カンパニュラ
次第に雨が強くなっていく中を頭の先から足の先までびしょびしょに濡らしながらもひたすらに前を見て走った。制服も靴も雨水を吸って重たくなったけれど、止まろうという考えに至らず、むしろ前へ前へと気持ちが逸っていく。一秒でも早く石田に会って言いたいことがあった。
しかし、謹慎中の生徒に会う行為は学校で禁止になっている。この校則を破った場合、会いに行った人物も謹慎処分を与えられるのは承知していた。もちろん謹慎中の生徒の方から会いに行くのも禁止になっている。それでもぼくは石田と会って伝えたい言葉があるわけで、もしも会っていたことを知られて謹慎処分になったとしてもそれは構わないと考えていた。そこまでしても言わなきゃいけない言葉があって、それは同時に勇気となってぼくを支えていた。
じつは石田の家へは一度も行ったことがない。アパートなのかマンションなのかそれとも一軒家なのか、どのような色の建物かも知らないけれど、ぼくは確信にも似た感覚で、黒く染まるアスファルト一面広がる水溜りを散らして走った。
以前に石田から紙ヒコーキが飛んできた。それにはとても高校生が描いたものとは思えない地図が描かれていて「いつでもどうぞ!」と一言添えられ、石田の家の場所が描かれていた。そのときは「誰が行くか……」と思っていたのに、そのぼく自身が今まさに全力で向かっている。
「たしかもうすぐのはずなんだけど……」
ぼくは手当たり次第家の表札を見て回った。マンション内のポストに石田の表札がないかひとつひとつ丁寧に確認していった。でもそう簡単に見つかるものでもなくて、ぼくは何度も何度も近くの住宅を見て回った。
それから十数件を回った。その中には15階建てのマンションが3件、アパートが5件、実質的には100件以上の表札を見たことになる。
「はぁはぁっ……あった……」
オシャレな佇まいの門付き一軒家だった。門の内側にはいくつものプランターが並んでいて、色とりどりの花が咲いていた。ぼくが想像していた石田の家はもっと気軽な感じの佇まいで、言い方は悪いかもしれないけれど簡単に入れるような家を想像していた。でもそれはぼくの勝手な想像だったわけで、門があって中の手入れされた庭を見た途端、急に緊張してしまった。門横のレンガ柱の『石田』と書かれた表札を念のためもう一度確認してからインターホンを押した。
つかの間の静寂が流れる。
「…………どうしてゆーさんが俺の家の前にいるんスか」
「石田かっ!? 急に押しかけて悪い!」
「悪いと思ってるなら帰ってください。俺と会ってるの誰かに知られたらゆーさんまで謹慎になるっスよ」
「そんなのどうでもいい! なぁこの門を開けてくれないか。石田と直接会って話したいんだ」
「だから謹慎になるって言ったっスよね……。それに俺はいまゆーさんに会いたくないっス」
「頼む開けてくれ!」
「何度も言わせないでください。それに俺も会ったら謹慎期間が延びるんスよ。これ以上謹慎期間が延びたらこの家にいられなくなる……」
「分かった。だったらこのままでいいから聞いてくれ」
石田の返事はない。でもインターホンの接続は切られてはいない。一応聞いてくれるみたいだった。
「ずっと考えてた。昨日からずっと石田と茉依のことを考えてた。なんで石田が怒ったのか。なんで茉依が何も相談してこないのか。どうしてぼくがあんなに怒られないといけなかったのか。眠っていても夢の中でみんながぼくを責めてきて本当に眠れなかった……」
石田は何も返事しない。それでもぼくは続ける。
「石田の怒った理由を考えてみたんだ。それはぼくがずっと逃げていたからなんだろ?」
何も反応がない。
「ぼくが茉依と幼馴染だからいつまでも2人でいられると思い込んでいると思ったからだろ。逃げて本音も言わないでずっと同じ関係でいられるんじゃないかとぼくが思っていると思ったんだろ?」
無言は続く。
「でもそれは違う! ぼくはたしかに逃げてた……だけどずっと同じ関係でいられるなんて思ってない!」
「…………どういうことっスか」
ようやく石田に反応があった。この好機を逃したらきっと石田はもう返事を返してくれないと思った。
「茉依には茉依の人生がある。告白もされるだろうし、友達もたくさん増える。いつかはぼくとも離れないといけない。幼馴染だからってずっと一緒にいられるなんて思っていないんだ! 石田はぼくに茉依の側にいてやれって言いたいんだろ。でもそれは茉依のためにならないんじゃないかと思うんだ……」
「…………ほんとゆーさんはどうしようもないくらいに馬鹿で愚かで意気地なしで自分の殻に閉じ籠って勘違いしてばかりで……何様なんスか」
「えっ……」
「ゆーさんは茉依さんのお父さんっスか」
「なんでそうなるんだよ……」
「もしもそうだとしたら茉依さんはお父さんから離れないといけないし親であるゆーさんも子離れしないといけない。でもそれはあくまで〝親と子〟の話っス。ゆーさんと茉依さんは親子なんかじゃないでしょ。ゆーさんは茉依さんの〝幼馴染〟でしょ!」
ぼくは茉依のことをずっと見てきた。幼い頃からずっと一緒に過ごしてきてなんでも理解しているつもりだった。好きな食べ物も嫌いな食べ物も、涙を流す姿も怒った顔も笑顔も、私服も趣味も生活スタイルも全部全部分かっていると思い込んでいた。いつまでも茉依のことを見守っていくつもりで、でもいつの間にか茉依はぼくが見守る必要なんかないくらい成長していて、いつでもぼくの隣にいたんだ。
茉依はぼくの隣から離れたことはなかった。
あの夢に出てきた茉依はぼくに「ばいばい」といったけれど、あんなのは茉依じゃない。茉依は離れていくはずないんだ!
「本当は石田に謝りに来たのにまたたくさん気付かされたよ……」
「茉依さんはずっと悩んでました。告白されたことを言おうか、それとも黙っていようか、でもあとで知ったら呆れられてしまうのではないだろうか、嫌われてしまうのではないだろうか、もう一緒にはいてくれないのではないか、ずっと机に伏せて悩んでいました」
「茉依が……」
「茉依さん言ってたっスよ。『わたしどうしたらいいかわからない』って。ゆーさんはいつも茉依さんが教室に来るのを待ってたっスよね。一度だって茉依さんと話すために8組に来たことないっスよね。それは茉依さんが離れていくのを待っていたからですか? もしもそうなら茉依さんがあまりにも可哀想っス。茉依さんは少しの時間でもゆーさんと一緒にいたかったから一番端の教室から端の教室までほぼ毎日通ってたんじゃないっスか。離れたくない気持ち一心で通ってたんじゃないんスか。それでも休み時間は短い。だから紙ヒコーキを飛ばして少しでも長い時間自分のことを思い続けてもらおうと手紙の様に文章を書いていたんスよ。50分のうちのたった1秒でもゆーさんの心に茉依さんはいたかったんスよ。茉依さんがどれだけ紙ヒコーキを大切にしているかはゆーさんが一番知っているでしょ!」
ぼくは……ぼくは……。
「茉依さんは今日学校を休んでいます。だから早く茉依さんの所へ行ってください」
「なんで石田がそんなこと」
「今朝茉依さんからメール来たんスよ。『体長悪いから先生に休むって言っといって』って。茉依さんは俺が謹慎になってること知らなかったみたいっスね。もちろんゆーさんにメールしなかったのは違うクラスだからという理由と気持ちを察してあげてください」
「石田……」
「ゆーさんは1秒でも長く俺と話していたいんスか。それとも、1秒でも早く茉依さんに会いたいんスか」
「…………茉依に会ったらまた来る。でもその前にこれだけは言わせてくれ。石田と話せてよかった。ありがとう。それじゃあ行ってくる!」
「いってらっしゃい。きっとこの雨もそう長く続かないっスから――」
石田は不思議なことを最後に言い残してインターホンを切った。
今度石田には何かお礼をしよう。そしてしっかり面と向かって謝ろう。
いつもの毎日をまた送るために。
カンパニュラ。花言葉は、『感謝』『抱負』『思いを告げる』などです。
次回話に続きます。




