5話 「くれぐれもあまり目立たない方がいいわ」
「ロザリーが朝疲れてたの、あれのせいだったのね」
アマリアが窓枠に頬杖をつき、眼下を見下ろしながら言う。対してロザリーといえば、学舎の窓の下、外からは見えない壁際に体を縮めてしゃがみ込んでいた。
「……まだいる?」
「ええ。あなたのこと、探し回ってるわ」
アマリアが窓の外を指差す。ロザリーは床に膝をついて、こっそりと頭だけを窓から出し、その下を覗き込んだ。見えるのは中庭である。そこに青年はいた。
薄紫色の結われた長髪が、陽光にきらきらと輝いている。その青い瞳は、鋭く周囲を窺っていて、険しい表情をしていた。
ロザリーとアマリアがランチを取っていた場所は、すっかりあの青年に占拠されてしまっている。どうやら待ち伏せしているようで、ロザリーはうう、と力なく呻き、再度縮こまってしまった。
「あの人、一体何なの……? 私、ちゃんと説明したのに……」
「中庭が、まるで違う景色みたいに変わったんだっけ?」
アマリアの言葉に、ロザリーは首肯する。
昨日の後ロザリーは自分よりも知識があるだろうと、アマリアにも中庭で起こった異変について分からないかと相談したのだ。その時は、話しかけてきた女の魔法ではないかと言われ、ロザリーも納得したのである。
「私があんなすごいことできるわけないし、してないし、あの女の人を探した方が早いと思うけどなあ……」
そう言ってロザリーは、床で膝を抱え込むしかなかった。アマリアはそんな様子を見て、肩を竦める。
「本当にロザリーがやった可能性も捨て切れないわよ」
「そうなの?」
はっとロザリーが顔を上げると、アマリアはにまっと口角を上げて悪い顔をした。
「少なくとも、テオ・ランベールはそう思ってるってことでしょ。ほら、お昼食べる場所を探さないと、授業が始まっちゃうわよ」
アマリアに促されて、ロザリーは立ち上がる。軽くスカートを払って、先に歩き出したアマリアにこそこそと続いた。
「ランベール、さん? っていうの? ……あの人、有名なの?」
元々学院に知り合いがいなかったのもあり、ロザリーには聞き覚えのない名前である。ロザリーが首を傾げると、アマリアは驚いたように目を見開いた。
「知らなかったの? 有名も有名よ。魔法の天才で、この学院の主席。それも入学してからずっとよ」
「ええっ!? じゃあ入学する前から魔法を使いこなしていたの?」
今度はロザリーが驚いて、素っ頓狂な声を上げる。するとアマリアがふふんとーー自分のことでないのにーー自慢げに話を続けた。
「そうらしいわ。規格外の魔力量と、幼い頃から鍛えた技術。その凄まじさに、本当は妖精なんじゃないかともっぱらの噂ね」
そこまでの魔法使いであることに、ロザリーは改めて驚く。一体幼少期からどれだけの練習をしたのだろうと思いを馳せたが、ロザリーには想像もつかなかった。
「その上、あの美形に貴族の子息だったかしら。そりゃ注目の的にもなるわよね」
やっと、今朝あんなに人が集まっていた理由にロザリーは納得する。常日頃から注目される存在であるテオに声をかけられれば、それは目立つだろう。あそこで振り切ってよかったと、ロザリーは少し安堵する。
学舎の中を歩きながら話していると、空いている教室を見つけた。そして、ようやく一息つけると、各々持ってきたものを広げ始める。
ロザリーは二つある弁当を温めて、そのうちの一つをアマリアへ渡した。そしてアマリアからは、小さなバスケットを一つ受け取る。
「はあ、お腹空いた。あたしロザリーの料理大好きなのよね」
アマリアが待ちきれないというように、弁当を開けた。今日は、豆と根菜を煮込んだものと、チーズを包んで焼いたパイが入れてある。顔を綻ばせるアマリアに、ついロザリーも笑みをこぼした。
「ふふ、ありがとう。私もアマリアが作ってくれるお菓子、大好き。おばあちゃんが作ってくれるのと同じくらい好きだよ」
アマリアはお菓子作りは店で売っているかと思うほどの腕前であるのに、料理自体は苦手らしい。ロザリーはその逆で、料理は得意な方だがお菓子作りはそもそもあまりしたことがなかった。
「そこは勝てないのね。そんなに言うなら、いつか食べてみたいわ」
ロザリーの祖母も、昔はよくお菓子を作ってくれた記憶がある。幼少期は、魔法の特訓終わりにもらえるご褒美の焼き菓子がたまらなく好きだったのを、ロザリーはよく覚えていた。そんな話をすると、久しぶりに食べたくなってしまう。
「今度帰省したら、おばあちゃんに作ってもらえるように頼んでみるね」
「本当? 楽しみにしてるわ!」
弁当を食べながら、そういえばと思った疑問をアマリアに投げかける。
「そういえば、どうして貴族の人がこの学院に通っているの?」
ロザリーの知る限り、学院は平民の生徒が通うものだと思っていたのだ。
「別にいないわけじゃないわ。あたしたちのクラスにはいなかったけど」
アマリアが食べていたパイを飲み込んで、一度食事の手を止める。
「貴族の子息は大体、魔法の使える子だと分かったら自分の家で教育するのよ。そもそも魔法は血筋によることが多いし、家系で得意な属性もある。古い家なら、大体その家ごとの教育の方法があるはずだもの」
「へえ、すごい! 自分の属性に合った練習方法が、もう用意されてるってことなの?」
ロザリーからしてみれば、羨ましい話である。我流でどれだけ特訓してみても、魔法は一向に上達する気配もない。
そんなロザリーの心中が透けて見えたのか、アマリアは少し肩を竦めた。
「そんなところ。でも、貴族はあくまでそういうことが多いってだけ。当主か本人の希望かは分からないけど、学院に入る貴族も最近は少なくないのよ」
「そうなんだ」
今の話を聞いてますますロザリーは、テオが自身を探す理由が分からなくなった。ううん、と悩み出すロザリーに、アマリアは少し遠い目をして薄く笑む。
「……まあロザリーが望まないなら、くれぐれもあまり目立たない方がいいわ」
少々含みのある言い方だ。だが目立ちたくないというのは、ロザリーも同感である。
「私もその方がいいな。ただでさえクラスで浮いてるのに、これ以上遠巻きにされるのはいや……」
ロザリーは田舎育ちで世間知らずだが、できることならもっと色んな人と話してみたいと思っていた。本当はクラスにも馴染みたいのだが、ああいう風にひそひそと色々言われた相手に自分から話しかけるほどの勇気はない。
ロザリーは悲しい気分を払拭するように、アマリアが作ってくれた焼き菓子を口に運ぶ。その甘さに、少し慰められたような気がした。
「あー、ロザリーの気にしてるような理由じゃないわよ。まあ、女の反感は買うかもね」
肩を落とすロザリーに、言いにくそうな顔でアマリアが告げる。
「女の子の反感? ランベールさんって皆に注目されていたのに?」
ロザリーが問いかけると、アマリアは渋い顔をした。歯切れ悪い声を上げながら、豆の煮込みを頬張っている。
「本当に聞く? 別に大したことじゃないけど」
「ええ? うん、そこまで聞いたら気になるし」
アマリアは一つため息を吐いた後、分かったと了承を返してくれた。
「テオ・ランベールってあの顔に、貴族の子息。将来は優秀な魔法使いになるでしょうから、爵位がなくても安心できる。つまり学院の女達に人気なのよ。面食いで玉の輿狙いの女には特に」
神妙な顔で言うアマリアに、思わずロザリーはパチパチと目を瞬かせる。テオ・ランベールという人がすごいのは分かったけど、皆そこまで考えているとは思わなかった。
「確かにキラキラしたした顔の人だなあとは思ったけど、それだけで将来のことまで考えたことなかったな。皆すごいね」
感心して頷いていると、アマリアのじとりとした視線がロザリーに刺さる。
「あたしは、テオ・ランベールに対してその感想が出るロザリーの方がすごいと思うけど」
「そう?」
ロザリーが意味を測りかねて首を傾げると、アマリアは肩を竦めた。ご馳走様、と食事を片付け始める様子を眺めながら、浮かんだ疑問をロザリーは口にする。
「じゃあアマリアも玉の輿狙ってるの?」
そう聞いた瞬間、アマリアはぎょっとした顔をして手を止めた。
「まさか! 私は自分でしっかり身を立てたいの。そのためにここに通ってるのよ」
そういえばアマリアは、将来薬師を目指していると言っていたことをロザリーは思い出す。
「ふふ、アマリアもすごいよ」
本人はそんな素振りを見せないが、アマリアは勤勉だ。座学もなんだかんだ、上位陣には食い込んでくる。魔法も、得意な土属性とやりたいことが噛み合っていて、成績もいい。
「そんなんじゃないわ。平民なら生きる道はほとんど選べないけど、魔法使いなら別ってだけ」
そう言ってアマリアは一つ咳払いをして、いそいそと片付け終えてしまう。少し彼女の鼻の頭が赤いのを横目に、ロザリーも荷物をしまい始める。
「ロザリーは? 魔法は特訓中として、将来何になりたいの? 玉の輿狙ってるわけじゃないでしょ」
その質問に、ロザリーの手が一瞬止まった。おずおずと顔を上げてアマリアを見ると、その目は好奇心で輝いている。
「……まだ、なにも考えてないよ。私がここにきたのも、おばあちゃんに言われたからだし」
僅かな逡巡の後、ロザリーは眉を下げて言った。アマリアは少し目を見開いたものの、ふっと表情を緩めて、ぽんとロザリーの肩を軽く叩く。
「そう。やりたいこと、見つかるといいわね」
「……うん、ありがと」
そうして、どちらともなく昼食を食べ終えたロザリーたちは、片付けをして立ち上がる。
「ごめんね、あの人が諦めるまでは、こうして転々としながらお昼を食べることになるかも……」
先が思いやられるとロザリーが謝ると、アマリアはマイペースに伸びをしていた。
「いいじゃない。かくれんぼみたいで面白いわ」
アマリアがあまり気にしていなさそうでほっとする。恐らくロザリーに気を遣わせないように振る舞ってくれているのだろうと、短い付き合いだが何となく察することができた。
「しばらくのお弁当は、アマリアのリクエスト聞くから、なんでも言ってね」
空き教室から出る時に、こっそりとアマリアに告げる。するとアマリアはパッと顔を綻ばせた。
「本当? 何がいいか迷うわね……」
ああでもないこうでもないと話しながら教室へと戻ろうとすると、ふとアマリアが立ち止まる。
「あっ! ちなみにあの男に絡まれても、『妖精』って呼ぶのだけはやめときなさいね」
どことなく意味深げにアマリアが囁いた。
「何かあるの?」
不思議そうに目を瞬かせるロザリーが尋ねると、アマリアは少しニヤリと笑みを浮かべる。
「その呼び名だけは嫌みたいよ。そう呼んだ生徒を学院から追い出した、なんて噂があるくらいだから」
あまりに物騒な話に、唖然とロザリーの口が開いた。
「えっ、そんなに怒るの? 呼び名だけで?」
「あくまで噂よ。一応、気をつけておいた方がいいわ」
アマリアは悪戯っぽく笑い、先を歩き始めた。
妖精と呼ばれる人。その響きに、ロザリーの胸がざわつく。分かったわと返すロザリーの声も、どこか上滑りするように風の中に紛れていった。




