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7月25日 午後1時2分

「肩の長さで揃えます?」

美容師さんの高く伸びやかな声で優月は我に返る。

一見で入った美容室だから落ち着くことができず、案内された赤いチェアに腰掛けてからずっと鏡越しに店内を観察してしまっていた。

「ぎりぎり付かないぐらいのボブで」

平静を装って派手めな女性美容師に答える。(この人、最初にサイトウと名乗っていたっけ)

彼女に気付かれないように名札を確認しようと視線を動かすが、ここはどうやら名札はしない店らしい。

サイトウさんは如何にもお喋り好きそうな朗らかなオーラを纏った人で、担当の挨拶をされた時は少し気が引けてしまったのだが、いざカットを始めてみると、こちらが話し掛けるまでは必要最低限のやり取りしかしない大人しい女性だった。いや、もしかしたら客の雰囲気を繊細に感じ取って、その人好みに柔軟に振る舞えるタイプなのかもしれない。

サイトウさんの変に踏み込んでこない態度に安心したからか、毛先をカットしてもらっているうちに微睡みが波のように静かに襲ってきた。しかし頭を固定されているため気持ちよく眠りに落ちることかできない。その苛立ちがつい顔に出てしまい、我ながら鏡に映った形相にぎょっとなる。せめて眠るまい、と眼を大きく開いて静止し、自分とにらめっこを繰り広げていると、鏡の端に動く影を捉えた。奥の席に同じぐらいの歳の女の子が見える。

女の子も私同様、眠たくなってしまったのだろう、カットに支障が出ない程度に少しだけ頭を前に倒し目を閉じている。その顔立ちは極々淡い紅色のインクを滲ませたような儚さを湛え、それでいて口唇は意思の強さを表すように横に薄く長く、全体としては何処かの絵本で見たようなお姫さま然とした愛らしさがあった。

(あの長い睫毛………きっと目を覚ましたら大きな眼なんだろうな)

全体的に彫りの深いはっきりとした顔立ちの私は、一瞬で真反対の相貌の彼女に憧れてしまった。しかし途端に何故だか、私の瞼も重くなる。

(もう少し、あの子の無防備なうたた寝を見つめていたかったのに……)

眠りに落ちる直前にそんな想いが頭を過ぎった気もする。


誰かを追いかけて走る。

こんなに必死に走っているのに、風を切る音が聞こえない。

誰に追いつきたいのか、必死に目を凝らす。

姿は確認できないのにそれは女の人だと直感する。

向かい風が前髪を舞い上がらせて散っていく。

風に混じった埃が顔に叩きつけられる。

目にどれだけ入っても痛みは感じない。

ただ、喉だけが酷く乾く。


「……………いかがですか?」

サイトウさんのよく通る声で目を覚ます。今日何度目だろう。サイトウさんも何回か私に話かけていたようで、

「あ、ちょうどいいです」

と急いで答えると、どこかほっとした微笑みを見せた。

「最後に前髪だけ揃えますね」

そう言って斜め前に回り込むと丁寧な手つきで少しずつ前髪を掬い上げる。目のやり場に困って、サイトウさんの反対側へ視線を動かすと、先程見惚れた鏡越しの彼女が仕上げのブローに取り掛かっているところだった。

にこやかに美容師と談笑している間に彼女の髪が乾かされていく。とても綺麗なウェーブだ。あれはパーマをかけたものではない。きっと生まれ持ったものだ。

(あのカーブは何次曲線だろう)

と鏡越しにぼんやり思う。私は1次直線でなんとも面白味がない。神はこうも不公平に私達を扱う。

彼女とふと目が合った。想像通りの大きな眼だが、アイラインがそれほど濃くないために大きさに反して柔らかな印象を受ける。

私を見つめた瞬間、先程担当の美容師に向けていた笑顔とは真反対に、この身を刺すほどに凍り付いた表情に変わった。そしてすぐに何かを畏れているような不安定さを灯す。

私の胸が早鐘を打つ。

そう、美しい人は、怯えていてさえも美しいのだ。


世にいう空き家がものすごい速さで廃屋となるように、私という住人を失った“優月”もすぐに朽ちてしまうだろう。それで良い、と鏡の中の自分に向き合うと、少しだけ笑いかけてやった。

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