24話 「我々は妖精の瞳と呼びます」
一瞬の浮遊感の後。がつん、と体を襲う衝撃にロザリーは目を覚ます。
硬い木の床が視界に映り、自分が地面に転がされたのだと理解した。体を起こそうとしても自由が利かない。ロザリーはどうやら手足を拘束されているようだった。
「おや、お目覚めですか」
頭上から声が降る。どうにか体をよじって見上げると、ブランドンがロザリーを見下ろしていた。
「どうしてこんなことを……、ホスキンズさん離してください!」
ロザリーがそう言って身を捩ると、椅子に腰かけていたブランドンは肩を竦めて申し訳なさそうに首を横に振る。
「それはできない相談です。妖精の瞳という貴重な検体を逃すわけにはいきません」
苦し紛れにロザリーが周囲を見回せば、そこは小さな小屋のようで、見覚えのない場所だった。
学院から運ばれてきたのだろうか。どうして自分がこんな、と泣きそうになる。だがロザリーを庇おうとしたウンディーネがどうしているのか、それすら知らないのだ。
唇を噛んで涙をこらえる。そしてロザリーは毅然と、ブランドンを睨んだ。
「あの人は、ウンディーネはどこに行ったんですか。妖精の瞳って何の話ですか!」
「起きて早々、質問ばかりですね。まあいいでしょう」
そう言ってブランドンはちらりと、小屋の外に一瞬目をやる。
「まだ時間には早い。少しくらいでしたら、あなたの勉強の助けにもなるでしょう」
ブランドンは慇懃無礼に告げて、ゆっくりと三日月のように口角を上げて首を横に傾けた。
「ウンディーネ、ですか。あなたの目の前にいますよ」
えっ、と声を上げてもう一度、周囲を見回す。だが、先ほど確認した通りロザリーとブランドンしか見当たらない。
ふと、ブランドンが手に持っていたあの光を放つ鳥かごを振った。それに気を取られ、つい中を凝視する。そして、ロザリーは目を見開いた。
「……ウンディーネ?」
驚愕の声をもらすロザリーにブランドンはくつくつと笑う。
「素晴らしいでしょう? これが妖精を閉じ込める、ただ一つの楔」
そこには見覚えのある小さな影がいた。最初、ロザリーに助けてと言った子かと思ったが、それが何か理解した時ぞくりと全身に鳥肌が立つ。そこには人差し指ほどに縮み、力なく鳥かごの中に座り込むウンディーネの姿があった。
「どうして、なんでそんな……」
わなわなと震えるロザリーに、ウンディーネは悲しげに目を伏せる。
「これも、あなたの力と同じですよ」
「……私の?」
呆然とするロザリーに、ブランドンは笑顔とは裏腹な淡々とした声色で告げた。
「妖精の瞳、テオさんは教えてくれなかったのですね」
そして、ブランドンはふっと一笑し、朗々と語り出す。手元の鳥かごに落とす視線は、まるで見とれてすらいるようだった。
「妖精は人には見えない。世界の層が異なる場所で生き、本来は交わることはないのです。妖精は行き来ができても、人から手を伸ばしても、いくら探しても見つけることのできない存在。伝説」
そこでようやっとブランドンは言葉を切り、その視線がロザリーに向く。思わずロザリーが体を竦めるが、逃げることなどできやしなかった。
「ですが、生まれながらに妖精を見て、触れ、声を聞き、その姿を暴き出す人間が生じることがある。妖精の至宝、愛し子、様々な呼ばれ方はしますが、我々は妖精の瞳と呼びます」
ブランドンの目が月明かりに反射してきらきらと輝いているように見える。純粋に喜んでいるのだと、その事実にロザリーは生きた心地がしなかった。
「それが私だと言いたいんですか……?」
「ええ、妖精の声に応じてあの場に来たのが、何よりの証拠です」
ウンディーネがテオに見えていなかった理由。先ほどの子供の声。ウンディーネの愛し子という言葉。心当たりが一つずつロザリーの中で繋がっていく。
「どうして私が今更? ……今まで妖精なんて見えたことなかったのに」
ロザリーが思わずそう口に出すと、ブランドンは興味深そうに目を細めた。考えるような仕草で足を組み替え、顎に手を当てる。
「推測ですが、妖精でも近くにいたのではないですか? 力のある妖精であれば、妖精を追い払うことなど造作もない。それに、あの造反者の元にいたのです。彼女ならそれくらい仕掛けていても、おかしくない。ああ、実に惜しい素材を隠していたものだ」
「ぞ……? 何のことですか、でもじゃあウェルシュも……?」
ブランドンはロザリーと話しているようで、会話がかみ合わない。言葉の最後も、まるで独り言のようにロザリーの疑問に全て答える気はないようだ。
ロザリーの頭が、ぐるぐると混乱する。今まで何の疑問にも思ってこなかった。ウェルシュは今までロザリーと祖母のヴィオラの前では話したことはない。それをヴィオラも当然としていた。だがその理由が特別な使い魔だからではなく、妖精だからだったとしたら。
「まあ混乱してしまうのも無理はない。魔法は得意ではないと言っていたのも不可解です。あなたならきっと多くの妖精が、こぞって力を貸すというのに」
「まあ今は何より、テオさんには感謝しなければ。自らも求めていた逸材を、気付かずにいてくれたのですから」
テオの名前が上がって、混乱する思考からロザリーの意識がブランドンへと向く。
「テオさんが妖精の瞳を探していたんですか?」
ええ、とブランドンは頷いた。
「妖精の瞳の存在も、テオさんの研究には不可欠だったでしょう。彼の出自の噂についてはご存じですか?」
「……何となくですけど」
流石にテオとブランドンの話を聞いていたとは言えず、ロザリーは目を伏せる。
「そうですか、では彼が妖精の瞳をなぜ求めていたのか分かるでしょう。彼は自身が取り替え子であるという疑いを晴らしたかった。自身が両親の血を引く、歴とした人間の子供であることを証明するために」
ロザリーはその言葉に、息をのんだ。
「妖精の瞳は、身を潜めた妖精すら暴き出す。人の姿を装う妖精すら、その目は偽装を剥ぎ取ってしまうという。その伝承が本当なら、彼が妖精でないという証明ができる。私には理解できかねますが、健気と言うのでしょうね」
はらはらとロザリーの目から、自然と涙がこぼれ落ちる。テオがどんな想いで研究をしていたのか、それすらも知らずに自分の主張ばかりを押し付けた。ロザリーは後悔に苛まれながら、唇を噛み締める。
「おや、ずいぶんと仲がよかったんですね。彼が失ったものは、例えテオさんが妖精でなかったとしてももう戻らないというのに」
「……どうして、どうしてそんなひどいことが言えるんですか!」
ロザリーの涙混じりの声に、ブランドンは表情をなくすが、すぐにそれは元の笑顔へと戻った。
「そんな無駄な目的のためでなく、私としては妖精を解明し、世界の謎をまた一つ明らかにする、その偉業に協力して欲しかっただけですよ。ですが、あなたと共にいたなら彼もまた妖精ではないのでしょう」
落胆のため息をつき、肩を竦めるブランドンに、ロザリーは血の気が引く。目の前の男がただ恐ろしくて仕方なかった。
こんこん、と小屋の扉が何度か規則的に鳴らされる。すると、ブランドンが立ち上がり、こちらに歩み寄って来た。
「な、なんですか」
「さあ、迎えが来ました。こんなところに長居する必要はない。ロザリーさん、行きましょう」
ロザリーは無造作に担がれ、目隠しと口に轡を噛まされる。
「んん、んー!!!」
「ごめんなさい、ロザリー」
悲しげなウンディーネの声が頭に響く。それに言葉を返すこともできず、ロザリーは夜闇の中へと連れ出された。




