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辺境伯の第六夫人! ~奥様たちは特殊戦闘員~  作者: フミヅキ
第二章 レティシア・ブロアードの華麗なる覚醒
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レティシア・ブロアードの華麗なる覚醒⑦

 手狭なその部屋は粗末な二段ベッドが二つ誂えられていたが、泊っているのは黒髪の女――ネイスだけのようだった。レティシアとネイスは下段のベッドで向かい合って座っていた。


 レティシアは改めてネイスの姿を観察した。


 手入れの行き届いた長い黒髪は艶々と輝き、緩いウェーブを描いている。印象的な明るい水色の瞳に、雪のように白い素肌。白いドレスはシンプルなデザインだが、上等な素材を使っている。ブロアード地区の光景からは浮いて見える、清らかな雰囲気の女性だった。歳は二十にまだ届かないくらいだろうとレティシアは当たりを付けた。


 ネイスはおっとりと微笑みながら口を開く。


「あなたがとても賢い女性であることを、わたくしは知っています。会えて嬉しいわ」


 上品な話し方から、彼女が一定以上の名家の令嬢で、きちんと教育を受けた女なのだろうとレティシアは予想した。


「アンタみたいな階級の人がなんでうちのこと知ってるのさ」


「ふふふ。レティシアの子供時代ってこんなに可愛らしかったのね。本当に可愛いわ」


 まるで「成長したレティシアを見たことがある」かのような言い方に、レティシアは眉間に皺を寄せる。


「あんた、狂ってんのか?」


「あなたはいつかわたくしたちの大切な家族になるのよ」


 そう言うと、ネイスはふわりとレティシアを抱きしめた。今までレティシアが経験したことのない温もりが彼女の体を包み込み、甘い香りとネイスの柔らかい髪がレティシアの鼻をくすぐった。


「き、気持ち悪ぃな! やめろよ!」


 慣れない感触に、レティシアは慌ててネイスを押し退けた。


「アンタ、どういうつもりだよ! うちは女向けの売りはやってねぇぞ!」


「そういうつもりではないわ……。驚かせてしまったのなら、ごめんなさい……」


 萎れた花のようにネイスが悲しげに項垂れてしまい、レティシアは面食らう。


「じゃ、じゃあ、何のつもりだよ? だいたい、バティスティリ組が目を付けるなんて、アンタ何しでかしたんだ?」


「後者の質問については、バティスティリ組から頼まれた仕事をわたくしが投げ出してしまった――と、彼らが考えているからだと思います」


「おい……! な、なんでそんなこと……?」


 さすがにマフィアの仕事を放りだす胆力はないレティシアは、絶句してネイスを見つめる。


「わたくしはわたくしの婚約者を守るためにブロアード地区まで来ました。この地で彼が大きな怪我を負ってしまうという運命を知ったから……」


「どういう意味だよ?」


「運命は避けられなくとも、彼の負うダメージを少しでも軽減することはできるはず。そのためにどうすべきかを占いました。その結果、わたくし自身が動くべきだと、占星カードはわたくしに告げたのです。そして、この地で心強い味方と出会うことも示唆されていました」


 そう言ってちらりとレティシアを見てから、ネイスは鞄の中からカードを取り出し、ベッドの上に裏向きに並べる。彼女は数枚を捲って書かれた文字と数字と絵柄を吟味した。


「やはりカードの言葉は変わらないわ……」


「アンタ、占い師か?」


「そのようなものです」


 ネイスの返事に、レティシアは少しの間考え込んでから再度尋ねる。


「ふん……。もしかしてアンタ、カードの他に、未来視ってのができんのか?」


「あら。どうしてそう思うのです?」


「アンタの口ぶり。占いで大まかな方向性がわかるって感じの話と、はっきり未来のヴィジョンが見えてそうな話と二つあるからさ」


(あと一つ。この女が狂人だって可能性もなくはねぇけど、ゼーダさんが行方を追ってるってことは、何か特別な女ってことだからな)


「さすがレティシアね。理解が早くて助かります」


 ニッコリ笑って抱き着いてこようとするネイスを、レティシアは両手で牽制する。


「だから! アンタはなんですぐにくっつこうとするのさ!」


「だって、小さなレティシアが可愛いんですもの」


 そう言って微笑むネイスを、レティシアは野良ネコのような警戒心むき出しの目で見る。ネイスはふぅと溜息をついた。


「ねえ、レティシア。わたくしが見たのはブロアード地区を歩く婚約者の後ろ姿。そして、魔物――ゴブリンに襲われて倒れる姿です」


「ふーん」


「ヴィジョンの中であの人はたくさんの血を流していました。致命傷である可能性もあります。しかし、彼の死を見たわけではない……つまり、彼を助ける猶予があるということです」


「へー」


 まったく興味がないように生返事をするレティシアの様子に、ネイスは落胆の表情を浮かべる。


「わたくしを助けてくれないのですか?」


「なんでうちがアンタの手助けをしないといけないわけ? アンタをバティスティリ組に突き出した方が、組に恩を売れて、うちにはメリットあるんだけど?」


 レティシアの冷たい声音に、ネイスは少し思案するような顔をしてから切り出す。


「あなたならわたくしの能力の利用価値がわかるでしょう。もしわたくしを助けてくれるのなら、あなたの活動に貢献させてもらうわ」


「ふーん……。ちったぁ話がわかる女みたいだな」


 レティシアはニヤリと笑う。


「わかった。明日の夕方まではアンタに付き合ってやるよ。その後、『たった今この女を見つけました』ってテイでバティスティリ組に引き渡す。それでいいだろ?」


「……わかったわ。あなたの能力ならそのくらいの時間までにはわたくしの問題を解決することが出来るかもしれないから」


「初対面の奴にそこまで言われるのは気持ち悪ぃ気もするけど、まあ大船に乗った気でいなよ!」


 交渉はまとまった。だが、面白い道具を手に入れたとニヤリと笑うレティシアとは対照的に、ネイスは寂しげな表情で小さなレティシアを見つめていた。


「で? アンタがバティスティリ組から請けた仕事ってのは『カッシーナ組に戦争を仕掛けるタイミングを占え』とかって感じかい?」


「よくお分かりね」


「そんなこったろうと思ったよ」


 すべて見透かしたような子供離れしたレティシアの表情に、ネイスは苦笑を浮かべる。


「正直に言ってしまうと、わたくしたちの一族は普段そういった類の依頼は請けません。でも、ブロアードと思われる場所でわたくしの婚約者が攻撃されるヴィジョンを見た直後に、同じくブロアード地区からの依頼が来たことに引っ掛かったの」


「バティスティリ組とカッシール組の抗争が、アンタの婚約者とかいう奴の怪我につながるって?」


 レティシアの問いに、ネイスは険しい表情で頷く。


「占星カードで占った結果も弱くはあったものの関連性を示唆するものでした。なので、バティスティリ組の依頼をこの街へ来るための方便にさせてもらって、一族を説き伏せてここに来たのです」


「婚約者って奴をここに来させないようにするんじゃダメなのか?」


「わたくしの『ヴィジョン』は確定した未来なのです。ですから、あの人は……いつかはここにやって来るし、襲われて怪我をしてしまう。それは確定しているの。けれど、その怪我が致命傷に至るかどうかまではわたくしは見ていません。だからその部分だけは調整可能な未来のはずなのです」


 ネイスの説明に、レティシアの緑の目が興味を引かれたようにキラリと光った。


「へぇ。面白れぇな。で、調べたい場所の目星はついてんのかよ?」


「いえ……あくまで視覚情報と少しの音声情報だけで……。彼が襲われるのは三叉路でした。人通りはなくて、だいぶ年季の入った……今にも崩れそうな小屋がひしめくように並んでいて、そこから五体のゴブリンが出てきてあの人を後ろから戦斧で斬りつけたの……戦斧が振り下ろされるたびに血が飛び散って……!」


「ゴブリンだと……? 解せねぇな」


「ええ。それはわたくしもです」


 荒野の果てのアンダーストラクチャーには無数の魔物たち巣くっている。しかし、エネリア砦の大防壁建設以降、そこを越えて侵入してくる魔物は稀だ。もし超えたとしても砦兵や特別編性の辺境伯軍が追い打ちをかけて殲滅する。


 大防壁建設前に人類の領土へ侵入した魔物たちの末裔も各地に存在するが、大概は人里離れた森の中や断崖の洞穴、廃村、捨て置かれた廃墟にひっそりと生息している。人が襲われるとしても、迷い込んだ旅人や狩人がその大半だ。


 そういった魔物がまれに里や街に姿を現す場合もあるが、その場合は各地区を管轄する部族兵たちが駆除する。ブロアード地区であれば、エネリア砦へ申告し砦兵を派遣してもらうことになる。ただし、ここ数年でそのような事態になった事例はない。


「で、その場所ってのは他に特徴あんの?」


「そうよね……。もう一度『見て』みるわ」


 そう言うと、ネイスは水色の瞳を閉じた。そのまま何呼吸分か、じっと静止していた彼女は、やがてゆっくりと目を開いた。


 瞼の下の水色の瞳は、さっきよりも白みが増し、淡く発光しているようにも見えた。彼女はうっすらと口を開けて話し始める。


「三叉路の……傾いた小屋の一つに落書きがあって……消えかかった線で……アンデッドだとかワイバーンだとか魔物たちの……かしら……?」


 ネイスは今、正面にいるレティシアのことを見ているはずなのだが、レティシアには彼女の目が自分を捉えているようには感じられなかった。ネイスの晴天の空よりも明るい水色の瞳は、ここではなく、どこか遥か遠くに焦点を合わせているかのようだった。


 レティシアは心の中でネイスの言葉を反芻する。


「三叉路に落書きねぇ……? ふん。いくつか思い当たる辻があんな。当たってみるか……」


 その時、フッとネイスの視線の焦点が自分に戻ってきたことをレティシアは感じた。同時にネイスがハンカチを取り出して口に当てる。


「ゴホゴホッ……! ゴホ、ガハ……ゴホ!」


 嫌な咳だった。まるで肺を病んでいるような咳をネイスは吐き出した。彼女の口元のハンカチには血が滲んでいる。


「な、なんだよ、どうしたんだよ! アンタ病気なのか……?」


「いいえ……うつるような病ではないからレティシアは大丈夫よ……。ただ、未来を覗くには代償があるということで……」


「代償って……まさか未来のヴィジョンを見ると体を痛めるのか……?」


「大した事ではないわ」


「でも……。なあ……アンタが杖ついてるのって、もしかしてヴィジョンってやつの見過ぎで体を悪くしてるんじゃねぇの?」


 恐々と尋ねたレティシアに、ネイスは首を横に振る。


「大丈夫です。本当に大した事ではないの。それに普段、大半の依頼は占星カードでこなしているから。本当に大切な依頼や……婚約者のことを見るだけ。あの人、強い方だけど時々無茶をするから心配なんだもの」


 苦しげな呼吸をしながらそう言ったネイスのことを、レティシアは不可解なもののように見つめる。


「なんでそうまでして婚約者とかいう奴のことを気に掛けるわけ?」


「だって……あの人のことを守りたいんですもの。あの人がいなかったら、わたくしは生きていけないわ」


「へぇ。そんなに金持ちなの、ソイツ?」


 レティシアの言葉に、ネイスは困惑気味に首を横に振る。


「資産の有無は関係ありません。わかりませんか、レティシア? わたくしはただあの人が大切だから……」


「愛とか恋とかってやつ? わっかんねぇな~。アホらし~」


 おちょくるような調子で言ったレティシアに、さすがのネイスも眉を顰めた。


「あなたには大切な人がいないのですか? 家族や友人や……」


「うちの名前はレティシア・ブロアード。この名字の意味はわかるだろ?」


 ネイスはレティシアの言葉にハッとして口を閉ざす。


「うちは一人で生きてきたし、これからもそうする。大切な人なんかいねぇし、これからも出来るわけがねぇ」


 確信をもって宣言するレティシアを、ネイスは呆然と見つめる。


「そうだなぁ。とはいっても、今世話になってるセリカ姐さんのことはうちも大切にしてるかな。だからアンタのこともしばらくは大切にしてやるよ。アンタもセリカ姐さんと一緒で有能そうだからな」


 そう言って薄く笑う少女を、ネイスは寂しげな面持ちで見つめ返すことしかできなかった。

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