ネコヤナギ
カーテンを開けると雨が降っていた。空とアスファルトに濃灰色が広がり、屋根から滴り落ちる雨粒は地面の水溜りへと落ちていく。雨音だけが聞こえていて静かだ。
薄暗い部屋を歩いて枕元に置いてある携帯電話を手に取る。メールの着信があったときに光る緑色のランプが点滅していた。
「朝から誰だ?」
ぼくは寝ている間は携帯電話をサイレントマナーモードに設定している。以前はマナーモードにもしないでただ枕元に置いていたのだが、夜中に何度かメールがきて起きてしまったことがあった。それから眠れなくなり、ほとんど授業に身が入らない状態に陥った。間違いメールやいたずらメールなら気にしなくていいのだが、茉依からのメールだったせいで無視もできず、茉依が飽きるか寝落ちするまで付き合ってあげたのも原因のひとつだった。
茉依は意外にも夜遅くまで起きていることが多い。何をしているのか聞いてみたところ「とくになにもしてないよぉー」と呑気な返事が返ってきた。テレビを見たり本を読んでいるらしいが、学校もあるのだから眠ればいいのにと時折思ったりもする。
メールボックスを開いてみると茉依からのメールが届いていた。それも朝の5時半過ぎだ。メールの内容は『今日は先に学校行くね』というものだった。
「いったい何時から学校行くつもりだよ……」
そんなわけでぼくは一人で登校することになった。何も毎日待ち合わせて通学しているわけじゃないからわざわざメールしなくてもいいのにと思ったけれど、ほぼ毎日通学途中で会っていたせいか、まるで待ち合わせていたような感じになっていたのかもしれない。ただの偶然なのに茉依の心配りには心底感心するものがある。ぼくは一応『いま起きてメールみたよ。学校でね』とメールを返して制服に着替えた。
学校へと向かう通学路は色とりどりの傘で覆われていた。赤に青にみどりに黄色。ほとんどの割合で女子生徒が色鮮やかな傘を差していた。それに比べて男子は定番の黒や紺色やビニールの透明傘が目立つ。 しかし、それよりも目立っている男子生徒が1人いた。
よく時代劇なので見るような骨の多い和傘を差して歩いている。それも赤色だ。ぼくは一定の距離を置いて後ろから見つめていた。いったい何年生でどこのクラスなのか気になった。学校に着くとぼくと同じ2年生の昇降口へ入って行った。
「あんな傘差した奴が同学年にいたんだ……」
さらにどこのクラスの下駄箱へ向かったかをみた。そこは茉依のいる8組だった。和傘を持った男子生徒よりも早く上履きに取り換えて8組の下駄箱前を横切ってみた。すると、ぼくの視界に映ったのは予想外の人物だった。いや、8組だと分かった時点で頭のどこかで実は考えていたかもしれない。
和傘を持っていたのは石田だった。
「あれ、ゆーさんじゃないっスか。今日は茉依さんと登校しなかったんスか?」
「何も好きで登校してるわけじゃない。それよりも石田の傘……」
「え、あぁこれっスか? かっこいいっスよね! 俺こういう和テイストな感じ好きなんスよねー。なんつーっスかね、日本って感じしませんか?」
だからってよく学校に和傘を差して来れるな……。それにどこで和傘なんて買ったんだ?
ぼくは傘を差して来たことよりもどこで買ったのかが気になっていた。斯く言うぼくも実は和傘とか着物とか草履とか、日本独特の文化が好きで少々興味があった(もちろん買ったとしても学校に差してくる勇気はない)。
「まぁ感じるけどさ……石田の後ろ歩いてたからわかるけど、かなり目立ってたぞ?」
そもそも校則違反の服装に髪の色と全て目立っているわけだから傘だけ地味だったとしても変わらないけどさ……。
「でもかっこいいじゃないっスか。俺は基本的にかっこ良いかかっこ良くないかがポイントなんスよ。それに雨の日って憂鬱じゃないっスかー。空も暗いしみんなのテンションも低いし、せめて自分だけでも明るくいないと窮屈でつまらないっスよ――――」
石田はときどき核心を突いたことをいう。かっこ良いかかっこ良くないか、たしかにこれはとても重要だ。少なくともぼくはそう思う。
「あとみんな同じような傘じゃないっスか。よく中学のときとか傘盗まれたんスよねー。盗まれたは言い方が悪いっスね。間違って持って行ったが正しいっス。きっとその人もわざとじゃないと思うんスよね。だからあえてちょっと派手な傘にしたのも理由の一つっス。この傘なら誰も間違って持っていかないでしょ?」
持っていくはずがない。この学校で和傘を差す生徒はきっと2年8組の石田浩介くらいだ。
「まぁたしかにそうだな」
そうして話していると、黄色い雨合羽を羽織った女の子が階段を駆け降りてきた。
慌てているのかぼくらの横をもの凄い勢いで通り過ぎて行った。そして8組の下駄箱から靴を取り出して外へと出て行った。きっと何か重要な忘れ物をしたのだろう。
「なぁ石田、今日はなにか提出物でもあるのか?」
「いや何にもないっスよ。たぶんっスけど……。あの子誰っスかね?」
「雨合羽のフードも被って着てたから顔見えなかったなぁ。でもあの背丈は見覚えがあるような……」
「俺もなんスよねー。ゆーさんも見覚えがある8組の女子といえば一人じゃないっすか……?」
石田が想像している人物をぼくは石田よりも先に思い浮かんでいたと思う。
あの女の子はきっと茉依だ。
でもどうしてあんなに急いでいたんだ?
早く登校しといて忘れ物でもしたのか?
少しして黄色い雨合羽の女の子が戻ってきた。ぽたぽたと雫が滴り落ちている。そんな彼女の手には一機の紙ヒコーキが持たれていた。
間違いない。茉依だ。
「あれ、ゆーちゃんにこーくんだぁ。朝から2人で登校なんてどうしたの? あ、挨拶してなかったからするね。おはよーございます」
律儀に頭を下げるもののフードに点いている雫が見事にぼくらに飛んできた。
「あぁごめんね! えっと、ハンカチハンカチは~っと……カバンの中だよぉ~」
ポケットに手を入れて探す茉依の頬に雨粒が点いてまるで泣いているように見えた。さすがの茉依でもハンカチがないくらいで泣くことはない。
「大丈夫だから。それにしてもすごい勢いで外に出て行ったけど何かあったのか?」
「今日はね、雨の日でも紙ヒコーキを飛ばして文通できるかなぁ~と思って色々な実験をしてたの!」
ん? 実験?
「それで紙ヒコーキを持ってるんスか?」
「そだよー。結果は飛ぶけれど紙が濡れて中の文字が読めなくなるだったのー。とくにボールペンとか鉛筆は雨で溶けちゃってダメみたい……。油性のマジックなら文字は消えないんだけど、結局紙がびしゃびしゃであまり触りたくないなぁーってことになったの」
ぼくはまたもツッコミそうな気持ちを抑えていた。
実験しなくても分かることじゃないか!?
そもそも雨の日に外へ飛ばす必要はあるのか!?
雨の日だろうと晴れの日だろうと紙ヒコーキを飛ばすのは教室内だけだろ……。
毎回毎回茉依には手を焼かされる。……ん。まてよ?
「なぁ茉依? もしかして教室から紙ヒコーキを飛ばしたわけじゃないよな?」
「えぇ!? そ、そんなことしないよ! うん、ないない! 絶対ないよ!」
あぁ。これはもう完璧に嘘だ。ここまではっきりわかる嘘を付かれると逆に怒る気もしなくなる。目は泳いでるし、声は上ずってるし、手の動きが普段よりもオーバーだ。
茉依が朝早く学校に行った理由が分かった。誰も登校していないうちに教室から紙ヒコーキを飛ばしていたんだ。職員室からは見えないから実験をするにはもってこいだったのだろう。
まったく子どもだなぁ。
「わかったわかった。もういい時間だから教室向おうか。それと茉依はしっかり髪とか拭いた方がいいぞ。風邪引いちゃうし」
「そうだね。それじゃあ教室遠いから先にいくねー。ゆーちゃんまたね。いこ、こーくん」
「そうっスね。それじゃあまたあとでっスゆーさん」
「床滑るから走るなよぉーって聞く耳持たずだな……」
茉依の実験は本当に馬鹿げてる。子どもでもちょっと考えればわかることだ。でもきっと茉依は証明したいんだ。考えた通りの結果になるのか、それとも違う結果になるのか。たとえうまくいかなくたって茉依には十分なのだろう。なぜなら実験とはそういうものだから。
茉依のような、子どものような発想がなければ成功しないこともあると思う。
そう。ぼくがもっと子どもっぽかったならば素直に気持ちを伝えられるのかもしれない。
実験に必要なのは失敗を恐れない心だけど、まだぼくには足りないみたいだ。
ネコヤナギ。花言葉は、『率直』『自由』『自由な心』『親切気まま』『思いのまま』などです。




