走り書きの文字。その中の一文を指して、もう一度ため息。
「……みーなんはやめろよ」
とまあこんなわけで、篠崎と俺の平泉珍道中は幕を開けてしまったのだった。