28話 「いた……、ロザリーだ……」
テオは飛行を続けて、街外れの上空を飛んでいた。
「まだ見つからねえのか!?」
焦ったような猫の声が、テオを急かす。
「うるさい、黙ってお前も探せ!」
檄を飛ばす声は荒いが、テオのその目も猫と同様に目を皿にして眼下を絶えず探していた。
馬か、馬車か、すぐに見つかると思っていたが、中々それらしいものが見つからない。苛立ちは注意力を低下させる。魔法使いには禁物だ。理解しているはずなのに、白み始めた空がテオを焦らせる。
「……っ、探すところを変えるぞ」
重苦しい声でテオが言い放った。その瞬間、轟音が辺りに響く。まるで、突如降った豪雨のような音だが、空は星空のままだ。
「おい、あれ見てみろ!」
猫が乱暴にテオの髪を引っ張る。煩わしさにとうとう舌打ちがこぼれるが、今は文句を言っている場合じゃない。間髪入れずテオは言われた方向へと顔を向ける。
街外れから更に遠く。隣国との国境地帯へと続く平野に、それはいた。
ーー地より頭が這い出し、それは天へと翔るように徐々に姿を現していく。蛇のように長い体。鱗の体表。冠のような角を頂き、髭をたくわえた獣の顔は轟轟と咆哮を放つ。
「なんだあの怪物!?」
猫が驚愕に叫び、テオは目を見開いた。咆哮を身に受け、自然と身が竦む。だいぶ離れたこちらまで、びりびりとその振動が伝わってきた。
「竜種、いやそんなわけがない、大規模な魔法か!?」
猫が吹き飛ばないように首根っこを捕まえ、速度を上げ竜の方角へと近付く。
「魔力が濃いぞ、おれたちは平気だが人間にはきついんじゃないか!?」
「この程度、何の支障もない!」
妖精の猫ならともかく、テオですら感じ取れるほど大気の魔力が強い。じとりとした水の魔力。属性の偏った場所は、気象に影響を及ぼし、人が立ち入ることすら難しくなる。
更に近付けば、仔細が見えてきた。竜の体は透けていて、水だけで体を構成されているらしい。
それは何かに攻撃しているようで、尾を振り乱し、水の刃が大地へと降り注いでいる。土煙の中、僅かに誰かが張ったのだろう魔法障壁の影が見えた。
「いた……、ロザリーだ……」
呆然と猫が呟く。その声に、地面の方を注視していたテオは、猫の方を睨みつけた。
「どこにいる!」
だが猫は大きな目を見開いて、中空の一点をーー竜を見つめている。
「竜の頭の中に……」
「……っ」
テオは一瞬耳を疑ったが、すぐに竜の頭へと視線を向けた。絶えず振り乱している竜の頭に、確かに何かいる。竜に気付かれないように、更に上空から距離を詰めれば、気絶しているのか、ぐったりとしたロザリーが水中に漂っていた。
「どうしてあんなことに! あの眼鏡がなんかしやがったのか!?」
猫が悲痛な叫びを上げる。テオも何がなんだか理解ができないが、それでも分かることが一つあった。
「とにかく助けないと、あのままじゃアネットが……」
それ以上の言葉は、喉の奥に消える。竜が現れたのがつい先ほど、だがロザリーがいつからあの状態だったのかも判然としない。
一刻の猶予もなかった。
「――水よ、凍り、打ち壊せ!」
そのまま急降下し、竜の間合いへと潜り込んだ。氷塊を腹に叩き付け、動きを止めようとする。
「ーーーーーーッ!!!」
だが、動きが鈍るどころか振り乱された尾がテオへと迫った。
「ぐッ!」
間一髪のところで避け、後退して距離を取る。凍った腹は竜の身震いと共にすぐに砕け散り、欠けた体を埋めるように水竜が噴き上がった。
「んだよ、効かねえのか!?」
「全部凍らせるほどの隙がないんだ! 加減なしにやるとアネットごと氷付けになるぞ!」
竜の周りを旋回しながら、次々と放たれる氷の刃を避けていく。それでも、竜自体の意識は地面の方に集中しているらしく、テオたちは片手間に相手をされているらしいのが恐ろしい。
「なんだそれ……、他の手立てか何かーー後ろだ魔法使い!」
「――ッ!」
猫の声に、背後に障壁を張った。瞬間、無数の水の刃が障壁にたたき付けられ、傷をつけていく。いくつか間に合わなかった刃がテオの体を裂いた。幸い急所は避けたが、頬を伝うぬるい感触に舌を打つ。
水の刃は竜の周りを常に漂っていて、竜に近付くためにはそれを避け続けなければならない。
「あまり長時間相手にするのは分が悪いな……」
テオの魔力は常人の域を超えている。とはいえ、飛び続けた上にロザリーを傷つけない程度の攻撃をするためには、相応の集中力が必要だ。そう長くは持たないだろう。
テオは、眼下へちらりと視線を移す。降下したせいか、今はよく見えた。
「やはりホスキンズか」
テオたちを相手にしながらも、竜が意識を向けるその先。降り注ぐ豪雨の刃をいなし、数多の光の矢が奔り竜を裂く。
「これが、これが妖精の瞳の力、っはははは!! まさに妖精の逆鱗、その力を私に見せてください!!」
哄笑するブランドンは正気ではないように見えた。こちらにも気付いていないようである。それでも塔の魔法使いの実力に変わりは無く、体に突き刺さる矢に竜が咆哮を上げた。
「やつが引きつけているうちに、アネットを助けるぞ」
テオの提案に、猫は戸惑ったような声を上げる。
「いいのか、あいつ放っておいたら厄介だぞ!?」
「優先事項はアネットだ。必要なら僕が相手をする。あと猫、お前魔法は使えるんだろうな?」
挑発するようなテオの言葉に、ぶわりと猫が尻尾を膨らませた。その瞬間、テオによるものではない風が、寸分違わず周囲の水の刃を撃ち落としていく。
「風ならお前より上手く使えるぞ!」
初めて目にする妖精の魔法に、やはり段違いだとテオは舌を巻いた。だが使えるものは使わなければと、好奇心をテオは押しやる。
「それなら僕の飛行を代われ。方向は僕が指示する」
一度、竜から大幅に距離を取り、その射程圏内から脱出する。猫が露払いをしたため、簡単に離脱できた。
「はあ!?」
「僕より上手く使えると言ったな? 攻撃を避けながら、竜の頭の背後に回れ。それくらい簡単だろう」
わざと煽るようにテオが言うと、ぶわりと猫の全身の毛が逆立つ。
「誰に言ってんだ、人間風情が!」
猫が吠えるように叫ぶと、大気に漂う水の魔力がぶわりと風のそれに置き換わった。その瞬間、テオの魔法をかき消すほどの暴風が、周囲を包み込む。
テオは目を見開くが、完全に飛行のための魔法を解く。すると荒々しくはあるものの、テオと猫の体は落ちることなく空中に浮かんでいた。
「おれに命令しやがって……時間がねえんだろ早くしろ!」
「ああ」
吹き荒れる風によって、強引にテオたちは降下する。向かうは水竜の頭ーーロザリーだ。
「――風よ、姿無き剣となれ」
一つ深呼吸をし、魔力を練り上げる。手に絡みつくように、見えない風の剣をテオは掴んだ。
「何する気だ!?」
「このまま竜の頭を貫いて、アネットだけ奪い取る」
水は恐らく無力化される。テオの振るう炎ではロザリーを傷つける。風の爆発力ならあの体表をえぐり取り、中に潜りロザリーを助けられるとテオはふんだ。
「本気か? おれたちまで飲まれたらどうする気だ!」
「どうにかする! いいからこのまま頭に突っ込め!」
テオがそう叫ぶと、猫は覚悟を決めたようにまた周囲の風が激しくなる。強引な方法だったとしても、今はそれ以外の策を練る時間も惜しいのだ。
ロザリーを死なせるわけにはいかない。嫌な予感が背筋を這い寄るのを振り払う。まだ誤解したことを謝ってすらいないのに――。
竜の頭まで、更に加速する。風圧に骨が軋んだが、知ったことかと黙殺した。
眼前に、竜の頭が迫る。視界にロザリーを収め、剣に魔力を込めた。
ロザリーのすぐ横を、刃無き剣が穿つ。水の鱗は抉られ、風穴が空いた。そこにテオたちは潜り込んだ。竜が咆哮を上げるが、ごぼりと水中に潜り込んだテオの耳にはさして届かない。
水の中は、外とは比べものにならないくらい、静けさに満ちていた。漂うロザリーは、動いていない。その冷たい手を掴み、体を引き寄せ、テオは片手で抱きしめる。
「返してもらうぞ」
「ーーーーーーッッッッ!!!」
音にならない言葉を呟いて、再び剣に魔力を込めた。自分たちを包む水、その一切を振り払うように暴風が巻き起こる。そして、テオたちは頭の外へと飛び出した。
ぷはっと息をし、ロザリーと共に脱出する。のたうち回る竜の体を避け、どうにか離れた場所へと飛ばそうとしているようだ。だが、大きな咆哮を最後に、水竜の体は形を無くし、一斉に崩れ落ちる。
それは滝のように降り、大地へと降り注いだ。地響きが鳴り、テオは眼下を見下ろす。恐らくあれをまともに食らっているなら、こちらに襲ってくることはないだろう。
竜の崩壊と共に、濃い水属性の魔力が、段々と薄れていく。
「ロザリーは! 無事か!?」
「……とりあえず離れたところに下ろせ」
ロザリーの体はひどく冷たい。猫は悪態か何かを言おうとしたのだろうが、それを飲み込んでテオたちは段々と降下していく。
魔法でロザリーの体を暖めていると、やがて地面に降り立った。
「ロザリー! 起きてくれよロザリー!」
猫が耳を垂らし、ロザリーを呼ぶ。が、反応はない。ひとまずテオは上着を敷いてその上にロザリーを横たわらせた。
手首に触れれば、ゆっくりとまだ鼓動はある。思わずテオは気が抜けそうになるが、すぐに猫に声をかけた。
「使い魔、アネットは生きてる。薪になりそうなものを探して来い」
「くそ、ロザリーのためだからな!」
猫が駆けているうちに、テオは急いで一通りの応急処置を施す。飲み込んだ水を吐き出させ、絶えず体を暖めた。
猫が戻ってくる頃には、ロザリーが目覚めるのを待つだけになった。その間に学院へと伝令も飛ばしている。いずれ救援が来るだろう。
その時、静かに近付いてくる影があった。思わずテオは身構えてそちらを見ると、知らない女の姿があった。
「ロザリーは? あの子は無事なの?」
寄る辺のないような、か細い声に面食らうが、テオはロザリーを隠すように庇う。
「こいつ、ウンディーネだ」
ぼそぼそとテオにだけ聞こえるように、猫が囁いた。様子を窺いながら警戒していると、ウンディーネは悲しげに眉を下げた。
「何もしないわ。だから、ロザリーの側にいさせて」
どうするかテオが考えていると、猫が一瞬目を見開いてウンディーネとロザリーを交互に見る。そしてウンディーネに声をかける。
「ロザリーは多分生きてる。何もするなよ」
「おい」
許可を出すような言葉にテオが抗議すると、猫は首を横に振った。
「どういう経緯か分からねえが、こいつロザリーと契約してる。だから、こいつの意思で危害を加えたりはしねえと思う」
言い切らなかったのが気になるが、テオは逡巡しながらウンディーネを見る。力なく立っているさまは、生気をまるで感じられない。ちらりと猫を見るが、正反対の印象を受ける。
「……何かしようとしたら強引に離すからな」
渋々とテオが言うと、ウンディーネは力なく笑った。そしてロザリーを見て、安堵と不安の入り交じったような顔をして側に膝をつく。
「ありがとう、ロザリーも、私も助けてくれて。この子が無事で本当に良かった」
そう言ってウンディーネはロザリーの手を取り、すすり泣き始めた。その声には時折、ごめんなさいという謝罪が混じっている。
害を加えようとしているようには到底見えず、テオにはかける言葉もなかった。周囲を見回しブランドンの方に顔を向けるが、あの滝をまともに食らったのか倒れているようだった。生死はあとで確認すればいいと視線を戻す。
早く救援が来てくれと、ただ祈る。それだけしかテオにはできなかった。




