第11話 ファッションショー
夕方、リビングのテーブルは、見たことのない色で埋まっていた。
白。
黒。
灰色。
くすんだ青。
薄いベージュ。
袋から出された服が、畳まれたり広げられたりしながら並んでいる。
フード付きのパーカー、細身のパンツ、柔らかい長袖、帽子、靴下、スニーカー。
耳の形に合わせて少し加工の必要そうなものまであった。
「何これ」
悠真が言うと、
九条は淡々と答えた。
「服です」
「それは見ればわかる」
「では質問の精度を上げてください」
「何でこんなにあるんですか」
「外へ出るなら必要だからです」
それだけだった。
だが、その一言で部屋の空気が少し変わる。
外へ出るなら。
昨夜、自分たちで口にした言葉だ。
その橋がもう、服という具体物になって、目の前へ積み上がっている。
これを着せて外へ連れ出したら、きっと目を引く。そう思った瞬間、悠真の胸のどこかがひどく浅い誇らしさで熱くなって、自分で嫌になった。
「先輩、これ全部選んだんすか」
紙袋を抱えてきた圭介が、半分呆れたように言う。
「一部は買いました。一部は手持ちを持ってきました」
「何でそんなに手持ちがあるんですか」
「服は普通に持っていますが」
「そういう意味じゃなくて」
圭介が言葉を探しているうちに、
ブランがもうテーブルへ張りついていた。
「いっぱい」
「いっぱいだな」
悠真が苦笑すると、
白銀は目をきらきらさせたまま言う。
「これ、ぜんぶ、きていい?」
「全部ではありません」
九条が即答する。
「まずは必要なものからです」
「ひつよう」
「外に出るための、安全な服です」
その“安全”を、九条は少しだけ強く言った。
ノワールは、少し離れた位置から服を見ていた。
近づきすぎず、だが無関心でもない。
表情はいつも通り静かだ。
でも、視線の動きだけが細かい。
「これは」
黒金が低く言う。
「耳は、どうするのですか」
「そこは加工します」
九条が答える。
「フードに切れ込みを入れるか、耳の形に沿う柔らかい素材へ変えます」
「尾は」
「後ろに余裕を取ります」
「歩行時の視界確保は」
「帽子のつばは短めにします」
問われるたびに答えが返る。
少しも迷わない。
悠真は、それを見ながら妙な気分になった。
九条は、緊急時だけ強い人ではない。
こういう、生活の入口みたいな場面でも、先に必要な形を見つけてしまう。
「まず、ブラン」
九条が呼ぶ。
「はーい」
「返事だけは元気ですね」
「げんき」
白銀はすぐ前へ出た。
パンダをソファへ置く。
その動きが妙に軽い。
九条はテーブルの上から、薄いアイボリーの長袖と、やや柔らかめのパーカーを選んだ。
真っ白ではない。少しだけ色味を落としてある。
下は動きやすい細身のパンツ。尾のための余裕も見てある。
「まずはこれです」
「しろい」
「白すぎません」
「でも、しろい」
「はい」
九条はあっさり頷いた。
「似合うと思ったので」
その一言で、ブランの顔がぱっと明るくなる。
「ほんと?」
「はい」
「じゃあ、きる」
単純で助かる。
着替えを手伝うのは悠真になった。
サイズ感を確かめながら袖を通す。
白銀の装甲はひやりとしているのに、服が重なると少しだけ柔らかく見える。
耳の根元を引っかけないよう気をつけながらフードを整えると、
ブランは鏡の前でくるっと回った。
「どう」
と訊く前に、
もう自分で嬉しそうだった。
「……かわいい」
悠真が言うと、
ブランは即座に振り返った。
「ほんと?」
「ほんと」
「かなり?」
「かなり」
その答えで満足したらしい。
白銀は得意げに胸を張る。
次はノワールだった。
「選んでいいのですか」
「ええ」
「自分で」
「そのために並べました」
九条が言う。
「あなたは、そちらのほうがよさそうなので」
その見立てが正しいとでも言うように、
ノワールは少しだけテーブルへ近づいた。
ブランとは違って、手が止まる。
一着ずつ見る。
素材を触る。
袖の長さ、肩の可動、裾の重さ。
かなり細かい。
「これ」
最初に取ったのは、黒に近い濃灰の長袖だった。
装甲の色と近い。
「地味」
ブランがすぐ言う。
「安全です」
ノワールは平然と返す。
次に選んだのは、軽いジップパーカーだった。
フードは深すぎない。耳の形に合わせやすい。
下は伸縮性の高いパンツ。
「これがいいです」
「理由は」
九条が訊く。
「動きやすい」
「他には」
「落ち着きます」
その答えに、悠真は少しだけ目を上げた。
兄を守るため、と言うのかと思っていた。
けれどノワールは、まず自分がどう在りたいかで選んだ。
「それでいきましょう」
九条が言う。
「必要なら補正します」
「お願いします」
着替え終わって出てきたノワールは、
予想していた以上に“整って”いた。
黒に寄せた色。
細すぎずだぶつきすぎないシルエット。
動きやすいのに、だらしなくは見えない。
耳も尾も不自然ではなく、むしろ最初からそのために作られていた服みたいに見える。
九条が袖口を少し直し、肩のラインを整える。
それだけで、ノワールの立ち姿がひとつ完成した。
「どうですか」
黒金が訊く。
その声は平静だった。
でも、たぶん少しだけ気にしている。
「可動に問題はありません」
九条が先に答えた。
正しい返答だった。
だが、ノワールの視線は一度だけそこで止まり、
ほんのわずかに落ちた。
「……似合う」
悠真が言う。
「かなり、いい」
そのあとで、九条も気づいたように付け足す。
「見た目も、よく合っています」
そう言うと、ノワールは一度だけ視線を逸らした。
「兄の声が少し変です」
「うるさい」
悠真が即答すると、
ブランがすぐに笑った。
「ノワール、かっこいい」
「そうですか」
「うん。でも、ちょっと、ずるい」
「何がですか」
「なんか、ちゃんとしてる」
その雑な評価に、圭介が吹き出す。
「わかる」
「わかるんですか」
「わかる」
そこから先は、ほとんど本当にファッションショーだった。
ブランは「もういっこ」「これも」「それ、きになる」と次々に手を伸ばす。
九条はその都度、露出が多すぎるもの、動きにくいもの、目立ちすぎるものを切っていく。
だが頭ごなしには否定しない。
「それは二回目以降です」
「これは室内なら」
「そちらは写真だけなら」
微妙に希望を残す。
その匙加減が絶妙だった。
ノワールは逆に、一着ごとの意味を確かめる。
「これは、靴音が大きくなります」
「外ではそれも必要です」
「なぜですか」
「気配を消しすぎると逆に不自然です」
「なるほど」
「それと」
九条はフードの形を整えながら続ける。
「隠しすぎるのも怪しいです」
「……難しいですね」
「外は難しいですよ」
九条の返しに、ノワールは少しだけ黙る。
「はい」
その“はい”が、妙に素直だった。
最後に、リビングの端から端までを勝手に“舞台”にして、
ブランが歩き、
ノワールが歩き、
九条が最終確認をして、
悠真が一人で勝手に刺さっていた。
ブランは歩くたび、見てほしいのが丸わかりだ。
ノワールはそこまで露骨ではない。
だが、立ち止まる位置や視線の置き方が妙に整っていて、
本人が思う以上に見栄えがいい。
「おにいちゃん」
ブランが呼ぶ。
「ん」
「そとでも、みてね」
まっすぐだった。
「ちゃんと」
「……見るよ」
悠真が答えると、白銀は満足そうに笑った。
ノワールは、その隣で静かに言う。
「私は」
「うん」
「外でも、これで行きたいです」
兄のために、ではない。
まず、自分がそうしたいから。
その選び方だった。
悠真は、一瞬だけ返事に困る。
困って、それでも笑った。
「そっか」
「はい」
「じゃあ、それで行こう」
その答えで十分だったらしい。
ノワールは小さく頷いた。
九条が袋をまとめながら言う。
「明日は、まず短く歩きます」
「すぐ駅前とかじゃないのか」
圭介が言う。
「いきなり広げません」
九条は即答した。
「外は待ってくれませんが、こちらも段階は守ります」
九条の言葉は正しい。正しいのに、その段取りだけでは守れないものがある気もして、悠真は返事を飲み込んだ。
その会話の温度が、少し明るくなる。
テーブルの上には、明日使う服がもう分けて置かれていた。
白に寄ったものと、黒に寄ったもの。
耳や尾のために手を入れる場所には、九条が小さく付箋まで貼っている。
家の中だけでは終われない。
それだけが、服の形で残った。
悠真はソファの背に手をかけたまま、しばらくその山を見ていた。
明日、二人はこれを着て、外を歩く。
その現実だけが、妙に鮮明だった。




