7月23日 午後10時2分
優月は纏めた荷物を扉の脇に積み上げ、ベッドに横になって手足を大きく広げた。幼い頃、天井に見つけた汚れとも染みとも判別できない淡い墨色の小さな楕円の点々が、今日だけは星空に見える。
そう、両親に留学したいと言ったのは昨年の夏頃だったか。あまりに突然の決意表明だったから反対されることもあるだろうと思っていたが杞憂だった。それどころか安堵の溜め息が聞こえた気がした。私が暮らしたこの場所は両親にとっても息の詰まる家庭だったのだろうか。
思えば、まるで家族という絶対的に光る糸で編まれた蜘蛛の巣に、知らぬ間に捕らえられたような18年だった。その糸は光に当てられた時は燦然と輝くけれど、普段は獲物に気付かれないよう沈黙しているかのように息を潜める厄介な存在だ。私もそれに絡め取られていることに気付くまでは随分と時間を要した。しかし気付いてしまえばそれは一瞬のことで何のことはなかったと思えたから不思議だ。それがいつ、何処での一瞬だったかは何故か覚えていないのだが、重要なのは気付いてからは逃れる為の方法論を構築することだけに時間を割き、それこそが生きる意味とさえ思えるようになったということだ。この時間こそが今までで一番幸せだったと言っても過言ではない。時として人は過程こそを楽しむというが、それはこのようなことを指しているのだろうか。
一方で、
「私は一人で生きていけるのだろうか」
「私を失った彼等は、果たして憂える溜息を洩らすのだろうか」
「彼等はこれから先、私を思い出すことなどあるのだろうか」
次々と浮かんでくる思いはあれど、そんなことは自身の解放が成った後に考えれば良いのだ。私はただ、やんわりとあの人の両の手で裾を掴まれているこの衣を脱いでしまえば良い。
留学などに興味はない。母が取り寄せた、神経質気味でいて、それでもプライドの高そうな細い字体でレタリングされた分厚いパンフレットは、受け取ってすぐに捨てた。通学途中のコンビニの塵箱に押し込んでしまえば、もう私とは無関係な唯の灰になる有機物だ。
適度に有名な留学先を選び、早めに手続きをした。9月の新学期前に語学の研修講座が開かれるらしく、逆算した結果、渡航は7月下旬に決まった。
実は留学先には手続き後すぐに連絡を取り、即日のキャンセルを申し入れてある。しばらく学校に在席しておくという手もあったが、先延ばしにすればするほど煩わしさも増す気がした。留学先からは入学金と授業料から手数料を差し引いた額を返金すると言われたので、自分が幼い頃に作った口座番号を伝えた。本人確認が出来次第振り込んでくれるという。今後が不透明な私にはありがたい軍資金となりそうだ。
これで学校から母に連絡がいくことはないだろうが、念のため数ヶ月に一度は近況報告メールでも送ることにするべきだろう、と私は決めていた。
「他の人の遺伝子が欲しくなったとき……」
天井の星と星を繋げて、あの子の顔を作ってみる。その彼女の零れそうな程の大きな目を見上げ、あの時の言葉を声に出して復唱する。夏の夜の重く湿った空気を鈍く振動させて、ようやく耳管に届いた自分の言葉は、灼熱の砂漠で地平線の際に見つけたオアシスのように魅惑的に思えた。あまりの輝きに、つい目を瞑ってその発光体から直線的に襲ってくる眩しさを回避していると、次第に笑みが零れていくのがわかった。
どうして、こうも人の生き死にに関わるものはいつも果てなく甘美なのだろう。
「おやすみ」
宙に放った声は天井のあの子に届いただろうか。




