23話 「わたしたちの愛し子、たすけて!」
ロザリーはその日、部屋に戻りウェルシュと一緒に夕食を食べ、その日はすぐにベッドに入った。
だが、どうにも眠れない。何度もベッドで寝返りを打つものの、一向に睡魔が訪れる気配がなかった。
むにゃむにゃと、部屋にはウェルシュの寝息だけが聞こえる。かたわらで眠る姿は羨ましいくらい熟睡しているようで、起こすのは憚られた。
仕方なく、ベッドから身を起こし窓を覗いてみる。月もずいぶんと高く、朝にはかなり遠そうだ。寝なければ明日に響くのは分かっている。温かいものでも飲んで寝直そうと、ロザリーはベッドから降りようとした。
その瞬間、キンッと耳鳴りのような頭痛がロザリーを襲う。
「くっ、痛いっ……何これ……」
「ーーーー」
はっ、とロザリーは顔を上げた。頭痛が、頭を軋ませ苦痛に顔が歪む。
だが今、誰かの声がした。
「……誰?」
何を言っていたのか不明瞭で、どこから聞こえたのかも定かではない。けれど確かに誰かの声が聞こえたのだ。
立ち上がり、周囲を見回す。部屋にはウェルシュの姿以外何もない。いつも通りの部屋だ。
頭痛のせいで動きは緩慢なものの、月明かりでは足りないとベッド脇の蝋燭に火を灯す。
「ーーすーーてーー」
また、声がした。途切れ途切れの声は、先ほどよりも明瞭で、部屋の外から聞こえている。扉に手をかけて、ロザリーはウェルシュの方を振り返った。だが、眠っているのを起こすのはやはり申し訳なくて、そのまま部屋の外へと顔を出す。
「……誰かいるの?」
きい、と扉を開けた。真夜中の寮は当然だが静まり返っていて、何の音もしない。扉の隙間から声をかけたが、返答はない。
外に出ようか逡巡していると、その時だった。
「ーーけーーてーー、助けて!」
霧が晴れるように頭痛が引く。確かに聞こえた声は助けを求めていた。ロザリーは蝋燭立てを握りしめ、静かに部屋を出た。
*
謎の声は性別も判然としないが、最初のか細さが嘘のようにはっきりと聞こえてくる。だが、本当に頭の中に聞こえてくるようにどこか実感がない。
最初は寮の中を探し回っていたが、どこにも声の主はいない。ロザリーは寮の外に出ると、それが学院の方向から聞こえてくることに気付いた。
「何の魔法なんだろう」
ロザリーは思考を口に出しながら、蝋燭一つで夜道を進む。意思を伝える呪文自体は存在したはずだ。だがかなり高度なもので、少なくともロザリーが使えるような魔法ではない。
相手は誰彼構わず助けを求めたのか、ロザリーにだけ伝えたかったのかそれすら分からない。だが、漠然と行かなければという衝動が、ロザリーを突き動かしていた。
寮の敷地を出て、とうとう学院に足を踏み入れる。石畳は靴越しでも冷たく、当然だがなんの気配もしなかった。
残っている生徒なんていやしない。教師ですら、もう一人もいないだろう。
「ーーたすけて」
ロザリーが不安に駆られても、声はやまない。まるでせき立てるように頭の中に響く。
それなら行くしか無いと、腹をくくって夜の学院へ足を踏み入れた。
学舎の中は施錠されていて入れない。だから外周を回るように歩く。学院の所有する小さな林、そこから声が聞こえた気がした。
「ロザリー、引き返しなさい」
凛とした声が、ロザリーの目の前に立ちはだかる。ゆらりと、まるで煙のようにウンディーネが現れ、ロザリーは思わず後ずさった。
柔和な面影はどこにもなく、ただ悲しげに女は眉を下げてロザリーを見つめている。
「あなた、どうして……」
ロザリーの言葉に、ゆっくりとウンディーネは首を横に振った。
「あなたを止めに来たの。あの声は無視しなさい」
一方的な、切り捨てるような声色にロザリーは息を飲む。
「どうしてそんなことを言うの? じゃああの声は何、誰の声なの?」
ウンディーネはロザリーの問いに答えない。難しげな顔をして、ロザリーを見つめている。
「とにかく帰りなさい、ここから先は危険なの」
ウンディーネは、頑なにロザリーを追い返そうとしているようだ。その表情には悪意はないように見える、が今のロザリーには何も分からない。
どちらにしても、助けを求める声を無視はできなかった。林の方へと、ロザリーは制止を振り切って歩き出す。
「ロザリー……!」
ウンディーネの抑えた声を背後に、足を進めた。その暗がりの先に、人の声が聞こえる。頭の中に流れてきた声ではなく、確かに耳が捉えた音だ。
ロザリーはふっと息を吹きかけ、蝋燭を消す。そして、もう少し近くに寄ろうと息を潜めた。
やがて、薄明かりが木々の間に見えた。
「たすけて、瞳、わたしたちの愛し子、たすけて、ここからだして!」
(……子供の声?)
頭の中に響く声は、がんがんとロザリーの頭を揺らす。それは幼子の泣くような声だった。だが、ロザリーの視線の先、薄明かりの中に見える影は長身で、長い髪が暗がりに揺れている。
明かりのように揺れているのは、最初はランタンか何かと思ったが鳥かごのようなものだった。それがゆらゆらと明滅しながら光っている。
そこにいる人の顔は、よく見えない。
「中々かかりませんね」
柔和な声色、だが不満そうなのがすぐに分かる。聞き覚えのある声は、ため息を吐いた。
(この声、ホスキンズさんだ……)
つい少し前に聞いたばかりの声に、ロザリーは身を竦める。
どうしてこんなところに、そう思いながら声のことが気になって、ロザリーは木に身を隠して様子を窺った。
「こんなに我らが隣人が助けを求めているのに、薄情なものですね」
そう言ってブランドンはその鳥かごを持ち上げて、覗き見るように顔に近付ける。
ふと、その中に何かいることに気がついた。きらきらと光る檻の中に、小さな人間のような生き物が閉じ込められている。窮屈そうに何人も押し込められ、檻の底で座り込んでいた。
「瞳、来る、私たちの声届く、たすけて、たすけて、たすけて!」
頭を揺らすような助けを求める声。ロザリーはそれにくらりと膝を折りそうになるが、なんとか木にしがみついてそれに耐える。
「聞いては駄目」
ふと、横でウンディーネの声がした。顔を上げ、口を開こうとすると、それを制止するように彼女は指を立て、口元に当てた。
「あの男に気付かれる前に帰りなさい」
「でも、あの子たち助けを求めてるのに」
声を抑え、ウンディーネに言ったが、彼女は悲しげに顔を歪めてブランドンの持つ鳥かごを見つめる。
「あの檻に捕らえられてしまっては、私たちではどうにもできないわ。さあ、はやく」
「……でも」
ウンディーネに手を伸ばされ、咄嗟に距離を置こうとロザリーは身を引いた。その時、足下の枝がぱきりと音を立ててしまう。
「絡め取れ!」
即座に鋭い声が飛び、ブランドンが魔法を放つ声がした。その足下から何かが鞭のように飛んでくる。
それがロザリーに叩き付けられる瞬間、ぱしゃん、と音がした。
ぱっと目を開けると、ロザリーとブランドンの間にウンディーネが立っている。彼女の周りには鋭い水の刃がいくつも浮き、足元にはばらばらになった茨が散らばっていた。
「これはこれは。力のある妖精とみえますが、わざわざ私の前に姿を現すとは」
ブランドンの言い方に、今の彼にはウンディーネが見えていることに気付く。ブランドンの言う通り、わざわざ目の前に姿を現したのだ。どうしてとウンディーネを見つめるが、ロザリーからはその背中しか見えない。
「理由は、あなたの手の中のそれだけで事足りるのではなくて?」
ウンディーネの声が、隠しようのない怒気を孕んだ。ふっとブランドンはそれを一笑し、その小さな鳥かごを翳す。
「目当てとは違いますが都合がいい。耐久力のある素体なら、それだけで価値がある」
「逃げなさい、ロザリー」
ウンディーネがロザリーにしか聞こえない声で小さく囁いた。その瞬間、ブランドンの持つ鳥かごが目が眩むほどの光を放つ。
思わず目を覆うと、すぐに光は収まった。
「……ウンディーネ?」
思わず呟いた後、ロザリーは周囲を見渡す。だがウンディーネの姿はこつぜんと消えていて、どこにも見当たらない。
「逃げなさい!」
突如、先ほどの小さな声とは違うそれが、締め付けられるような頭痛と共に頭に響いた。その声に咄嗟に来た方向に踵を返す。が、目の前を何かが横切った。
「あなたが妖精の瞳、なるほど、人は見かけによりませんね」
一瞬で数多の茨が、ロザリーの行く手を塞ぐ。
ゆっくりとロザリーが振り返ると、ブランドンが無機質な笑みでこちらを見つめていた。ブランドンが、一歩二歩とこちらに近付いてくる。茨は退路を塞ぐように、広がり続けていた。
「妖精の瞳って、何の話ですか? それにウンディーネはどうなったんですか!?」
ロザリーが声を荒げると、ブランドンは眉を顰める。だがそれは一瞬だけのもので、まるで目の前を虫でも通ったような、そんな一瞬の不快感。その程度の感情の動きだった。
「ああ、彼女がかのウンディーネ……。なるほど、あなたであれば真名を賜るのも容易いかもしれない」
独りごちるような言葉の後、ブランドンは柔和で張り付いたような笑みを浮かべる。
「どうか抵抗はなさらないよう。あなたを傷つけたくない。できれば無傷で持ち帰りたい」
ぞわぞわとロザリーの背筋に悪感が走った。魔力を集め、詠唱を口にする。
がんがんと頭は痛んだ。頭の中では何度も何度も警鐘のようにウンディーネの逃げてと言う声が木霊している。
「――炎よ、焼き尽くせ!」
だが、手から放たれた炎は、茨の表面を炙る程度のものだった。茨はそれを物ともせず、蠢いている。
「なるほど、抵抗もさしたる意味はなさないと。好都合です」
蔓の一本が大きくしなった。一際大きな、ウンディーネの声が聞こえる。
「ロザリー!」
その声とともに、逃げる間もなく蔓は振り下ろされ、ロザリーはその衝撃で意識を飛ばした。




