蔓薔薇屋敷の華麗なるご夫人方④
辺境伯ルシエル・オール・ギザリアを前に、ブロアード地区のバティスティリ組幹部――表の顔としてはこの地域の卸売りと物流に大きな利権を持つバティスティリ商会の会頭に収まっているムートは緊張に体を震わせながら頭を下げた。
「ここ、こ、このような僻地に……ギ、ギザリア卿にお越しいただき、きょ、恐悦至極に存じますぅ……」
上等な服を着こんだムートは、普段ブロアード地区でいきり散らしているのが嘘のように、蚊の泣くような声でそう言った。そんな彼の後ろで、やはり余所行きのスーツを着たドリスが――この場ではバティスティリ商会の番頭を名乗っている――ゴホンと咳払いをすると、ムートはハッとして姿勢を正した。
「ハ、ハハハ! いやぁ、辺境伯御自らブロアード水源計画の成果についてご視察とは。さすがでごぜぇやすねぇ」
ムートはヘラヘラとした愛想笑いを顔に貼り付けながら額の汗を拭う。
「そんなに緊張なされるな。先のゴブリン事件がきっかけで完成された水路が、どのように領民たちの生活に役立っているのか、私は見たいのですよ」
ルシエルが朗らかに微笑むと、ムートはわざとらしく感銘を受けたような表情をする。一方、ルシエルの隣では辺境監理官のワルドが不機嫌を隠そうともしていなかった。
「私までこのような僻地の果てに連れてこなくとも……」
「まあまあ、ワルド殿。ギザリアの領土を視察して回るのも監理官のお役目の一つではありませんか。では、ムートさん……でよろしかったかな? 案内を頼みます」
「へい。早速ご案内致しますんで。おい、ドリス、準備は?」
「抜かりありません。おい」
ドリスの声に応じて辺境伯の前に出てきたのは、人相は悪いが、体格のいい男たちだった。ドリスが現バティスティリ組の構成員から選定した、腕っぷしに覚えのある者たちだった。
「こいつらは案内人兼護衛です。まあ、ギザリア卿にはこっちの護衛なんて不要かもしれませんがね。今回のご視察には奥様方もいらっしゃってますし」
ムートはそう言って、蔓薔薇模様のあしらわれた二台の馬車とそれに並走する騎馬からブロアードの地に降り立った女性たちを見つめた。
今回のルシエルのブロアード地区訪問には、蔓薔薇屋敷の夫人たち――つまり女子特殊攻兵隊の四名とメイドたちが護衛役として随伴していた。体調に問題のあるネイスと妊娠中のハミアは蔓薔薇屋敷に残っているとムートは事前に説明されている。
夫人たちは公的な行事であるために、王国の儀礼に則って一様に顔を隠すベールを纏っていたが、ドレスは動きやすいよう工夫されたもののようだった。
「では、参りましょう」
ドリスを先頭に、辺境伯の一行は狭く入り組んだブロアードの道を進む。
ベールを被った夫人方のうち、子供の体格――第四夫人の伊織と手を繋いでいるのは、アッシュグレーの短髪から第二夫人と思われた。伊織がモジモジしながら何事かを第二夫人に囁くと、彼女は足を止めて言う。
「伊織を厠に連れていく。皆は先に進め」
他二人の夫人たちが頷き、一行は伊織たちと別れて道を進む。
「いやあ、しかし、本日はお日柄も善くて、まるで空が皆さんを歓迎しているようじゃありませんか。さすがは辺境伯様と監理官様のご威光でございますねぇ」
ムートは道中、揉み手をしながらルシエルとワルドにおべっかを続けていた。だが、ふと何かに気付いたように左右を見回すと、一行の先頭を進むドリスに問い掛けた。
「おい、こっちは方向が違うんじゃねぇのか?」
「やっと気付いたんすか、ムートさん?」
ドリスは呆れ気味にそう言うと、ニヤリと笑いながら手を上げる。その瞬間、その場にいたマフィアの構成員たちがナイフを抜いた。
「辺境伯がナンボのもんじゃ!」
「テメーら、覚悟しろや~!」
護衛役だったはずのマフィアたちは、ドスの効いた脅し声と共に一行にナイフの切っ先を向ける。その突然の反旗に、ワルドとムートは悲鳴を上げた。
「い、い、いやぁ~!」
「な、な、なんだテメェら、や、やめろ~!」
混乱して逃げ惑い、しがみついてこようとするワルドとムートのせいで、随伴する夫人方やメイドたちは武器を振るうことができない。
「ま、まさか、ドリス、テメェ……う、裏切りやがったのか!」
及び腰でメイドを盾にしつつ、ムートはドリスに向かって叫んだ。それを受けて、ドリスはおかしそうに笑う。
「ふははは! いい加減、アンタの下につくのはウンザリなのさ。こいつらは皆ドリスの子飼いでねぇ。ムートさんには悪いが、『良い案件』が来たんでねぇ。皆、やっちまいな!」
ドリスの号令でマフィアがナイフを振り回し始めると、ワルドとムートは恥も外聞もなく泣き叫びながら、ブロアードの細い通りを逃げ惑う。
ベールを被った夫人の一人――赤髪のレティシアは二人に向かって叫んだ。
「お二人とも、落ち着いてください! こんな狭い三叉路であちこち動かれたら、現場が混乱します! え、三叉路……? まさか!」
ベールを引き上げ、周囲を見渡したレティシアは目を見開いた。彼女は知っていた。ドリスの誘導で誘い込まれたこの場所は、ネイスがヴィジョンで見た場所だということを。
「ルシエル様がゴブリンに襲われる――あの三叉路……!」
周囲のボロ小屋から何者か――人間ではない魔物たちがのそりと姿を現す。節くれだった緑の肌で、子供みたいな体格のくせに筋力と俊敏さだけは異常に発達した魔物。戦斧を構えたゴブリンたちが、おそらくはネイスの見た光景そのままにルシエルに向かって襲い掛かった。
「くっ……!」
ルシエルは腰に下げた剣を抜いて構えようする。だが、それは叶わなかった。
「なに……!」
ルシエルは重さに耐えかねたように剣を取り落とし、それどころか地に膝を付き、肩で息をしていた。
「ルシエル様……? どうされたのです!」
「なんだ、これは……? 体がおかしい……!」
ルシエルは未だかつて感じたことのない肉体の疲労感に戸惑っていた。だが、辺境伯はすぐに対応を切り替えた。体術を諦めて攻撃魔術のための呪文を唱え始める。
しかし、空中に生じた魔法陣は生成されたそばから滲み、虚空へと霧散してしまう。
「魔力が……散っていく! 魔術が行使できん!」
ルシエルの異常状態に、レティシアは眉間に皺を寄せた。
「もしやこれは辺境伯封印の印呪……? ワルド様!」
レティシアが鋭く叫ぶが、マフィアを恐れてメイドの腰にしがみ付くワルドは、必死に頭を横に振った。
「わ、わ、私は何もやっていないぞ!」
「ですが、ルシエル様のご様子を見れば封印の鍵が行使されたのは明らかです!」
「そ、そそ、そんなこと言われたって、し、し、知らんよ、私は~!」
「だとしても、あなたの鍵で封印解除ができるはずです! 早く解除を!」
ワルドが慌てて対応しようとすると、マフィアたちがギロリと目を剥きながらナイフを突き付ける。
「勝手なことしてんじゃねぇぞ!」
ワルドは涙目で震えあがった。
「ヒ、ヒィィィ! こ、こ、こんな状態では解除呪文を唱えるなんて、、む、む、無理~! なんとかしてくれぇ、ギザリア卿~、奥方殿たち~!」
ワルドは情けない声をあげながら辺境伯夫人たちに向かって駆け寄ってくる。その傍らではさっきまで部下だと思っていた構成員に襲われ、泣きながら逃げ惑うムートの姿もあった。
「ド、ド、ドリスの野郎~! く、くそ、裏切ったのか~! ひええええ! 助けて~!」
一方、地に膝を付いて呻くルシエルには、ゴブリンが戦斧を振り下ろす。辺境伯の背中から真っ赤な血が飛び散り、さらに次のゴブリンが襲い掛かろうとしていた。




