バニーなガールとスーツなボーイ
「はぁっ…はぁっ……」
目が眩むほどのネオンの光が、勢いよく俺たちの両サイドをすり抜けていく。
俺の左手には彼女の小さな小さな手が握られていて…。
走りづらいスーツの煩わしさも気にならないくらい、得体の知れない開放感に溺れながら、俺はバニーガールの君とただただ色なく鮮やかに輝く街のど真ん中を駆け抜けた。
*******
カランカラン___
「「いらっしゃいませ〜」」
その扉を開けると、カウンターの向こう側に立つメイド姿やナース服を着た女の子達の甘い声を浴びせられる。
別に今日が10月31日だということでもなく、この店ではこれが通常なのだろう。
この日俺は久々に高校時代の友人と飲んでいたのだが、なぜか気づいたらガールズバーの扉を開けていた。
溜まった仕事の愚痴を吐き出し、酔いが回った心地よさと懐かしい感覚に気分はさらに上がり、普段は絶対にないノリで俺はその提案に乗った…んだと思う…たぶん。
「おい優真、何してんだよ。早く入れよ」
「お、おぉ…」
「いらっしゃいませ!2名様ですか?カウンターへどうぞ〜」
「あ、はい…」
「何お前、緊張してんの?」
「んな訳ないだろ…」
するだろそりゃ。俺はこんな店人生で初めてだ。キャバクラだって行ったことない。
お金を払って女の子と話したりして何が面白いんだ?と今まで近寄ったこともなかった。
あぁ、外の涼しい風に当たって、ビビットピンクにライトアップされた扉の前に立ったら酔いが一気に醒めたみたいだ。これはまた飲むしかないな。
「お仕事帰りですか?」
「そうそう!お姉さんいくつ?その服似合っててかわいいね〜」
「………」
もう楽しそうに話し出す友人を横目に早くアルコールを入れないと、と出されたメニューを眺める。
「いらっしゃいませ。当店は初めてですか?」
「え?…あ、はい」
『ミカ』と可愛らしく綺麗な字で書かれたコースターをカウンターに差し出しながら、バニーガールが話しかけてきた。
「私ミカって言います。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
「あ、お客様はタメ口でいいですよ?何飲まれます?」
「あ、はあ…」
急にタメ口でいいと言われてなんか中途半端な変な返事をしてしまった。
おい、はあ…ってなんだよ。
とひとりじわじわくらっているのを誤魔化すようにまた俺はメニューに必死で目を向けた。
*********
「いや…なんだこの資料は!って知らないよ!急にまとめとけって雑に仕事振ったのはそっちだろ!?誰にも教わってないのにこれだけのもの作ったんだから…むしろ凄くない!?」
俺の視界はカウンターで埋め尽くされていて、気づけば溜まっていた仕事の愚痴をタラタラと垂れ流していた。
醒めたと思っていた酔いは思っている以上にカラダに残っていたようで、口寂しさから次々と減っていくアルコールに、俺はあっという間に飲み込まれた。
「それは本当に凄いと思います。で、その資料はどうされたんですか?」
優しく寄り添うようなその声に顔を上げると、緩く流れる曲線を描く少し赤みの強いブラウンの髪に、大きく澄んだ瞳のバニーガールが真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「………」
「優真さん?大丈夫ですか?お冷お待ちしましょうか?」
「あ…だ、大丈夫…。いや、やっぱもらおうかな」
「はい。今お持ちしますね」
ふわりと柔らかく笑う彼女にトクンと胸が跳ねた。
「お待たせしました。で、その資料は無事完成したんですか?」
「あ、あぁ…後ろの席の先輩がすごく良い人で、いろいろと教えてくれたんだ。内容は良いからフォーマットを変えるだけで大丈夫だって…。ほんと、先輩がいてくれて助かったよ」
「そうなんですね。でもそれは優真さんが一生懸命にお仕事されてたからなんじゃないですか?」
「え…?そ、そうかな?でも俺こんなとこで酔って愚痴って…もっとこう、仕事バリバリこなすカッコよくてスマートな大人になってる予定だったんだけどなぁ〜」
「今の優真さん、すごくかっこいいですよ?」
「はは…それは嘘だろ?みんなにそうやって…」
「嘘じゃないですよ!少しの時間ですけど、お話聞いてると優真さんってすごく真っ直ぐ真剣に、お仕事されてるんだなって伝わってきます!かっこいいです!」
「………あ、ありがとう」
「ふふ…」
わかってる…彼女にとってそれがただの仕事であるということはわかってる…。
なのになぜか彼女に言われるとそんな現実にも冷めることはなく、高まる胸の鼓動が頬を緩ませようと内側からつついてくる。
そして俺はまた、酔いに逃げようと目線を彼女から外し、グラスをグイッと傾けた。
「お冷、おかわりお持ちしますね」
「え?…あ、あぁ…」
「ふふ…」
*******
カランカラン___
「いらっしゃいませ〜あ、優真さん!」
こっちこっちと目の前のカウンターへ手招きするバニーガールに、俺は吸い寄せられるまま席へと座る。
「お疲れ様です!」
「ありがとう…」
綺麗な髪から伸びる長い耳を揺らし、ニコッと彼女がおしぼりを差し出す。
あの日から俺の中での華金は、彼女のことを意味するようになった。
「それで大学の時に…」
この頃になると俺は酒の力をそこまで必要とはせず、気楽に仕事以外の話をしたり、逆に彼女の話を聞くことも多くなっていった。
彼女は今大学生で、彼氏はいない…らしい。それもまあ、嘘か本当かわからないけど。
こんな聞き上手で綺麗な子、絶対にモテるに決まってる。
知れば知るほど魅力的な彼女は、いつの間にか俺にとって仕事の原動力になっていた。
仕事も徐々にわかるようになり、華金のことを思えば残業や上司の嫌味なんかも苦だとは感じなくなった。
本当に単純だと自分でも笑ってしまう。
けど学生の頃もそんなことはあったはずだ。
夢に出てきただけでそのクラスメイトが気になって、ただそれだけで学校へ行くのが楽しみになって…。
そんなもんで人は恋に落ちることだってある。
ん?待てよ…俺は彼女に"恋"をしてるのか?
まあ…それだっていいさ。それで仕事が捗るなら。俺は一時の幻想に淡い恋心を抱き、彼女も仕事をながら少しは俺に溜まったものを緩く吐き出せるなら、Win-Winだろう。
お互い理解した上での薄い関係だ。そう、うっっっすい関係。
「………ミカちゃん?」
「………」
ふとグラスから目線を上げると、彼女は長いまつ毛を下に垂らし、その大きな瞳を瞼で隠しながら見たことのない哀愁を纏っていた。
「………」
今の彼女の世界に無理やり飛び込む勇気は俺にはなく、どうしたの?と続く言葉をアルコールで押し流した。
カラン___
と空になってしまったグラスの中で氷が鳴る。
「あ…すみません!おかわりお持ちしましょうか?」
「あぁ…同じのでお願い」
「かしこまりました」
今に戻ってきた彼女はすぐにバニーガールとして働き出し、いつもの笑顔を俺に向けた。
「お待たせしました」
「ありがとう…。ミカちゃん…何かあった?」
スッと置かれたグラスに手を伸ばし、俺の口は勝手にそう動いた。
「………え?」
「あ…いや、言いたくないならいいんだけど。さっきなんか悩んでるっぽかったから気になって…。あ、ほんとただ気になっただけだから全然いいんだけど…」
俺はグッと頬とグラスを握る手に力を入れ、口へと傾けた。
「あ、さっきはぼーっとしちゃってすみません…そんな大したことじゃないんですけど…」
「うん…」
さっきの哀愁を少しだけ出しながら彼女は笑い、俺はゆっくりと相槌を打ちその続きを待った。
「その…子供の頃から仲が良い友達がいるんですけど、彼女、好きなこともやりたいことも見つけて、いつも楽しそうにしてるんです。」
「………」
「私にはそういうの、何もないから…。なんかすごく羨ましくて。その子のこと信頼してるし大好きなんですけど、嫌いになりそうで…そんな自分がまたすごくイヤなんです。"何か"のために踏み出す勇気もないくせに…」
はは…と彼女はまた見たことのない乾いた笑みを浮かべた。
そしてそれもまた、とても綺麗だと俺は思った。
「ただ…それだけです!だから優真さんのことも、私すごくいいな〜って思ってるんですよ?お仕事いつも頑張ってて、そんな風に頑張れるお仕事を見つけられて、いいなって…」
「それはっ…」
『すいませ〜ん!』
「あ、はーい!ごめんなさいちょっと行ってきますね」
「あ、うん…」
"君がいるからだよ"なんてキモいことを口にしようとした俺は、彼女に羨ましがられるような仕事をしているつもりもない。
俺はただできることをやり、気づいたら今の仕事をしているだけで。やりがいはそれなりに感じてはいるがそれもいつまで続くかはわからない。
まあ、表には出さないだけでみんなそれぞれ思うものと日々戦っているということか。なにか特別な人生にしたいと。特別なことなんてそうそうあるわけがないのに。
俺は垣間見えたバニーガールではない彼女に、また違う胸のときめきを感じた。ありのままの彼女を見せてくれた気がして、彼女の世界に少し入れた気がして、少しだけ彼女の特別になれた気がして…。
「えーそうなんですか?」
「………」
そして俺は、楽しそうに他の客と話すバニーガールを眺め、この薄い薄い関係では抱いてはいけない感情にモヤモヤと胸を支配された。
あぁ、ダメだ。俺は何を思い上がっているんだろう。所詮ガールズバーの店員と、仕事帰りの客なだけなのに。
必死にそれを頭の中でくり返し、胸に溜まったものを散らしていく。
俺は思ってる以上に彼女に恋をしてしまっていたみたいだ。
それは、あまりにも危険だ…。
「すいません、お会計で…」
「はーい!ありがとうございま〜す」
俺はニコニコと笑うバニーガールから逃げるようにそこら辺にいた子にそう声をかけ、急いでビビットピンクの扉を出た。
もうここへ来るのはやめよう。あぁでも、最後くらいはありがとうと伝えられたらよかったかな…いや、それは…
「優真さ〜ん!」
「ッ!…」
聞きなれた声に後ろを振り向くと、バニーガールが立っていた。
「え…」
「あの忘れ物です!」
「あぁ…"ありがとう"」
ほら、危ない。やっぱりダメだ。
ドキッとした胸の高まりは、彼女が右手に握り揺らす俺の携帯によってヒュッと止まった。
まあでも最後に言えてよかった。そこに込められた他の想いまでは彼女に伝わるわけもないが…。
「もう…帰っちゃうんですか?」
「え…あぁ、ちょっと用事を思い出してね」
「そう…ですか。もっと…優真さんとお話したかったんですけど…」
「はは………ミカちゃんなら大丈夫だよ」
憂いを帯びた眼差しを向けられ咄嗟に笑って誤魔化すが、なぜかそんな言葉が溢れた。
言ってみて適当だなって、ありきたりで軽い言葉だな、なんて自分でも思う。
でも、本当にそう思った。彼女はいつもスッと綺麗に伸びた姿勢と同じように芯があって、花が咲いたような笑顔があって。彼女なら何があってもどこに居たとしても、きっと大丈夫だろうって。大して知りもしない客に言われたそんな軽い言葉なんて、なんの意味も成さないだろうけど。でも、彼女に伝わるようにと俺は真っ直ぐバニーガールの瞳を見つめてそう言った。
「やっぱり…優真さんは優しいですね」
「…そう?ねぇ、なんでミカちゃんはこの店で働いてるの?」
俺なんかよりさらに優しく柔らかい笑顔を見せる彼女に、ずっと聞いてみたかったそんな疑問が、また勝手に飛び出した。
「え?あぁ…それは…」
と細い腕をさすりながら何かを考えるように話し出した彼女の肩に、俺はさっき着たばかりのスーツの上着をかけた。
「あ、ありがとうございます。ふふ…あったかい…」
彼女は微笑みそれを両手でギュッと寄せた。
「その…私借金があって、あのお店辞められないんです」
「え………」
偏見かも知れないが、ああいうお店で働いているんだからそんなことがあってもおかしくはないだろう。
なぜそんな借金を?いくらの借金なんだ?
なんて驚きながらも冷静に頭は回り出す。
「優真さんは…私をあの店から、連れ出してくれますか?」
「え……………」
ネオンに照らされた澄んだ大きな瞳が、真っ直ぐに俺を見上げる。
その時俺は思った。
もういくらかどうかなんて関係ない。彼女を助けたいと…。
「………行こう」
「え!?…」
パシ___
俺は彼女の手を取って、ネオンの街を走り出した。
「はぁっ…はぁっ………」
彼女を気にしつつ俺の足は止まらなかった。
むしろいくらでも走れそうなくらいカラダは軽かった。
彼女がいれば俺はなんだってできる。こんなことするなんて、自分がいちばんビックリしてるかもしれない。
でも、ネオンに輝く風が頬を冷やしていく感覚がとても心地よかった。
「はぁっ…ちょっ…優真さん待って!」
彼女の声にハッとして、俺はゆっくりと足を止めた。
「はぁっ…ごめん急に走り出して…大丈夫?」
「はぁっ…はぁっ…こんなに走ったの久しぶりかも…」
彼女は膝に手をつきながらその声は笑っていて…
「でも、ごめんなさい…」
「………え?」
あぁ、俺はやってしまったのか…。
ゆっくりと上げた彼女の顔からはどんどんと笑顔が消えて行く。
「本当にごめんなさい…」
わかってる。違う。俺がアホだったんだ。だからそんな顔をしないで?言わなくてもわかるから。
「さっきのは ウソ なの…。私…」
あぁ、ほらやっぱり。最初からよしておけばよかったんだ。彼女の話す声は耳に入ってくるが、頭には入らずそのまま反対の耳へと抜けて行く。
「私…"________"…」
「…………え…」
けどその一言だけはしっかりと胸に届いた。
俺は動き出した頭と胸の鼓動そのままにまた彼女の手を取り、急いで色めく街を走り出した。
そしてその日から俺は、もう二度とあのビビットピンクの扉を開けることはなかった…。




