(2/2)「お世辞言っても何もでないわよ」ってそういうところが好きなんですよ。
伊香保は温泉街なので、排水溝からもうもうと湯けむりが立ち昇っていた。空はとても青くて、8月らしく入道雲がわきでていた。
蝉の声がする。
近くの艶々とした緑が目に優しかった。
「先輩。喉渇きましたね? サイダーでも飲みますか?」と僕が水を向けると「ビール」と一言で返された。
この人はこの炭酸飲料がなにより好きなんですね。
ビールとサイダーを買ってそれぞれ開けた。サイダーは瓶入りなのでぽんっとビー玉を中に押し込んだ途端、噴水のようにしゅわしゅわ泡が溢れる。
目に涼しくて、喉に涼しくて、僕はサイダーが好きだ。
「か~っウメエ!!」隣で声がした。
先輩。彼氏の横なので『あら、美味しい』と形ばかりでも言ってみたらどうでしょう? まあ言っても無駄なことは重々承知しております。僕も自分の命が惜しいのでけして口にはいたしません。
「やっぱ、夏はビールだよねえ!」(冬も飲みますよね)と唸りつつ先輩は続けた。「イカ焼きとかツマミに欲しいわあ。どっか売ってない?」
僕は慌てて目を走らせた。
「先輩っ。イカ焼きはないですがサザエの串焼きはありますよっ。買ってきましょうか?」
先輩はニタニタした。
「いいよ、いいよ。一緒に行こうよ。焼き系はタレがたまらないよねえ」
…………今……先輩の頭の中はサザエを頬張る自分の映像でいっぱいのはずだ。
繋いだ手を振り子のようにしてサザエの串焼きを買った。先輩は青のチューブトップ(筒状になっていて生地が胸の辺りまでしかない服)に平たいパールのネックレスをあしらって白いジーンズをはいていた。
手を振るたびに肩甲骨が盛り上がったり下がったりする。
ブロンズの肌が8月の太陽に反射して眩しかった。
綺麗だなあ、と思って僕がニッコリすると先輩もニッコリした。
白い階段がどこまでも続く坂道は乾ききって影が短く伸びるのだ。
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温泉宿に戻ると(車を置いたときにチェックイン済み)『浴衣を選んで下さい!』と言われた。
この旅館は浴衣をたくさん揃えていて選べるのが特色らしい。後で聞いたら人気宿なんだって。なかなかとれないんだって。先輩はここをやっとの思いでとったのかもしれない。まあこのときはそんなこと全然知らなかったんだけどね。
30種類くらい並ぶ浴衣は壮観だった。僕は適当な1枚を選んだ。男性と女性では色合いが全く違う。二人で女性用の浴衣を熱心に眺めた。
青・赤・ピンク・白・黒・緑・黄色・紫・紺そして茶
金魚柄・朝顔柄。牡丹・ナデシコ・チューリップ・花火に御所車にトンボ柄。
「祐一~どれがいいと思う~」
『ああ、種類がありすぎて迷っちゃう!』といった顔で先輩が聞いてきた。
「僕はこれが好きですね。先輩」と白地に金魚を指差した。
「趣味じゃない。これとかどう?」先輩は紺地に水仙をとった。
女の人って、何で絶対男が選んだものにしないのにどれがいいとか聞くんだろう。
「そ……それがいいんじゃないですか!先輩っ」と僕は賛同した。
「ちょっと~。ほんとにそう思ってるわけ?適当な相槌打たないでよねっ」
怒られた。
でも『やっぱり白地に金魚が』って言っても怒られるんですよね?
僕は自分の意見を言うのを止め首を縦に振るばかりであった。
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部屋で食事をとり温泉に別々に入って屋台を冷やかしに行った。ちなみに僕の浴衣はメチャメチャな着方だったようで先輩が整えてくれた。結構女の子らしいんだ、とびっくりした。
昼間と違って湯気がライトアップされた街並みは幻想的だ。
面白くもない、といった顔で座る射的のおじさん。タコを盛大に見せびらかすたこ焼き屋さん。ビニールプールの中でキラキラ回るカラーボール。
笛のおもちゃを買ってあげると吹き始めた。空気を吹き込む度に音と一緒に巻かれていた色紙が伸びる。
ピー ピー ピーロロォ……
高い音色なのに、どうしてだか少し悲しい。
沢山のノボリ旗がはためく中で灯りは篝火と豆電球だけだ。
先輩は髪を結い上げていたのでうなじがすっかり見えてほつれたところが頬にかかっている。瞬きをする度にまつげの影が長く目の下で揺れた。
僕は気づいた。
温泉に入ってスッピンだけどマスカラと口紅だけはつけ直したんだね。
きっと。
先輩は僕に自分の浴衣姿を見て欲しかったんだ。だからどうしてもあの宿がよかったんだね。
「先輩すごく綺麗ですよ」と僕は言った。
「あまりに綺麗なので隣だとちょっと緊張します」
先輩が僕を見ようともせずそっけなく言った。
「お世辞言っても何にも出ないわよ」
でもねえ。
口元が緩んでますよ。
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川べりについたので、背もたれのないベンチに並んで座った。しばらくして花火が始まった。
人々が歓声をあげる中、一発、二発、と空を飾っていく。
パーン!
パパーン!
やがて連続して上がるようになり、右上、左上、真下、と花が咲いた。
星のない夜だった。
月の光に照らされて水面が花火を映し出した。青に赤に光っては消え、光っては消えする。
手を繋いで黙っていられればそれでよかった。
「先輩」僕は前を見ながら言った。
「ここにこれてよかったです。歯医者なんかに行かなくてほんとによかった。それから」
僕は先輩の手をぎゅっと握った。
「来年も、一緒にここに来たいです」
先輩も前を向いたままだ。
「それはどうかしら。来年になったらアタシあなたに飽きてるかもよ?」
『がんばってね!』と肩を引っぱたかれたので二人揃って笑ってしまったんだ。
最後の一発がひゅるひゅると上がり、黄金の巨大な華を咲かせて『ドーン!』という派手な音を立てた。一瞬であっけなく散ってバラバラなった破片が水面に落ちてきた。
みんな水に飲み込まれる中でひとかけらだけ空に残った火があった。
ゆっくりゆっくり光を小さくしながら音もなく落ちて、やがて消えた。
(終)
お読みいただきありがとうございました!
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シリーズものです『凛子さんと祐一くん』
気に入っていただけたらシリーズの他の話も読んでもらえると嬉しいです
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2006年6月23日初稿