ストレリチア
重たい扉を開いた先にも高級感漂うソファーやテーブルや書棚などが置かれ、壁には校舎の写真や賞状らしきものが何枚も額に収め飾られている。大きく広いという訳でもないが職員室とは比べ物にならない空間に圧倒されそうだ。茉依はぼくの後ろに隠れるようにしてついてくる。
何だかんだでやっぱり茉依も怖いようだ。
数歩踏み込んでからぼくはふと、この靴で入ってよかったのかと不安になって足が止まった。そんなぼくの思考など知らずに茉依は歩を進めてぼくの背中にぶつかり、小さく唸り声を上げていた。振り返らずに小さな声で「ごめん」と謝ると茉依は何度か背中を片手で叩いた。
たぶん大丈夫という意味なのだろう。けれどぼくの方は大丈夫とは言えない状況だった。
窓から射し込む日差しで表情までは読めないが、校長先生は椅子に座ったまま何も言わず、ただじっとこちらを見ているようだった。校長先生はゆっくりと立ち上がってぼくらの方へ歩み寄り、三人掛けソファーの距離まで近づいて歩みを止めて、にっこりと微笑んでみせた。そしてそっと右手を差し出して「どうぞお座り」と声を掛けてくれた。
ぼくと茉依は顔を見合わせて少し考えた後、素直に座ることを選んだ。
「これはこれは驚きましたよ。聞こえた声が若いと思ったら生徒なのですから。授業は始まっていると思いますが、何かありましたか?」
丁寧で尚且つ親しみやすい口調。表情も柔らかく、この後に叱られる気配は感じられなかった。そして何より、校長先生の顔をここまで近くで見たのは今日が初めてだった。
「えっと……その……」
いざ校長先生を前にすると声が思うように出てこない。身体は震えて視界も滲んできた。緊張しているのはぼくだけじゃなく茉依も同じだった。隣に座る茉依は左手をそっと伸ばしてぼくのシャツを掴んでいた。
ぼくがしっかりしなきゃだめだ。これはもともとぼくが起こした問題でもあるんだから!
「あの、校長先生にお願いがあって伺いました」
可能な限り丁寧語や敬語で話していくと心に決めた。実際のところ、何が丁寧語で敬語なのかよくわからない。それでもいまはぼくの思う丁寧語や敬語を並べて話すことにした。
「お願いですか。それはいったいどのようなものですか?」
「その……少し前に2年8組の石田浩介って男子生徒が自宅謹慎になったのですけど、ご存じでしょうか」
「ええ、もちろん。そのことならしっかりと先生方から聞いていますよ。2年8組の石田浩介さんと同じく2年生で1組の須永悠さんと口論になって石田さんがあなたに暴力を振るったとね」
「ぼくのこと知っていたのですか……」
「生徒の顔と名前はほとんど覚えていますよ。学年とクラスももちろんです。たまに間違えてしまうこともありますがね。まあ今回は最近のことだったので鮮明に覚えていますよ」
「校長先生違うんです! あいつは……石田君は悪くないんです!」
校長先生は少し身を乗り出して「それはどういうことですか?」と聞いてきた。
「石田君と口論になったのは間違いありません。大声で怒鳴っていたのも間違いありません。でも暴力はなかったんです! ちょっと熱くなった石田君がぼくのシャツを掴んだだけで――」
「私はそのあと壁にぶつかったような鈍い音が聞こえたという生徒の証言を聞いていますが、それはどうですか?」
「それは、その……事実ですけど、暴力とかじゃないんです!」
「須永さんが言うならそうなのかもしれませんが、校則や先生たちとの意見会を考慮して決定した結果は須永さんの知っている通りですよ」
「はい……」
思わず黙ってしまった。嘘を付くつもりはなかったけれど、なるべく印象良くあの日の出来事を話そうとしたのに上手くいかなかった。上手くいかないどころか余計に印象を悪くしてしまったかもしれない。ぼくは心のどこかで校長先生は詳しくあの日の内容を知らないと思っていた。だから多少話を誤魔化しても大丈夫だと過信していたんだ。
なにか……何か言ってペースを戻すんだ。でも何を話したらいいんだ?
「あの、こーすけ君の自宅謹慎処分を取り消してくれませんか?」
ぼくの隣から聞こえた言葉はあまりにも真っ直ぐだった。ぼくが言いたかった言葉を意図もあっさりと茉依は言ってしまったのだ。
もっとこう、何か回り道してから本題に入らないとダメだろ!?
毎度毎度のツッコミを心の中で叫んだ。ただ、いつものように『こーちゃん』と言っていないだけ誉めてあげようと思った。
「あなたは2年8組の浦木茉依さんかな?」
「はいです」
「私も取り消してあげたいと思っていますよ。でも事情を聞いた限り、先生方の意見をまとめた限り、石田さんのやった事は間違いなく危険行為でした。よって処分の取り消しはできません」
「そんな……こーすけ君は何も悪くないんです! ゆーちゃんも悪くないんですよ!」
そこでゆーちゃんと呼ぶのはダメだ……。
「では私からひとつ提案があります」
「提案……ですか?」
ぼくと茉依は声を合わせて聞いた。その提案とは一体何なのか気になったが、一方で不安にも感じていた。ぼくの脳裏では良い提案ではなく、悪い提案が出てくる可能性の方が高いと考えていたからだ。
「あなたたちと処分を分ける事にしてはどうですか?」
「分けるって……」
「もちろん謹慎処分の期間をですよ。やってしまったことを取り消すことは不可能です。けれども書き換えることは可能です。須永さん、この提案はいかがですかな?」
「ゆーちゃん……」
明らかに茉依の表情は困惑していた。いまのぼくは茉依と変わらないくらい迷っていて、校長先生の提案を簡単に判断できるような余裕も勇気もなかった。
確かにあの日のぼくは間違っていた。茉依の事で頭がいっぱいになって冷静でいられなくて、周りに気も配れないほど自分で目一杯になって、結局苛立っている気持ちが石田を傷付けてしまった。石田だけじゃない。茉依と雨宮さんにも悲しい思いをさせて傷付けてしまったんだ。悪いのは全部ぼくなのに、それなのに石田だけが悪者のように扱われて謹慎処分になった。石田の処分を少しでも軽く出来るならぼくは校長先生の提案を受け入れようと思う。だからこれはぼくと石田の問題であって、茉依が受け入れる必要はどこにもないんだ。
「……校長先生、ぼくはその提案を受け入れます。でも、茉依は……浦木さんはぼくが連れて来ただけで、関係はないんです。だからぼくと石田君の2人で分けてください」
「ゆーちゃん違うよっ! わたしも友達だもん関係あるよ! 校長先生わたしもお願いします!」
立ち上がって頭を下げた茉依の姿にぼくは驚いてしまった。
「茉依はいいって! これは――」
「これはゆーちゃんとこーくんだけの問題じゃないのっ!」
ぼくは知っている。こういうときの茉依は頑固だからきっと何を言ってもぼくの言うことを聞かない。
ぼくも立ち上がって頭を下げ、校長先生の提案を受けさせて下さいとお願いした。
「あなたたちは何か勘違いされているようですね。無理もない。まだ私はしっかり言ってないですからね」
「えっ?」
「私は確かに〝あなたたち〟と言いましたが、何も2人とは言っていませんよ」
「あの、それはどういうことですか……?」
「今日の朝、私宛にたくさんの手紙やメモ用紙やらが届いていたのですよ。それも段ボールいっぱいです。それはどれも『石田君の謹慎処分を取り消してください』というものだったのですよ」
そう言って校長先生は大きめの段ボールを取り出してテーブルの上に置いて見せた。
ぼくには校長先生が何を言っているのか良く理解できずにいた。同時に誰がこんなにたくさんの手紙を届けたのか不思議に思った。
「これはね、石田さんと関わりのある生徒からです。まだすべてに目を通せてはいませんが『いい奴なんです』とか『悪い事はしないはずです』とか、他にも皆さん書いているのですよ。もちろんこの中には須永さんの事も書かれていました。内容は石田さんと同じです」
「ゆーちゃんすごいねっ!」
茉依は嬉しそうに段ボールに入った手紙を取り出して読んでいた。
「あなたたちが来る前に先生方と集計してみたところ382通も届いていました。1年生から3年生まで幅広く、クラスもほぼ全クラスから届いていました。よってこれらを書いた生徒とあなた方2人を足して処分としますが、ざっと計算しますよ――」
テーブルに紙とペンを用意して校長先生は式を書き始めた。
(24h×13day)÷(2+382)=0.8125 となった。
「まあ1人当たり授業1回分の停学ですね。これで宜しいかな?」
校長先生は笑顔で訪ねてきた。もちろんこれ以上良い提案はない。
「ありがとうございます!!」
「でも校長先生、ほんとーにいいんですか?」
茉依はまだ半信半疑のような状態だった。
「ええ、もちろん。私も驚きましたよ、これだけの生徒が一つになっているのだからね。ここまでする生徒もそうですが、支持されている生徒も凄いと思いませんか? 私には皆さんの将来が楽しみで仕方がありません。それに我々教師は生徒の邪魔をする為にここにいるわけじゃありません。手助けをする為にここにいるのですから」
校長先生はそう言って微笑みながら段ボールに手を伸ばしていた。
次の日。1時限目の授業のみ停学という形で授業は行われなかった。手紙を送った生徒だけを停学にすると学校全体のバランスが悪くなるため、学校全体で1時限目の授業がなくなった。その間生徒たちは1時間だけ家での謹慎処分を受けていた。
そして2時限目。茉依と一緒に登校すると、遠くで見慣れた茶色っぽい長めの髪にヘアゴムで後ろをくくった男子生徒の姿があった。急いで近付いていくとそいつは下を向いてそっと口にした。
「ゆーさんに茉依さん……ありがとうっス」
「おかえりこーくん!」
「悪かったな石田……」
「あら、朝から仲がいいのね」
ぼくらの後ろから雨宮さんもついて来ていたみたいだ。
ぼくらは何度でも間違える。でも何度だってやり直せる。そうやって多くを経験して学んでいくんだ。
始まる。少し前よりももっと楽しい学校生活が――――
ストレリチア。花言葉は、『輝く心』『輝かしい未来』などです。
次回話から新たなスタートとなります。




