物理的な自縄自縛
「お気付きの通り、私は以前貴族家に居ました。ですが色々とあり、出奔した身です」
気付いていない事を気づいていただろう?と言えば、プライドの高い人間であればあるほどイエスと答える。
「え、ええ。そうでしょうね。それだけの作法を身につけているのですものっ!」
漸くそこに思い至ったか。
俺も油断していたが、少し考えればおかしな事だ。
何故城勤めでもないただの市民が、膝をつき首を垂れるのか。
まあ見慣れていて当たり前になっているのもわかる。俺も自然としてしまっていたからな。
「ですので、誰にもここにいる事を知られたくないのです。難しいと思いますが、どうでしょう?」
流石に出来ないと思うが、などとは言わない。
あまり刺激しすぎてもダメだからな。
俺が難しいと思っている事を出来る私凄いでしょ?
こう誘導出来ただろうか?
「簡単…とは言えないけれど、可能よ。私に全部任せて。方法は言えないけど、貴方の事は誰も覚えていないように出来るわ」
「流石未来の皇太子妃殿下ですね」
俺は引き攣る顔をどうにか笑顔にし、レイシアへと最大限の賛辞を贈った。
「ふふふっ。そうよ?皇太子妃にはこれくらいの事が出来ないとなれないのよ。さっ。お茶が来たわ。飲みましょう」
「お綺麗なだけではなく能力も高いとは…流石ギュンター『ヘーゼルよ』…ヘーゼル姫様です。
有り難く頂きます」
俺の言葉を遮り、名前で呼ぶ様に言ってきた。
目立つこの顔のせいで、とんでもなく想定外な事に巻き込まれはしたが、それはとんだ幸運だったな。
その日はヘーゼルの愚痴を聞き、適当に同意を示してお開きとなった。
帰る前に身分証を渡され、次からはこれを使って簡単に城へと入る事ができる様になった。
もちろんこれを使って入れば、ヘーゼルに筒抜けなのだろうから勝手な事は出来ない。
しかし、そんな事はどうでもいい。
この馬鹿の事だ。近いうちに大きな隙を見せてくれる事だろう。
俺はその事を考えると、レイシアに自然と笑みを返す事が出来た。
三日後。約束の日になったので、俺は帝城へと向かっている。
恐らくこの三日で感情操作を使い、俺の事をいない者としてくれているのだろう。
狐の皮を被った虎を、自ら招いてくれている。
それも自身の神が与えてくれた力を使って。
「武器は持って入れないが、俺の武器はこれまでに鍛え上げた俺自身だ。
お前の武器は脅威だった事だろう。ちゃんと磨いていればな」
自身の欲望の為だけに使って来たことにより、その武器は錆びている。
俺は抜かりがない様に、今一度気を引き締め直した。
「そんなに心配しなくても大丈夫!私を信じなさいって」
帝城内の部屋へやって来た俺は、問題はないのかレイシアへと問いかけた。
どうやったのか知らないが、出会う者出会う者、俺を無視していた。
間違いなく感情操作でやった事なのだろう。
しかし、レインはただの町人だ。
疑われないようにしっかりと疑いの言葉をレイシアへと向けた。
「ヘーゼル姫を信じます」
「うん!そうして!」
(三日前にレインくんを見た人の記憶は消したし、あの通路を使う使用人達には銀髪のイケメンが目に入らないように操作したわ。
大変だったけど、これも私の為。
レインの様に素直でいい子なんてレアだもの。それもこんなに綺麗で……)
「あれ?彼らは如何しましたか?」
「え?ああ…あの子達ね。レインくんに居心地良く過ごしてもらう為に、外してもらっているの」
予定通りだ。前回の別れ際、『次からは二人きりで逢えたら良いですね』と伝えたお陰だ。
こうも直ぐに信用されるとは思っていなかったから、驚いたが……
もう殺して大丈夫か?
俺は自問自答する。
使徒同士の争いは決着方法が二通りある。
一つはどちらかの死。
もう一つは負けた事を神に宣誓すること。
本当に殺して良いのか?
今一度、しっかりと顔を見て考える。
「ど、どうかしたかしら?そんなに見つめられると照れるわ…」
「これは、とんだご無礼を。姫があまりにもお綺麗で、見惚れてしまいました」
やはり殺そう。
俺が殺らなくとも、他の使徒に殺される。
それにこうしている間にも、レイシアに不幸を振り撒かれている犠牲者が増えているんだ。
俺は決意を固め、気付かれないように魔力を練り始めた。
そんな俺に、レイシアがポツリと言葉を零す。
「…綺麗じゃないよ。私は」
レイシアは俯き、この部屋には誰もいない。
絶好の機会だが、何故か攻撃する気にはなれなかった。
「私ね。ある任務を授かっているの」
「任務?」
「うん。誰にも言えない大切なこと」
それは使徒を倒すことか?
なぜレインという力を持たない者にその事を?
俺の疑問を他所に、レイシアは言葉を続けた。
「実は私、その仕事を放棄していいって言われてるの」
「………」
「でもね。私にはそれしか残されていないの。だから、私はしなくてもいい任務を頑張るの」
ユーノ神はレイシアに使徒討伐を望まなかった…だと?
どういう事だ?
「そうでしたか。やはり皇太子妃になられる方は大変なのですね」
無難な回答をする。
「ふふっ。皇太子妃は関係ないかな。それは私の望みだから。あっ!でも、権力があれば攻撃にも防御にも使えるね!」
「…そうですね」
やはり何も考えていない、か。
…少しわかった気がする。
レイシアは良くも悪くも子供なのだろう。
人を操る力を手にしても、自分が何者なのかすらわかっていない。
汚い大人であれば問答無用でその命を散らすが、自分の力の恐ろしさすらわからない子供か……
「降参しろ。レイシア。お前に勝ち目は無い」
「えっ?レインくんどうしたの?…えっ……レイシア…?何故知って」
「俺の魔力で、既にこの部屋を覆っている。ユーノの使徒レイシア。
降参しその異能を手放すのであれば、その命だけは見逃してやる」
甘いかもしれない。
だけど、子供の悪さを咎められない大人にはなりたくはない。
「…使徒なの?」
「そうだ。お前の権能は通用しない。それ程俺とお前の力には差がある。そして俺の魔力は濃厚だ。お前が叫んでも誰にも聞こえないくらいにはな」
広げて使えば薄まるが、この部屋程度であれば、俺の魔力は物質にも左右する程の濃さを出せる。
「ど、どうしてっ!?騙すなんて卑怯よっ!?」
「使徒同士の争いは何でもありだ。権能に差があるからな。だが、本当に卑怯なのは誰だ?
俺は使命と自分の身を守る為に誰かを巻き込んで良いなどとは考えない。
お前のこれまでは調べた。
自分の欲望の為に多くの子供達…いや、人々を殺めた」
「わ、私は殺してなんか…」
「殺しただろう?その権能を使い、人の感情を操り、多くの人達を!」
レイシアは人のせいにばかりして来た。
これまでの人生…いや、恐らく前世でも。
「そ、それは…あの人達が勝手にしたのよ!私は人殺しなんて『いい加減にしろっ!』きゃっ!?」
バチィンッ
いつまでも他人のせいにばかりしているレイシアに、堪忍袋の緒が切れて、俺はその頬を強かに平手打ちした。
「立てっ!お前に踏み躙られた人達の苦しみは、この程度ではないぞっ!!」
「………っ」
「俺も人を殺した。ついさっきまで、お前の事も問答無用で殺そうと思っていた」
俺の言葉にレイシアは息を呑み、身体を震わせた。
「じゃ、じゃあ同類じゃないっ!!」
「そうだな。人殺しという言葉だけで纏めると同じだ。
殺した理由をいうならば、俺が殺した相手は、皆俺を殺そうとしてきた奴らばかりだ。
もちろん、だからと言って人殺しが許されるとは考えていない。
俺もお前と同じで心が弱い。
言い訳を作らないと人を殺す事も出来ない。
お前はどうだ?自分の弱さを認められているのか?」
「わ、私は…神様に選ばれて……せ、世界一可愛くて…『お前より美しい人を俺は知っている』………な、なんで…」
俺は弱さを認めているから、曝け出しても平気だ。
レイシアは自分の弱さを知らない。
だから傷つくのが怖くて、周りに当たっているんだ。
「なんでっ!みんな!私を見てくれないのよっ!?」
「お前が力でそれを手に入れようとしたからだ」
「だ、だって!みんな簡単に私の思い通りになるのよっ!使うに決まっているじゃない!」
座り込んだまま、抗議の視線と言葉を俺に向ける。
まるでオヤツを買ってもらえない子供が駄々を捏ねている様だ。
「それでお前が欲しかったものは手に入ったのか?今現在命すらも失いそうだが?」
「………う、うあああんっ!もうやだぁぁあ!!」
「泣いても、喚いても、お前が奪った善良な命は戻ってこない。二つ提案する。どちらか選ぶんだ」
床に座り込み、大きな声を出して泣くレイシア。
この泣き声はレイシアが奪ってきた命の慟哭に聞こえる。
レイシアが泣き止むのをただじっと待ち、それを見計らい口を開いた。
「一つ。このまま泣き続けるのであれば、俺がお前の生涯に幕を下ろす。
一つ。降参して、国を出るのであれば見逃そう」
使徒にとっての降参とは、その権能を手放す事と同義だ。
権能補正で大きかった魔力も減るだろうから、普通の少女よりも弱くはなるだろう。
「お前の神であるユーノがなぜお前を選んだのか、それだけが疑問だった。だが、何となくわかった気がする」
「…な、なに?」
「ユーノは統一神になるつもりがなかったのだろう。そして、偶々見つけた未完成な魂であるお前を憐れみ、第二の生を与えたんだ。
レイシア。お前は神の命と引き換えに、この生を授かったんだ」
この使徒同士の争いに敗れた神が実際のところどうなるのかは知らない。
だが、かなりの確率で消えて無くなると考えている。
「わ、私が…神様の命と引き換え…?」
「勘違いするなよ?偶々お前だっただけだ。お前はこの世に生を授かった瞬間に、親以外からも命を与えられているんだ。
お前の今世の親は知らないが、少なくともユーノはお前の事をずっと見ているだろう」
「私…一人じゃなかった…の?」
恐らくレイシアは、この世界を部分的にゲームか何かだと思っていたのだろう。
本当のレイシアは、臆病で、引っ込み思案で、他人の顔色ばかり窺い、そして…誰よりも純粋なんだろうな。
「ああ。一人ではない。
俺も別に説教がしたいわけじゃないんだ。そんな事をするくらいなら殺した方が簡単で、早いからな。
だが、ユーノの気持ちに気付いた。そして、気付いてしまえば俺も同感だった。
レイシア。お前は憐れなんだ」
「………」
「生きるのであれば、ユーノの想いくらいは背負え。死ぬのなら好きにすればいい。…選べ」
煩いくらい煌びやかな部屋。
そこに静かな時が流れた。
クライマックス