13話 「常若の国は、いつでもあなたを歓迎しているもの」
「で、どうだったの? 肝心の特訓とやらは」
次の日の放課後、ロザリーはアマリアと話していた。アマリアの問いに、ロザリーはゆっくり首を横に振る。
「ううん、私の体質なのかは分からないけど、魔法を上手く使えないのは原因があるんだって!」
「そう、それでロザリーはずいぶんと上の空だったわけね」
その言葉に、ロザリーの表情が渋面に変わった。自分の魔法がどうにかなるかもしれないと、それに気分が浮ついてしまっている。アマリアの言う通り、今日のロザリーは授業に集中できていなかった。
「そうだよね、それは良くないよね……。明日から気を引き締めないと」
「ロザリーは真面目過ぎるところがあるから、たまにはぼんやりしててもいいんじゃない?」
「うーん、でもただでさえ才能のない私がそんなことしてたら、いつまで経ってもおばあちゃんみたいな魔法使いにはなれないし……」
ここで気を抜くわけにはいかないと、やる気を新たにする。だがそんなロザリーを見て、アマリアは少し困ったような顔をした。そして少しの沈黙の後に口を開く。
「ロザリー。あたしはまだ知り合ったばかりだけど、ロザリーが頑張り屋のいい子だっていうのは分かるわ。だから、気になるの。どうしてそんなに自分を卑下するの?」
その言葉に、ロザリーはぱちぱちと瞼を瞬かせた。アマリアの問いは、問い詰めるというものではなく、優しく宥めるような声色である。
「別に……卑下しているつもりはないけど。変に聞こえたちゃったならごめんね」
「ロザリーが謝るようなことじゃないわ。無理だけは駄目よ」
「うん、ありがと」
ロザリーの笑顔は、引き攣っていなかっただろうか。それだけが心配だった。
*
ぼんやりと、廊下を歩く。今日はテオは遅れてくるらしく、待っていても帰っても構わないとのことだった。
ロザリーは結局そのどちらも選ばずに、重い足取りのまま学院内を遠回りしながら図書室へと向かっていた。
ずっと焦りがあった。自分ばかり置いていかれてしまうような、焦燥感。ずっと霧のなかを歩いているみたいに、我武者羅に魔法を練習してもなんの成果にもならなかった。
テオは原因を掴むと言ってくれた。ロザリーに力を貸してくれた。だから、それだけにすがってしまわぬよう、でも呆れられてしまわぬように、努力しなくちゃいけない。
(--私には何もないから)
優しい祖母やウェルシュ、アマリアにすがってばかりではいずれ見放されてしまう。
「こんにちは、また浮かない顔?」
凛とした鈴のような声。はっと顔を上げる。辺りを見回すと、そこは学院の廊下の外れだった。日は陰り、夕焼けが窓から学舎に影を落としている。
生徒一人いない廊下に響いた声。
「誰ですか!? どこにいるんですか!」
きょろきょろとその姿を探す。すると、ふいに肩をとんと叩かれた。
とっさに振り返ると、彼女はそこにいた。いつの間に開け放たれた窓辺に腰掛け、ぞんざいに足を組んで、微笑んでいる。
その優雅さに一瞬息をのむが、慌てて口を開いた。
「あの、あなたって一体何者なんですか?! この前起きたことはあなたの…」
「質問する前に私の質問に答えて、ロザリー。何かを求めるなら、対価を差し出さなきゃ」
う、とロザリーは喉をつまらせる。じっと女を見つめるが、彼女はこちらをからかっているわけではなさそうだ。
「……何を聞きたいんですか?」
「さっきも言ったじゃない。浮かない顔をしてるって。最近忙しそうにしてたけど、大変だったの? 相変わらず猫の匂いもべったり」
どこから見ていたのか、女は知ったようにロザリーに問いかける。敵意はなさそうだが、どこか薄ら寒い違和感が背中を撫でた。猫とは、ここにはいないウェルシュのことだろう。どうしてこんな時にいないのかと思ってしまう。
「ええ、あなたとこの前会った時に出てきた異界、ですか? のせいで、だいぶ振り回されています」
「そうだったの」
他人事のように安穏と女は相槌を打った。掴めない態度に緊張しつつも、ロザリーは今度こそと問いかける。
「私の番です。あの異界はあなたが起こしたものですか?」
「起こしたと言うか、そうね、ここに渡る時に勝手に繋がるのよ。でもあの時は、折角だからあなたに見せてあげたくて」
どこか蠱惑的に、女は小首を傾けた。どうして私にそれを、と口にする前に女が先に喉を震わせる。
「次は私の番ね。どう? 魔法の成果は」
「……全くですけど、進展はしてます。私には呪いらしきものがかかってるらしくて、魔法が上手く使えないって」
隠してもどこかで見ている可能性があるなら、言ってしまった方がいいとロザリーは正直に告げた。すると女は考え込むように目を閉じる。
「呪い、そうね、あなたたちならそう捉えてもおかしくないわね」
「知ってるんですか?! あなたは一体私の何をーー」
「最初の質問に答えるわね、私たちはウンディーネ。じゃあ次は何を聞こうかしら」
まるで霞のように、ウンディーネ、と名乗った彼女の言葉はロザリーのそれを遮った。まるでロザリーを煙に巻いているようだと焦りが募る。
冷静さを失ったまま、ぽつりと声が転がり落ちた。
「最初にあなたが言った言葉、覚えてますか。私には才能があるって」
ロザリーの胸が軋むように痛む。心臓が早鐘を打って、どくどくと脈動が耳にうるさい。
「なんでそんなことを言ったんですか、私の才能ってなんですか」
その問いに、女ーーウンディーネは問いかける順番を指摘することはなかった。ただ僅かに口元を緩め、まっすぐにロザリーを見つめている。
「ふふ、今は分からないけどいずれきっと分かるわ」
「いずれって……、それって本当にあるんですか」
ふとウンディーネが顔を曇らせ、まるで気遣うように眉を下げる。
「……どうしてそんなことを聞くの?」
頭にかーっと血が上るように、自分の言葉が制御できない。
「だって、おかしいじゃないですか……。じゃあどうして、私に才能なんてものがあるなら、私に価値があるなら! どうして私は捨てられたんですか?!」
はっと、口を抑える。息が荒い。熱い、何かが頬を伝った。ウンディーネの驚いた表情ではたと、ロザリーは自身が泣いていることに気付いた。
ウンディーネの顔がくしゃりと歪み、強く手を引かれる。咄嗟のことに驚いて、気付けば彼女の腕の中に収まっていた。
ぎゅうと柔らかく温かな感触の中で、ウンディーネの声がした。
「ごめんなさい、あなたを傷つけるつもりはなかったの」
ロザリーの頭上からしんしんと降る言葉に、背をさする手に、段々と心が落ち着いていく。
「あの、もう離してください……」
おずおずとそう言うと、ウンディーネはロザリーの体を離し、そっと離れた。
涙は止まっている。濡れた目元を服の袖で拭った。
「今までつらい思いをしていたの?」
その言葉に、少し逡巡する。真っ直ぐにロザリーを見つめるウンディーネの視線に、なぜか射抜かれているような気持ちになった。
「両親に捨てられたときの記憶は曖昧で、覚えてないんです。でもおばあちゃんは私のこと、育ててくれたし、優しかったし、兄みたいな子もいました。今は魔法が上手く使えなくて悩んでますけど、それでも私は――」
「おい、こんなところで何してる」
遮るように、テオの声がする。弾かれるように顔を上げると、廊下の先にテオが立っていた。
はっとして、ウンディーネとテオを交互に見る。二人とも、ロザリーの返答を待っていた。
「……テオさん。この人です、前に異界に会った時にいた、ウンディーネさんです」
そう言った瞬間、テオさんの顔が驚愕に歪み、こちらへと駆け寄ってくる。
「アネット、それから離れろ!」
「えっ?」
困惑してウンディーネを見るが、ロザリーが動くよりも先に、ウンディーネは一歩二歩、と滑るように後ろに下がった。
廊下の影、薄暗い場所にウンディーネは溶け込むように立つ。
「つらいことばかりじゃないならよかったわ。私たちはあなたが苦しむのを望んでいるわけじゃない。ごめんなさい。むしろ、手助けをしたいくらいなのに、禁じられているの」
「禁じられてる? 誰に……、というか何の話ですか?」
「また会いに来るわ。常若の国は、いつでもあなたを歓迎しているもの」
溶けるように消え始めるウンディーネに、ロザリーは息を呑む。美しく笑う、ウンディーネ。思わず手を伸ばそうとすると、その手を横から掴まれた。
顔を上げるとテオが、ウンディーネがいる方向ーーロザリーが見ていた先を睨むように見つめている。
「お前には、そのウンディーネが見えてるのか」
テオが、見据える先から視線を外さないまま問うてきた。
「……テオさんは見えないんですか? 今、もういなくなっちゃいましたよ。まるで消えるみたいに」
「本当か?」
「は、はい」
ロザリーがそう返すと、テオはロザリーの手を離し、はあ、と肩の力を抜く。
「大丈夫ですか?」
「……それは僕がお前に聞きたいくらいなんだが。お前が見たものは妖精だ。それも、かなりの力を持っている」
「へ、よ、妖精?」
まるでおとぎ話のような言葉に、ついテオさんをまじまじと見つめてしまう。
「今は説明はいい。異界をこじ開けたわけでもないし、また現れる可能性があるなら、ここを離れたほうがいい」
「分かりました」
テオの言い方はまるで、危険なものとでも相対したかのようだ。少しだけ、いや話していることはかなり難しく要領を得なかったものの、ウンディーネにはロザリーへの敵意はないように見えた。だけど、ウンディーネが消えてしまう寸前に見せた笑み、それには少し胸騒ぎがした。
「説明は後でする。いつもの場所にーー」
そう言ってテオが私を見る。言葉が不自然に途切れ、かちりと目が合った。
「……それ、どうしたんだ」
恐る恐るというように、テオがロザリーの顔を見つめていた。
「それ……って何がですか?」
ぺたりと確認するよう ロザリーは自身の頬に触れる。特に異常はないように思えたが、テオの表情は浮かない。
「目が赤い。腫れてるのか?」
その言葉にはっとして、目元をつい隠すように触れた。先程の涙のせいだろう、擦ったから赤くなってしまったのかとロザリーはばつが悪くなる。
「目にゴミが入って、それで擦ってしまったんです」
咄嗟に言い訳をすると、そうか、とテオが言った。
「ゴミはとれたのか」
そう言って確認しようとしてくるので、ロザリーは慌ててそれを言い訳を考える。
「だ、大丈夫です、その時に取れてますから」
覗き込もうとするテオにそう言うと、納得したのか止まってくれた。
「ならいい」
そう言ってテオは踵を返し、歩き出す。それに慌ててついて行こうとして、ふとロザリーは立ち止まった。
(――あれが、妖精)
ロザリーが振り返っても、ウンディーネが立っていた暗がりには、もう誰もいなかった。
「おい、何してる」
「す、すみません」
振り返ったテオに声をかけられ、ロザリーは再びその後を追った。




