30話 「お前の才能だろ、伸ばす手段を選ぶな」
風が、頬を撫でた。暖かな日差しが瞼に差して、自然と目を開く。
ぼんやりとした視界、窓辺には誰かが佇んでいて、きっとその人が窓を開けたのだろうと、ロザリーは思った。
逆光でよく顔が見えない。
眩しさに目を細めると、人影が振り返る。長い髪が、風にたなびく。それを見てロザリーは、漠然と綺麗だと思った。
「アネット……? 起きたのか」
聞き覚えのある声に、首を傾げる。その人はつかつかと近付いてきて、やっとその顔が見えた。
「テオ、さん? どうして、あれ、あの後私……!」
ロザリーは体を起こそうとするが、体を起こそうとしてシーツについた手に上手く力が入らない。上半身にも力が入らず、体が恐ろしく重かった。
「無理に起きるな、そのままでいろ」
「で、でも私エルヴィーラを助けないと、それにホスキンズさんに私攫われてーー」
無理して起きようと踏ん張ると、その肩をテオに押さえ込まれる。
「落ち着け、覚えてないのか? エルヴィーラが誰だか知らないが、ホスキンズなら塔の人間に捕らえられた。お前も無事だ」
そう言われ周囲を見回すと、そこロザリーの寮の部屋だった。テオの言葉と、その光景を見て、ようやくロザリーは体の力を抜く。テオもそれを見て、ベッドの傍らの椅子を引き寄せ、そこに腰かけた。
「そっか、私――」
遅れて、記憶が蘇る。おぼろげな光景の中、確かに水竜をテオが倒してくれたこと、あの時謝ったことを思い出した。
「はあ……、お前は三日も寝ていたんだぞ。起きてすぐ動けるわけないだろ」
「三日も!? それは、体も動かないわけですね……」
石のような体は指先くらいしか動かない。動かしたくないというのが、正しいか。たはは、と力なくロザリーが笑うと、テオは呆れたようにため息をついた。
「水くらいなら飲めるか」
「えっ、いえ、多分飲めると思いますけど」
だが、ロザリーが動けるかと言われると話は別だ。どうしたらいいだろうかとロザリーが焦っていると、テオが立ち上がる。
「少し体を起こすぞ、いいか?」
「……は、はい」
介助してくれるのだと分かったので、こくこくと頷いた。テオのいる側から背中に手を差し入れられ、反対側の肩を掴まれる。そのまま支えるように起こしてもらった。
「口を開けていろ」
ヘッドボードに背中を預けたまま言われた通りに口を開くと、テオが軽く手を振る。サイドチェストに置かれた水差しから水泡が飛んできて、ロザリーの口に飛び込んだ。それは柔らかに弾け、ロザリーの渇いた口内に、染み渡る。
それを幾度か繰り返され、ほうと、ロザリーは息を吐いた。
「ありがとうございます」
「どうする、寝ていた方がいいとは思うが」
起きているのかを聞かれたと気付き、ロザリーは少し悩む。だがすぐにおずおずと口を開いた。
「ええっと、このままでもいいですか?」
「お前がいいならそれでいい」
テオは頷いて、少し浮かせた腰を再び椅子に沈める。ロザリーの気持ちとしては動けないとはいえ、人がいるのに寝たままというのは少し居心地が悪かった。
「そういえば、どうしてテオさんがここに?」
椅子に座り直したテオに尋ねると、少し目を逸らす。
「ここに来たのはたまたまだ。さっきまでお前の友人の女がいたが、買い出しがあるからと番を頼まれた」
「女って……アマリアですよね? そんな風に言わないでください。」
ふん、とテオさんは鼻を鳴らした。アマリアにも似たようなことを言った気がする。
「でもアマリアも見ててくれたんですね、あとでお礼言わないと。テオさんもありがとうございます」
「僕はたまたまだと言っただろう。お前の友人がいない時は、ウンディーネと使い魔がついてたようだ」
エルヴィーラの名前が出て、ほっと一つ息を吐いた。
「エルヴィーラも無事だったんですもんね。本当によかった……」
「お前が言ってたのは、ウンディーネのことだったのか」
テオが納得したように言い、ロザリーもそれに頷いて返す。
「はい、私もあんまり覚えてないんですが、多分彼女と契約したらしくて。すみません、たくさん巻き込んでしまって……」
テオには迷惑をかけてばかりだと、ロザリーが俯く。するとテオは、目を細めてため息交じりに肩を竦めた。
「もう謝るな。気が滅入る」
「は、はい」
テオの言葉はいつも通りだが、声色に棘はない。気遣うために言ってくれているのだろうと、ロザリーはまた飛び出そうになった謝罪の言葉を飲み込んだ。
「ああ、そうだ……! 私、試験の特訓も何もしてないのに……」
現実を思い出して、ロザリーはがくりと肩を落とす。するとテオが見かねたようにぼそりと口を開いた。
「それなら、お前の分なら延期になるらしい。おん……、お前の友人が言っていた」
「えっ本当ですか?」
ばっとロザリーが顔を上げると、少しテオは身じろぐ。が、そのまま説明を続けてくれた。
「そもそも、本人が試験に参加できる状態じゃないんだ。それに体調不良の類いでもない。お前は事件に巻き込まれた被害者だ。学院も事態をある程度は把握している」
「よかったぁ……」
問答無用で退学になるよりは、せめて試験を受けたい。せめて少しでも体力を回復させなければと、ロザリーは心に決める。
ふと、テオが詠唱をし始め、テオとロザリーを包むように障壁を張った。風の詠唱のようだが、急だったためそれ以上は聞き取れなかった。
「あの、これは……?」
困惑するロザリーに、テオはこちらに向き直る。
「外から声が聞こえないようにした。お前の……、妖精の瞳についてのことなんだが」
テオは少し言いづらそうに、言葉を切った。
「は、はい」
促すようにテオの方を見つめると、どこか困ったような顔をしている気がする。
「……学院の教員の一部と、恐らく塔の上層部にも話が回ってしまった」
「そもそも、テオさんも気付いていたんですか?」
ロザリーもブランドンに言われるまでは、名前すら知らない単語だった。テオはそれすら知っていたのだろうかと問いかける。
だが、テオはいや、と首を横に振った。
「お前の使い魔からあの日に聞いた。それに、ウンディーネがお前に接触したのもそれが原因だろう」
「……本当に、私のせいで巻き込んでしまったんですね」
あの時、ロザリーが原因でエルヴィーラは現れた。それが全ての始まりだったのだろう。
「お前は何も知らなかった。非はない」
だが、テオはロザリーの不安を否定する。言葉を選んでいるようで、何かを考えているようだった。
「それに、少なくともいい点はあっただろう。お前の魔法について、光明が見えた」
「えっ、そうなんですか!」
初耳の話に、思わず身を乗り出す。
「あの水竜はお前が生んだものだと、ウンディーネは言っていた。恐らく、ウンディーネと契約を交わしたことでお前の魔力に蓋をしていた体質異常が一時的に治ったんだと思う」
「え、それじゃあ私、魔法を使えるようになったんですか?」
ウンディーネと契約したあとの記憶は曖昧だ。どうやって魔法を使ったのかも、あまり覚えていない。
試してみれば分かるだろうと、魔力を指先に集中させる。
「じゃあ早速ーー」
と、水差しへと手を伸ばしたロザリーの手を、テオが掴んだ。
「馬鹿、病み上がりだというのを忘れるんじゃない」
「はっ、す、すみません」
慌ててロザリーは魔力を霧散させる。すぐにテオはぱっと手を離し、呆れたように手をひらひらと振った。
「それに、あの時のお前は万全じゃなかった。今、お前が回復しきっていない状況で使ってみろ、あの時の二の舞になりかねん」
「それは困ります……」
あの時のように水に閉じ込められたら、今度こそ溺れてしまうだろう。馬車を吹き飛ばすような激流が出たら、寮にも損害が出るし、確実にロザリーの部屋は大変なことになる。
「正直、体質異常の原因自体は未だ分からない。だが、あれだけの魔法が使えたんだ。水属性だけだとしても、魔法使いとして強みになる」
「本当ですか!」
きっとテオは事実を述べているだけなのだろうが、励ますような言葉に嬉しくなってしまう。試験までに間に合うようにすれば、学院を辞めなくてもすむかもしれない。
「よかった……」
涙ぐむ私に、テオが少し目を見開いた。それに気付き、はっと涙を拭う。ロザリーがすぐに泣くと思われるのは、流石に子供のようで恥ずかしい。
「……お前の力、使いこなせていなかっただろう、僕が教えてやる」
「え、そんな、更に迷惑をかけるわけには!」
ロザリーは一瞬テオの発言にきょとんとした顔をするが、慌てて大きな声を上げる。
「元々乗りかかった船だ。それに、妖精のことについても、まだお前には聞くことがある」
それは確かに、自分にもまだテオの役に立てることがあるということだ。ううん、とロザリーが悩んでいると、テオがはあとため息をつく。
「お前の才能だろ、伸ばす手段を選ぶな」
その言葉に、ロザリーは目を見開いた。
「それに、俺はお前に――」
こんこん、とノックの音の後すぐに、ドアが開く。その寸前に、テオが障壁を霧散させた。
「戻りました、ロザリー大丈夫でした?」
部屋に入ってきたのはアマリアだった。色々と荷物を抱えているようだが、ロザリーを見ると目を丸くしてその場に立ち止まる。
「アマリア! お帰り!」
「ロザリー! 起きたのね!」
アマリアは嬉しそうに微笑むと、ベッドまで駆け寄って荷物もそのままにロザリーを強く抱きしめた。
「ちょっと、苦しいって!」
つい笑みをこぼし、それを受け止める。腕はあまり上がらなかったが、とんとんとアマリアの背を叩いた。
「ふふ、ごめんね。でもよかったわ、急に倒れたって聞いたから何事かと思って」
アマリアの言い方に、ちらりとテオに視線を向ける。こくりと頷く様子を見て、アマリアに合わせるように話を続けた。
「ごめんね、心配かけちゃって。最近根を詰めすぎたみたい。看病してくれたって聞いたよ、本当にありがとう」
「何か食べられそう? 飲みたいものある?」
そう言ってアマリアは体を離し、ごそごそと荷物の中を探り始める。
「水は飲ませてもらったよ、今は特には……」
その瞬間、ロザリーのお腹がぐうと鳴った。思わず顔を赤くすると、アマリアがくすりと笑う。
「強がらないの、何か食べられそうな物用意するわ。少し待ってて」
そう言って、アマリアは出て行ってしまった。はあ、と安堵のため息を吐く。アマリアのためとはいえ、嘘をつくのは居心地の悪いものだった。
「そういえば、テオさん。さっきなんて言おうとしたんですか?」
「……いや、なんでもない」
テオは少し目の端を赤くし、顔を背ける。部屋でも暑かっただろうかと思うが、窓を開けるのは今のロザリーには難しそうだ。
「それならいいんですけど。でも、才能があるって言ってもらって嬉しかったです。特訓、よろしくお願いしますね!」
「ああ」
テオが僅かに口角を上げ、表情を緩める。笑ったのだと数泊遅れて気付き、ロザリーは思わず固まった。そんな表情のテオを見るのは、初めてだったからだ。
だがすぐにそれにつられて、ロザリーも微笑む。これから頑張らないと、と意気込みを新たにした。
それを、夏の近付く太陽も見守っていてくれるような、そんな気がした。
お付き合いいただきありがとうございました。この一章を改稿し、続編を投稿予定です。時期は未定ですが、お見掛けした際はよろしくお願いいたします。




