ストック
月明かりの下、夜風に吹かれながら食べるバーベキューはなんて最高なんだろう。雨宮さんのお父さんが用意してくれた牛肉、豚肉、鶏肉、ピーマンや玉ねぎといった数種類の野菜はどれもおいしい。きっと家で同じものを食べたとしても全く違う味がするに違いない。炭で焼かれた香ばしい肉や少し焦げた野菜はフライパンやホットプレートでは味わうことができないからだろう。おまけに気の合うメンバーと楽しく食べているシチュエーションがより一層食欲をそそっている。ぼくは焼けた肉や野菜をみんなの皿に取り分け、火の具合をチェックしつつ、立ちながら熱々の肉と野菜をいっしょに頬張っていた。
「ゆーさんの焼き加減最高っスね! でもできれば肉を多めにほしいんスけど……」
「馬鹿はバランスよく食べないとだめよ」
「もー雨宮さんは一言多いっスよー。せっかくのバーベキューなんスから肉をいっぱい食べたいじゃないっスかー」
「焼けるまでもう少し待ってろ。あ、こっちの牛肉は焼けてるから食べていいぞ」
「さすがゆーさん! やっぱり男子は肉っスよね!」
それに同意するのは難しいな。肉ばかり食べるのも脂っぽいし、ぼくはバランスよく食べる方が好きだ。それに今日の野菜は甘くておいしい。お肉だけ食べるなんてもったいない。
差し出す石田の皿に牛肉を3枚入れてやった。
「この馬鹿を甘やかせちゃだめよ須永君。野菜もしっかり食べさせないと――」
そう言って雨宮さんは石田の皿に焼けていた玉ねぎとピーマン、かぼちゃも入れた。まるでお母さんみたいだ。栄養管理までできる雨宮さんは本当に火の打ち所がない。
「ちょっ! 勝手に入れないでくださいよー。あと、マジでかぼちゃだけは勘弁してください! 俺どうしても苦手でダメなんスよ……」
「高校2年生にもなって好き嫌いがあるのは長男として駄目じゃないかしら?」
「こーくんこのかぼちゃすっごく甘くておいしーよ?」
「……といわれてもっスねぇ」
石田は俯いて箸を止めた。
その様子を見れば本当にかぼちゃが苦手なんだと分かる。普段から料理をしてる石田には嫌いな食べ物がないものだと思い込んでいた。雨宮さんのこともそうだけれど、ぼくは無意識のうちに石田までも想像で押し固めて勝手に決めつけてしまっていた。
結局、ぼくはまだ本当の石田が見えちゃいなかったんだ。
そういえば石田の皿にかぼちゃを入れようとする度に「ゆーさんそっちの玉ねぎくれないっスか?」とか「ゆーさんちょっとそっちの焦げてるっス!」とか言って上手く避けていたかもしれない。決めつけていたせいで全く気が付かなかった。
さっきまでわいわいとした雰囲気が漂っていたのに、いつの間にかみんな箸を止めて黙り込み、炭の火力も弱まってしまったのか、静寂が漂っていた。
石田はずっと皿に乗ったかぼちゃを見つめたまま動かない。
こんなときに何か切り出さないといけないことくらい分かってる。でもなんにも思いつかない。こういう時はいつも石田が少しふざけた感じで場を和ませて元に戻してくれるのに、いまはその石田が切り出すことはない。どうすればいいんだ……。
「――逃げちゃいけないって教わってきたの」
静寂を切り裂いたのは雨宮さんだった。
「私の家は両親ともに教師で結構厳しい家庭で育ってきたわ。幼い頃からずっと習い事とか作法とか、立派な人になるための指導を受けてきたの。だからね、幼い頃から何でもできるのが〝普通〟で、勉強できて当り前、スポーツできて当り前、掃除に料理、とにかく何でもできるのが当り前。そう教えられてきたから好き嫌いも許されなかった。いま思えば感謝しているけれど、当時の私は好きでやっていたわけじゃなかったし、嫌いな食べ物もあったわ。毎日毎日夜の遅くまで勉強して、嫌いな物でも絶対残こさず食べて、そんな毎日がどうしようもなく辛くて嫌いだった……」
「それなら嫌だって言って逃げればよかったんじゃないっスか……」
「それができたら苦労はしてないのよ。私は両親に逆らうことが怖くてできなかった。それに、私にとって最も身近な大人は両親で一番の見本だったのよ。大人はみんな立派で、大人のやることにはいつでも正しい理由があって、口にする言葉には深い意味があって、絶対の存在だと思っていたの。けれどね、それでも一度だけお母さんには言ったことがあるのよ」
「……なんて言ったんスか?」
「『もう嫌だ』って泣きながら言ったの。でもね、簡単に流されちゃったわ」
雨宮さんは夜空を見上げながらうるんだ瞳でつぶやくように口にした。きっと雨宮さんは当時のことを思い出しているに違いない。
「…………」
「そのとき分かったのよ。あぁ、泣いても嫌だと言っても見てくれないし聞いてくれないんだって。どれだけ言い訳を考えても、足掻いて怒っても、家を飛び出そうとしても逃げられないんだって知ったの」
「雨宮さんは逃げられないって分かってからどうしたの……?」
「諦めたわ。だって逃げられないんだもの」
「だったら俺も諦めていいっスよね。なにもかぼちゃひとつ食べられないだけで人生がどうこうする訳ないんスから」
石田は笑いながら皿をテーブルに置いてこの場を離れようと立ち上がった。その背中に雨宮さんは囁くように、けれど真っ直ぐ告げた。
「確かにそうかもしれないわ。でもあなたはひとつ勘違いをしている。私は逃げることを諦めたの」
「それはつまり逃げなかったってことっスか……?」
「ええ。逃げられないなら立ち向かうしかない。振り返っちゃいけないなら前を向いて進む。嫌なことにも目を背けないで生きていこうって思ったの」
「前向きなのは大事なことっスけど、それでいったい何が変わるって言うんスか?」
「きっとお母さんはこう言いたかったんだと思うの。『これから先、逃げ出したいと思う出来事に山ほど遭遇する。そんなとき逃げることに慣れてしまっていたら前に進むことをすぐに諦めてしまう。逃げ出さずに済むようにいまは苦しくても辛くても逆境を克服できる力を身につけなさい』って。ただ私がそう解釈しているだけかもしれないけれどね」
「…………ほんと、雨宮さんは俺の母さんみたいっスね」
石田は椅子に腰を下ろして皿を持ち上げ、かぼちゃだけを箸で掴んで口の中へ放り込んだ。涙目を浮かべながらもぐもぐと口を動かし、大きく喉を鳴らして飲み込んだ。そしてぼくらに向かって口を大きく開いて見せた。
「これで一歩前進したっスよね……」
「ええ、もちろん」
雨宮さんはとても嬉しそうな笑顔だった。
雨宮さんはぼくが想像する以上に大変な想いをして過ごしていた。だからだろうか、さっきの言葉がぼくの心をぎゅっと掴んで離さない。雨宮さんの言う通り、この先逃げ出したいと思う出来事に山ほど遭遇するだろう。そんな辛い現実に立ち向かうには今を精一杯生きて前向きに行動するしかないと思う。
なんだか雨宮さんはぼくらの先生みたいだった。
ストック。花言葉は、『逆境を克服する力』『真面目』『思いやり』など。
次回話に続きます。




