第一話 月の美少女・アリン
轟々と燃え盛る街並みを眼下に置き、ただ俺は絶望感を覚えていた。多分この世界でもっとしたいことがあったんだと思う。まだあいつにだって約束を果たすことが出来ないでいる。あいつは純粋に俺に助けを求めていた。もう何年も前の話だが。しかしもう戻れないのだ。これは俺の起こした惨劇、しかし起きるべくして起こった惨劇。
「ーー様。何をしていらっしゃるのですか? 出発の準備が整いました。さぁ、参りましょう」
「そうだね。行こうか。もう少しで事も大詰めだ」
そう、背後で傅く配下を振り返る。
ーーーーーあぁ、そうだよ。俺、もといお前はこれを繰り返しちゃいけないんだろう。
* * *
「.....はっ?! いつっ!」
目を覚ますとそこは暗闇だった。気温は低く足先が冷たいし、なんだったら身体も冷たくなっている。どこだここは? どう考えても病院なんがじゃない。確かーそうだ、いきなりどこかへ意識を飛ばされて、目が覚めると全く知らない場所で......さらに意識が飛んだんだっけ? ダメだ、全く分からない。
取り敢えず、暗闇に目を慣らしてみる。辺りを見回してみると、どうやらここは狭い一室らしい。ペタペタと床や壁に触れてみると、石。紛うことなき石である。さらには廊下に面した扉は鉄扉。ふむ、なるほどなるほど。
ーーーーーもしかしなくても牢屋? ここ。
いやいやいや、意味が分からない。目を覚ましていきなり牢屋なんてファンタジーにも程がある。それも拷問される感じの。
ますます、やばいと感じ鉄扉のほうに向かおうとしたが、足首に違和感が。そう、鎖である。本当に囚人がつけられるようなあの鎖。
「ーーー目が覚めたの?」
その時、暗闇から声が聞こえた。
「ーー誰」
「あぁ、よかったよ。君が目覚めてくれなかったら私はまた一人だった」
俺の問いかけに妙に安堵したような声色で、ソイツは返答してきた。安堵した声色ということは、俺へ害をなそうとしているわけでは......ないよな?
「あぁ目が覚めたよ。ところで誰だ、質問に答えてくれ」
「あ、ごめんね。私は、その......アリン。月狼族なんだけど......あなたは?」
アリン、そう答えた彼女は、月狼族などと言う全く聞き覚えのない種族を答えた。いや、種族とか言われても、意味わかんないんですけど。
しかし、しかしだ、目が暗闇にようやくいい感じに慣れてくると彼女の姿が薄ぼんやりと見えてくる。腰まであろうかという、ボサボサの髪の毛、そして人間ではまず見ることのない獣の耳。ピンと立っているその耳は犬のように頭の上に付いている。
獣人? そんなものがいるのか現実の世界に。いや、薄々勘づいてはいたが、夢や幻覚の類でない限り異世界に飛ばされているらしいからあり得るのか。
「あの.......」
「あぁ、ごめん。俺の名前は......わからない」
「ワカラナイ? 珍しい名前なのね」
「いや違う違う。本当に分からないんだ、思い出せないと言うか何というか」
彼女に言われてハッと気が付いた。名前が分からない。全体的にモヤがかかっているというかなんというか。俺自身が異世界に飛ばされた元日本人だという認識はある。なんだったら浪人生をしていたというか記憶はある。ただ、家族構成や交友関係そしてさらには向こうの世界で流行ったであろうテレビ番組など、その他諸々詳細が思い出せない。
元世界の概念は分かるのにその中身が分からなくなっている。言うなれば模型をのぞいているような感覚だ。
「......記憶がないの?」
「いや、それも分からない。すまない、ただそうだ、種族なら分かる。俺は、擬似精霊族という......らしい」
「らしい? それも覚えていないってこと?」
「......だな。さっぱりだ」
「へぇ。それにしても擬似精霊族なんて聞かない種族だね。私今までいろんな人や魔族なんかともであってきたけれど初めて聞いたよ」
まぁ、でしょうね......。そもそも種族なのにダミーってなんだよ。なら真・精霊族とかもいんのかな。
「そうなのか? というかこの世界には魔族なんかもいんのか」
「? おかしなことを訊くね。いくら記憶喪失といってもそこまでわからないものなのかな」
「仕方ないだろ。わからないもんは分からないんだから」
「それなのに自分の種族は分かっているんだね。擬似精霊族、ね。まぁ確かに精霊族ってのは本当みたいだね」
「そんなことわかるのか?」
もしかして俺ができないだけでこの世界の住人は種族とか、そう例えばスキルなんかを見抜く力でも持っているのだろうか? 確かにそのような話は異世界転生でありがちだったが。
「分かるよ。だって君の目、そのエメラルドグリーンの瞳は精霊族特有のものだからね」
「そうなのか。俺の目はそんな色なのか。鏡でもあれば確認できるのだが」
「そんな。自分の顔までも分からなくなっているのね」
う、そんなかわいそうなものを見るような目で俺を見つめないでくれ。普通に傷つく......。
「あ、耳の形は人のものに似た形なんだね。エルフの耳は長いからね」
「そうなのか、俺は人でもエルフでもない中途半端な――」
「シッ」
いきなり彼女が俺の口をふさいできた。なにすんだ、そう思ったがその直後に扉の向こうを男が通り過ぎていく。背丈的には間違いなく大人、人かどうかは分からないが。
「――ふぅ。もういいかな」
「はっ、ふぅ。誰だ今の。看守か?」
「看守? 何言ってるのここは牢獄なんかじゃないよ」
「ン? じゃあここはなんなんだ?」
「あれ、知らなかったの? これから奴隷に売りに出される子供が入れられている場所だよ」
え? 奴隷? はぁぁぁぁぁぁああ?! ここ刑務所じゃなくて人身売買の本拠地的な場所なの?!
あ、でも確かに初めてこの世界の落とされた時理不尽な身のとらえられ方した気がするな。
「まじかよ。あのくそ野郎どんなところに飛ばしてくれてんだよ。俺に救ってほしかったんじゃなかったのか......。はぁ、てかなんでお前はそんなこと知ってんだ。それよりもなんでそんな落ち着いてられんだよ」
「君は、よくわからないままここに連れてこられたみたいだね。......私は両親にここに売られたからうらやましく思えるよ」
「......え」
思わず言葉を失った。というか閉口せざるをえなかった。今まである意味気軽に話していたやつがそんな生い立ちだとは。
売られた、ということは口減らし、もしくは単に遊ぶ金が欲しかったのか。
「なんかごめんね、こんな答えにくいこと言って」
「い、いや......。そんなことはない」
「ふふ、ありがとね。うれしいよ」
そういう彼女の顔は哀しそう、というか何かをあきらめたような顔をしていた。あぁ、そうか彼女はすでに諦めているのか。自分がこの先真っ当に生きていくことも、さらには幸せになることも。だからあんなに普通に話せるのか。よくよく彼女を見てみると確かにやせ細っている。肌は決してきれいだとは呼べない。耳だって元気がないことがよくわかるくらい下を向いている。
そして周りに意識を向けてみると、子供のすすり泣く声や母を呼ぶ声。中には赤ん坊の泣き声も聞こえる気がする。そして鉄扉を蹴るような音と、大人の男の怒声。
多分この世界ではこのようなことが日常茶飯事なのだろう。これなのか俺の救うべき世界というのは。本当にこんな世界を助けるために無理やり連れてこられたのか。
「ほんとはね、誰かに助けてほしかったんだ。ずぅっと」
「はっ」
思わず息をのんだ。俺はかつて医者になりたかった。それも貧しい地域にいる救われない子供たちを救うために。そうだ、今まさにこれじゃないのか、俺が救いたかった状況は。
「な、なぁ」
俺は改めてアリンへ声をかける。だがしかし。
「すぅ.....すぅ.....」
「......寝てんのかよ」
よくこんなに硬い地面の場所で寝られるものだ。......いや、もしかすると俺が起きるまで彼女は起きていてくれたのではないか。まぁ俺がどれほど寝ていたかはわからないが。
その夜は全く寝られず常に緊張の糸が張り詰めていた。これからどうするかを考えたかったし、次に起きた時に彼女がその場にいるか保証がなかったから。
―翌朝―
「大丈夫? 元気なさそうだけど」
「い、いや大丈夫。一晩の徹夜なんて受験勉強に比べたら屁でもない」
目を覚ましたアリンにそう声をかけられた。しかしそうは言っても、こちらの世界にきて身体の大きさも変化したようでおそらく7~8歳になっているから割とキツイ気がする。しかもご飯を食べてないからそれも相まってふらふらする。
しかし―
「――かわいいなぁ」
「⋯⋯へぇっ?!」
いやぁ、明るくなって改めてこいつを見てみるとびっくりするぐらいのケモミミ美少女なんだよな。銀色の長髪、発展途上のやや褐色の肌、そして何より、大きな瞳とシュッとした鼻、きれいな口。それが黄金比と言って差し支えないようなバランスで配置されている。正直ここまでの顔を俺は前世で見たことがないし、なんだったらこの先この世界でも見ることがない気がする。待てよ? もしかしてこの世界ではこれが当たり前なのか? じゃないと奴隷に売りに出されるなんてありえないよな。いいなぁ、イケメンと美女しかいない世界って。
「あ、あの今の・・・」
「ん? もしかして口に出てた?」
おずおずといった感じで声をかけてきた彼女にそう返す。すると彼女は困った様子でコクコクと頷いた。まじかぁ、寝てないからか頭が働いてないなぁ。
「ご、ごめん。頭働いてなく何か忘れて忘れて」
「そ、そう。わ、私も君のこと可愛いと思うよ」
「あ、ありがとう? ......ん? 可愛い? かっこ、いやなんでもない」
可愛いだと? 俺って男じゃないのか? いや、少年なんて可愛いなんてよく言われるよな。うん、そうだよな......?
「おい! 飯だ!」
アリンの発言に若干テレテレ困惑していると、いきなり扉を蹴られ何かが投げ入れられた。よく見てみると一個のコッペパン。・・・一個?
「ごめん、私届かないからそれ君がとってくれないかな?」
「え、あ、うん」
いきなりの出来事に驚いているとさもありなんといった具合にアリンがパンをとるように言ってきた。これは、二つにちぎれってことだよな?
「くっ......ど、どうぞ」
「よっ......! 取れた。ありがとね」
「うん。・・・その、これだけなのかなごはんって」
「そう、だよね。君は初めてかもしれないけどこれだけなんだよ。私たちは二人だけだからいいけど何人もいるところは大変そうだよ」
なるほど。本当にご飯はこれだけなようだ。しかし食べ物がもらえるだけいい方なのか? 俺の中の勝手なイメージだと食べ物すらまともにもらえないパターンが多かった気がする。
「ここの人達はね、私たちを売る時に状態が悪かったら高く売れないっていうことで食べ物は与えてくれるんだよ。あとはほら、そこを見てみて」
彼女が俺の心を読んだかのように説明してきた。そして彼女が指さした方を見るとぼっとん式便所のようなものがあった。なるほど排泄もまともにできるわけか。
「トイレだよ。前にいた子も女の子だったから何とか耐えれたけれど、今回も女の子でよかったよ」
「前いた子......? というか今回も女? 俺が女?」
「うん、前の子も女の子だったよ。君は......女の子じゃないの?」
そう言われて、俺は体のあちこちを触った。頭のてっぺんからつま先まで隅々。文字通りまさぐった。その間彼女には変なものを見る顔をされたが。
その結果、ない。ないのである。俺の大事な大事なモノが。しかし、かといって女のものになっているわけではない。なにもない。まさにマネキンのように。さらっさらのつるっつる。もちろん胸もない。文字通り壁。
「ま、まままま、まじか......」
「ど、どうしたのいきなり。何か変だよ?」
そりゃあ、変にもなるだろう。十数年連れ添ってきた体の一部がないんだから。まして性転換でもなく無性へとなっているではないか。
「なるほど、ね。可愛いっていうのはそういう......」
顔も中性的なものへとなっているのだろう。おそらく俺の見立てではこの世界はみんながみんな、イケメンや美女。ならば俺の顔もそれなりになっているのだろう。
「いやぁ、にしても中性はないだろう。この世界で何を生きがいに生きていけばいいんだよ」
「大丈夫......? なんでそんなテンションが......」
「......うん、大丈夫だよ。大丈夫大丈夫。俺は大丈夫......はぁ」
「そう......?」
変な空気になってしてしまったが、仕方ないよね。これは俺をこの世界に連れてきたやつに文句を言うべきだよね。
* * *
―――あれから約一週間がたった、気がする。ここでの暮らしは決して良くはないけれど極限というわけでもなかった。食べ物は朝と夜の二回。夜には半分ではなくそれぞれ一つずつパンが配られた。どうやら子供の夜泣き防止も兼ねているのだとか。
そして、アリンのことも少しばかり知ることができた。彼女はここに入れられてから三年が経つそうだ。年齢は九、つまり六歳の時収容されたようだ。月狼族は生来日付感覚がものすごくしっかりしているらしく、どのくらい日を跨いだのか直感的にわかるのだそうだ。・・・これが種族名の由来だと思われる。とすると、日数の数え方は元いた世界と同じなのか?
また、俺のことも少しばかり分かってきた。この体は無性だけでは飽き足らず食事も排泄も必要としない。正直都合がよすぎるし、できすぎている。これが無理やり連れてこられた謝礼的なものなのか?では、食べたものはどこに消えるのか。それは未だに解っていない。正直不気味だから食べ物はすべてアリンに与えた。感謝されたが不気味がられた。
「君、これで三日は食べてないよ? 本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫、なんだと思う。お腹もすかないし多分」
「そ、そうなの? でもなにかあったら直ぐ言うんだよ」
「わかってるよ」
彼女にはそう返す。俺が食べない分はほかの子供にあげられたらいいのだがそうもいかないようだ。どこかを贔屓するとバランスが取れないのだとか。でも夜泣きとかが気になるなぁ。
「分かってるならいいんだけど。なんか今日は騒がしいね」
「......確かに。なんなんだろうね」
今夜は何か見回りが騒がしい気がする。何かと走り回ってるし大声が響いている。それに驚いて泣き出している子供もいるようだが見向きもされていないようだ。
「大丈夫だよね? 私たち」
「い、いやどうだろう。わからない」
ここにきてアリンが初めて不安そうな顔をした。冷静を装ってる俺も内心バクバクだが。まぁそうも言ってられないから、大丈夫、と声をかけようとしたが。
どがぁぁぁぁぁああああんん!!!!!!
と、けたたましい轟音と共に石の天井が崩れてきた。
なんだよ、一週間で死ぬとかどんなクソゲーだよ。異世界転生した奴は強いんじゃねえのかよ。