8話 「酷いことされたら引っかいてやるからな」
鼻歌混じりに、ロザリーは朝食を頬張っていた。その様子を、テーブルに寝そべるウェルシュが目を細めて見つめている。
「ロザリー、昨日からずいぶん機嫌がいいな」
呆れ半分といった様子で、ウェルシュが尋ねた、が、そんなウェルシュには気付かずに、ロザリーはくるりと笑顔で振り返る。
「そうなの! もしかしたら私の魔法についてどうにかなるかもしれなくて」
「お前なあ、その魔法使いの言うことを信じたのか?」
訝しげなウェルシュに、ロザリーは珍しく行儀の悪い仕草でくるくるとフォークの先端を揺らした。
「昨日言ってた人、ちゃんと話せる人だったよ。研究を手伝う代わりに、私の魔法の特訓を手伝ってくれるって」
「なんだそれ、お前騙されてるんじゃないのか?」
威嚇するようにウェルシュの尻尾が逆立つ。
「ううん、実験に何するかは分からないけど無茶なことを要求されているわけじゃないし、私も必死なの。頼れるものはなんでも頼りたいのよ」
息巻くウェルシュを宥めるため、ロザリーは皿の上のパンを一つ口の前へと差し出した。きょとんと目を瞬かせて口を開く。もしゃもしゃとトーストを咀嚼するウェルシュは、それでもじとりとロザリーを見上げた。
「けぷ。先生とやらじゃ駄目なのか?」
「ううん、前はお願いしてたけど、先生たちもいつも時間があるわけじゃないから……」
個人的に補修をしている時間はない。そう言って断られたことを、ロザリーは思い返す。別に、その先生が特別冷たかったわけではないのも理解していた。学院には多くの生徒が通っている。よほど優秀ではない限り、一人一人に割ける時間は少ないのだ。むしろ今の担当の先生は、厳しい先生だがロザリーを気にかけてくれている方だ。
ロザリーの手が止まったのを見て、ウェルシュがツンと小さな手で皿をつつく。
「おい、食べないならおれが食べちまうぞ」
「さっきパンもあげたし、ウェルシュは自分の分はもう食べたでしょ。それは私の」
ウェルシュに取られないように皿を奪い返し、残っていた目玉焼きを口へと運んだ。
「……むう。なあ、本当に行くのか?」
「うん、行くよ。それでも私は魔法を使えるようになりたいの」
ウェルシュはもごもごと口を動かして、やがて、はあとため息をついた。まるで猫らしからぬ動きは、いつ見てもロザリーの気を抜いてしまう。口に出せばきっとウェルシュは怒り出すだろうが。
「分かったよ。お前の友達じゃないけど、酷いことされたら引っかいてやるからな」
「もう、大丈夫よ。それよりウェルシュの方が危ないんじゃない?」
からかうようにロザリーは、つんつんとウェルシュの背中の柔らかな毛をつつく。
「おれが?」
きょとんと口を開けるウェルシュに、珍しく悪い顔をしたロザリーがわしっと手を掴んだ。
「だって、ウェルシュってまるで使い魔らしくないし、こんなにお話できる子なんて珍しいんでしょ?」
「そうだよ。おれはヴィオラと契約してからうんと長生きしたからな。それで話せるようになったんだ」
まるで胸を張るように、ウェルシュが体を逸らす。
そう、ウェルシュは実際のところ、ロザリーの使い魔ではないのだ。魔法使いは、家族から使い魔を譲り受けることがある。未熟な魔法使いが自分の使い魔を持てるまで、経験深い使い魔と契約することは多いのだ。
だが、ウェルシュとロザリーは契約すらしていない。
授業にもついていけないレベルの魔法しか使えないロザリーは、悲しいことに使い魔と契約することすらできなかったのだ。ウェルシュはロザリーの祖母であるヴィオラの使い魔であり、その契約は今も継続されている。
「テオさんとか、研究熱心な先生とかに見つかったら、ウェルシュ捕まって色々調べられちゃうかもだよ」
「ふにゃっ!?」
ロザリーの脅し文句に、ウェルシュの毛がぶわっと逆立った。
「ウェルシュはそもそも私の使い魔ってことで寮に置いてもらってるのに、もしそうじゃないってばれたら連れて行かれちゃうかもね……」
ぎゅうっとウェルシュの胴体をロザリーが撫で回すと、警戒したように尻尾がぴんと針金のように突っ張る。
「そ、そんなわけないだろ! それに、おれがついててやらないと寂しいくせに!」
「ふふ、そうだね。だから尚更ばれないように、大人しくしててね」
「うううーーっっ……」
ロザリーが脅かしたせいか、すっかりウェルシュは大人しくなってしまった。
「大丈夫だよ、脅かしてごめんね」
「脅かすな! もう一口トーストよこせ!」
「それは駄目。私の分無くなっちゃう」
ウェルシュの背中を梳くように撫でてやると、少し調子を取り戻したようでウェルシュはふんと鼻を鳴らす。
「むう。なんにせよ、まあ教えてくれるなら技でもなんでも盗んでこいよ。上手くいくといいな」
ぎこちないながらも励ましてくれるようなウェルシュの言葉に、少し気分が上を向く。たとえ直接魔法の上達に繋がらなくても、きっと天才と呼ばれる人の近くにいれば、学べることがあるはずだ。
食べきったお皿をまとめて片付け、学院にいくための身支度を整える。
「精一杯今日も頑張らなくちゃね」
一通り準備をすませ、荷物もまとめ、部屋を出ようとするとウェルシュが足にぎゅうっとしがみついてきた。
「今日は俺もついていってやろうか?」
その様子に、素直に珍しいとロザリーは目を丸くする。いつも勝手についてくるか、いつの間にかいなくなっているかのどちらかだと言うのに。
「いいけれど喋っちゃ駄目よ。家で待ってるの寂しくなっちゃった?」
ウェルシュを抱き上げて、肩に乗せてやる。するとロザリーの肩が定位置のようにウェルシュは丸くなった。これでもあまり重くないし、ロザリーが気を使わなくても落ちないのだ。器用に乗っているものである。
「そんなんじゃねえよ! おれはロザリーのお目付け役だからな」
そんなことを言っているが、普段ロザリーのいない時は自由に街やらを散策しているのだ。お目付け役とは、ウェルシュの自称である。
「はいはい、よろしくね」
鞄を抱えて、部屋を出る準備もできた。
「行ってきます」
小さい頃からの癖で、誰もいない部屋でもそう言ってしまう。だがロザリーは、祖母が見送ってくれているような気がしてつい口をついてしまうのだ。
(次の長期休みになったら、はやくおばあちゃんの元に帰りたいな)
そんな思いを抱きつつ、自室を後にした。
*
「あら、今日は使い魔ちゃんも一緒なのね」
教室に着くと、ロザリーを見つけたアマリアが手を振った。そのまま隣に座ると、アマリアがロザリーの肩に寝転ぶウェルシュに、手を伸ばす。するとウェルシュは器用にするりと抜け出して、ロザリーの膝で丸くなった。
「もう、相変わらず警戒心が強いんだから」
「人見知りなんだ、ごめんね」
ウェルシュはあまり家族以外の人間に触られることを好まない。アマリアとも初対面ではないのだが、まだ触られるのは嫌なようだ。
「ロザリーが謝ることじゃないでしょ。それにしても変わった使い魔ね、元々おばあ様の使い魔だったんだっけ」
そう言うとウェルシュがにゃーお、と同意するように鳴く。きょとんとアマリアがその様子を見て、ロザリーは慌てて誤魔化すように笑った。
「そ、そうなんだよね。おばあちゃんはすごい魔法使いで、ウェルシュも昔から使い魔だったから主以外の言葉も結構分かるみたいで」
そしてこっそりとウェルシュのお尻を軽く抓る。ぴゃっとウェルシュの尻尾が膨れて、ぎっと睨まれる。勿論、ウェルシュ以外にこんなことはしない。
普通魔法使いの使い魔は、自分が見初めた動物と契約を交わす。どんな動物でもいいけれど、お互いに信頼関係が必要で、高度な魔法を使えば感覚を共有することさえできる。それは、痛みすら返ってくる恐ろしいもので、それすら許容できると互いに思える相手でなければならない。
まだロザリーは入学したばかりであるし、使い魔との契約はまだ授業としては先になる。だが、既に使い魔のいる生徒は少なくはない。アマリアもその一人だ。
「アマリアの使い魔の子は、いつもいないね」
「そうなのよ、あたしについてるよりも外を飛んでいる方が好きみたいで。使い魔の授業が始まるまでには慣れて欲しいんだけど」
はあ、とため息をつくアマリアの使い魔は、確かカラスだったはずである。とても自由な性格のようで、アマリアの言うことをあまり聞かず、昼間はほとんど見かけない。ロザリーも、アマリアの部屋に遊びに行った際に、籠の中にいるのを一度見かけたくらいだ。
「そういえば、テオ・ランベールのことだけど、どうするか決まった?」
「ああ、それなんだけど……」
結局タイミングが合わず、アマリアには昨日引き受けに行ったことも相談していなかった。少し口ごもるとアマリアは不思議そうにこちらを見つめる。何となく気まずくなったロザリーは、オズおずと口を開いた。
「昨日、会いに行って、引き受けたの」
「ええ!?」
アマリアの大声で、教室の何人かが振り返る。それに気付いたアマリアは慌てて声をひそめ、ロザリーの方へと少し身を寄せた。
「き、昨日って……もうやるって言っちゃったの? 一言相談してくれたらよかったのに!」
ひそひそ声で詰め寄るアマリアに、少し申し訳なく思いつつも言葉を返す。
「ごめんね、引き受けようと思ったら足が動いちゃって。で、その代わりにテオさんに魔法を教えてくださいってお願いしたの。別に、何も考えないで受けたわけじゃないわ」
「そうなの?」
アマリアは少し納得しかねているようだが、ふいに私の手を取った。
「ロザリーが決めたことなら止めたりしないけれど、何かあったらすぐに言うのよ。酷いことされたり、嫌なこと言われたら言って、あたしがぶっ飛ばしてあげる」
本当に頼もしい友人と使い魔に恵まれたと、自然と笑みが溢れる。
「もう、笑い事じゃないのよ……」
「ごめんごめん。でもありがとう、アマリア」
その手をぎゅうっと握り返すと、アマリアはほっと息をついてゆっくりと手を離した。
「で? 協力って、具体的に何するの?」
「そうだなあ……。どういうことをするかはまだ聞いてないけど、それも今日説明を受ける予定」
「あら、そうなのね。毎日はやめてね、あたしが寂しいから」
冗談めかして言うアマリアに、また顔が綻んでしまう。
「分かってるわ。今度のお休みの日は、お買い物に行こうよ。私まだ街のこと全然分からないから」
「もちろん!」
そんな話をしていると、教師が教室に入ってきた。
慌てて居住まいを正し、教室が静まり返る。先生の話を聞きながら、まだ会って間がないけれどアマリアと友達になれてよかったとロザリーは安堵していた。




