第六夫人の華麗なる日常⑥
「静まれ、伊織! すぐ降ろす!」
ドラゴンの背で、姉の後ろに騎乗する第二夫人(乙)妹のマミアが懇願するように言った。魔物たちの武器や魔術攻撃でも傷一つ付かなかったドラゴンの脚の硬皮にいくつもの引っ掻き傷ができているのは、暴れた伊織が爪で付けたものだ。
「く……!」
目だけでなく身体感覚すべてをドラゴンと同期している第二夫人(甲)姉のハミアが苦しげに呻く。
伊織は既にドラゴンと大差ない大きさにまで巨大化していた。ドラゴンは脚に掴んだ銀孤の重さに耐えかね、超低空飛行で戦場を飛ぶ。その状態が気に入らない伊織が暴れるゆえに、さらに飛行は不安定となった。
「あね様、もう少しだ!」
「ああ、大丈夫だ。心配するな、マミア。しかし、あれは……?」
ハミアのドラゴンの目はすでに異常を捉えていた。
しゃべる生首周囲の魔物たちの死骸が不自然な動きを見せていたのだ。まるで波に運ばれるように生首の落ちている方に向かって引き寄せられている。ハミアはレティシアの指示通りに生首を見ないように注意しながら飛行した。
「グルガアアアアアア!」
咆哮と共に尻尾が八つに分かれた伊織を、ハミアは生首の手前に放り投げた。伊織は身を縮めて器用に回転して受け身をとりながら四肢で着地する。
「グルガアアアアアア!」
その咆哮の瞬間、尻尾がさらに分裂し、伊織はついに九尾の巨大な銀孤と化した。銀色の毛皮がバリバリバリと逆立ち、小さな雷光がビリビリと体の周りを覆っている。
「グルゥルルルルゥゥゥ!」
獣の唸り声をあげる今の伊織は、伊織であって伊織でない。
銀孤は金色の瞳でドラゴンを睨みつけた。ハミアは一旦、伊織が一息のジャンプで届く間合いからドラゴンを遠ざける。
目立つ目標物がいなくなった伊織は、周囲を見回して魔物たちの死骸を弄び始めた。だが、その死骸たちが徐々に一方に向かって引き寄せられているのに気づいたのだろう。その中心地に向かって「グルゥルルルルゥゥゥ!」と威嚇し始めた。
「あね様、いったい……?」
「わからぬ。レティシア、あれはなんだ? 死骸が生首に向かって集まっているぞ」
若紫の口伝鳥に向かってハミアが問いかけると、レティシアの声が返ってくる。
『ハミア様、おそらくはハミア様が見つけられたのは先程のデュラハンの「頭」です。デュラハンの生態についてはわかっていないことが多いのですが……「頭」と「身体」は同体でありながらも個別に生存が可能との学説があります』
「竜の火で焼くか、突き落として壊してしまえばよかったか?」
『いいえ。「頭」は他者の意識を操ってその「身体」を乗っ取るという伝承が存在します。生者の意識を乗っ取り、自らの新たな「身体」とするために、生者に自らの頭を切り離させるのだとか。このためハミア様に生首を見ないようにお伝えしたのです』
「それは……伊織が危険なのではないか?」
『銀孤姿の伊織様は意識を閉ざしておいでです。デュラハンによる精神支配は及びません』
「なるほどな。では訊くが、あの生首は死骸だらけのこの場所で何をするつもりだ?」
ハミアの問いに、わずかに思案の間が空いてから若紫の口伝鳥が嘴を開いた。
『一説には、デュラハンは死体を乗っ取ることもあるとか』
「ふん。あれらの死骸の中から自らの新たな『身体』を選別しようというわけか」
『いえ……もしかしたら、もっと大掛かりなことをしようとしているのかもしれません。そう、例えば……』
戦場では巨大な銀孤姿の伊織が咆哮と共にデュラハンの生首へ向かって飛び付く。
「グルガアアアアアア!」
そこにはすでに引き寄せられた死骸が積みあがっていたが、伊織はそれらを鋭い爪で引き剥がし、牙で噛み千切って捨て、中心部に頭を潜り込ませていった。
「グギャアアアアア!」
伊織の牙がかぶりつき、死骸の山から引きずり出したのは、デュラハンの生首だった。
「あね様、見てはならぬ!」
「だが、あの生首はすでに……」
伊織に咥えられた生首は、鋭い牙で噛み砕かれて原型をとどめていなかった。巨大化した伊織にとっての生首は、獅子に対する鼠ほどの大きさしかない。
伊織は生首だった残骸を不味そうに吐き捨てる。
ハミアとマミアが安堵したのも束の間――。
虚空に禍々しい血色の魔法陣が浮かび上がった。そこに記述された魔界言語の筆跡は、先程、ドラゴンの火炎を逸らした時に出現したものに酷似していた。
「あね様、あれはデュラハンの闇魔術だ!」
「伊織に砕かれる前に完成させていたのか……」
魔法陣が浮かび上がると同時に、魔物たちの死骸が動く速度が急激に増した。
死骸は砕かれた生首をも道ずれに一か所に殺到し、うず高く積みあがっていく。それはまるで嵐に吹き飛ばされているような有様で、その集積に巻き込まれかけた伊織が不機嫌そうに死骸を引き剥がしながら脱出しなければならないほどだった。
「あね様、あれはなんだ!」
「わからぬ!」
ドラゴンに騎乗する双子姉妹が混乱の声を上げた。集積した魔物たちの死骸が、あきらかに何らかの形を作り始めていたのだ。
「まるで人の体のような形だ……」
「しかし、あね様、頭がないぞ。レティシア、砦から見えるか? あれは何だ?」
『あれは……東方面の魔物たちはあのデュラハンにとっては完全に捨て石だったということでしょうか……。怨嗟のもとに死んでいった同胞の躯を取り込み、より強いデュラハンの「身体」を作るための魔術儀式に利用されたのでしょう』
若紫の口伝鳥が伝えたレティシアの言葉に、双子姉妹は目を見開く。
禍々しい血色の魔法陣の前で、魔物たちの死骸が巨大なデュラハンの「身体」を形成していく。押し潰され、圧縮され、滑らかな表面が形成される。すでに右足の膝下部分は皮膚を形成し終え、その上でまた別の死骸が押しつぶされ、鎧となってその足を覆い始める。
「グルガアアアアアア!」
伊織は咆哮し、巨大デュラハンのふくらはぎに噛みついた。巨大な九尾の銀孤よりもデュラハンの体は一回りほど大きかったが、伊織はまったく恐れる気配はなく、怒りの感情を撒き散らすように頭を振り回しながら鋭い牙をめり込ませていく。
デュラハンは転倒し、伊織は形成しつつある鎧を牙と爪で引き剥がしにかかった。
しかし、未だに禍々しい血色の魔法陣は消えず、伊織が傷を付けてもそこに別の死骸が引き寄せられ、「身体」を形成し直してしまう。
『伊織様が銀孤姿を保っていられるのは一刻ほどでしょう。ハミア様、マミア様、デュラハン撃破のバックアップをお願いします』
「そろそろ竜の火も使えるが?」
『是非お使いてください。ただ、あまりに早く決着がつくと、伊織様の攻撃対象が誰に移るかわかりません。適度な引き延ばしをお願いします。また、伊織様が元のお体に戻られたら、ピックアップもお忘れなきよう』
「面倒な注文だな」
「あね様、伊織の敵意を我らに引かぬよう注意もせねば」
「うむ」
『デュラハンの体が完成する前に叩き潰すことができれば、我らが辺境伯領軍の勝ちは確定です。気に食わない展開ではありますが』
「どういう意味だ?」
若紫の口伝鳥は少し黙ってから、舌打ちの音と巻き舌の声を発した。
『チッ……! あの野郎ォ、辺境伯領軍との戦争をテメーの身体強化の手段に使いやがるとかよぉ、うちらを舐めてるのかってぇ話じゃねぇか! マジで気に食わねぇ!』
「レティシア……?」
「どうした……?」
マミアはポカンとして口伝鳥を見つめる。
『あら、わたくしとしたことが。不機嫌のあまり、ついお国言葉がでてしまいましたわ』
レティシアがわざとらしく『うふふ!』と上品に笑うと、双子姉妹の口元にも笑みが浮かんだ。
『頼みましたよ、ハミア様、マミア様』
「了解した」
「ハミアとマミアでお前の望みの戦果を献上する」
その言葉と共に、双子姉妹が騎乗する瑠璃色のドラゴンは上空高くへと飛翔した。