(1/2)はいっ。彼女様なんでしょうか。次は何をいたしますか?
舞台設定は8月。場所は伊香保です。
「今週末温泉に行くから」
と、突然の宣言をされたのは会社の廊下で二人っきりになったときだった。宣言したのは僕の彼女でして、御手洗凜子さん26歳です。
「温泉って……誰とですか?」
僕は問い返した。なんかわる~い予感がした。この人と付き合いだしてからこういう予感は年がら年中やってくる。
「ああ? 何寝ぼけているんですか? 神崎祐一君?? お前とだよ。他に誰と行くんだ。てか、あれか? 浮気のススメでもしてんのかお前」
ばっちり起きてます。僕とですか。そんなおススメしてません。
「え……日帰りですか?」
この時点で相当慌てて僕は言った。この人と付き合いだしてから年がら年中焦りながら生きている。
「そんなわけないだろうが、泊まりだよ、泊まり。土日。場所は伊香保。もう宿の予約はしたんで土曜10時にうちの前まで迎えに来い」
「え……え……? だってあ……あさってですよね? 僕日曜に歯医者の予約しちゃったんですけ」
『ど』は言えなかった。
いきなり胸倉を掴まれて廊下の壁に押し付けられたからだ。きりっとした顔を更にきりりとさせて御手洗凛子さんはドスの利いた声を出した。
「…………なめてんの?」
僕は歯医者の予約を金曜日夜に変更した。その日は死ぬ気で仕事をして定時に上がり、全力疾走で歯医者に行った。なんでこんな思いをしないといけないんだ。僕は自分のペースを乱されることが何より苦手なのに。
この人と付き合いだしてから年がら年中ペースを乱されている気がする。というか自分のペースで行動できたことがない気がする。
僕は土曜10時に彼女の家の前に車を停めた。
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ところで僕は御手洗凛子さんのことを『先輩』と呼んでいる。同じ部の三期上なのだ。二人とも大学卒業後入社だったので年も先輩が三つ上。
うちの真ん中の姉と同い年なのだ。
僕には姉が4人いるが女の人とはもっと優しいものだった。みんな僕を「ゆーちゃん、ゆーちゃん」と言って可愛がってくれた。お陰で何もやらなくてよく、自分で言うのもなんだけどおっとり、というかぼんやり、育ってきたと思う。
女の人はみな優しくて僕は大好きです。
「おい。祐一。喉が渇いたから適当なところで車停めろ」
命令されて我に返った。停めます、停めます。あ! コンビニだ!
「せ……先輩。何にしますか? ウーロン茶ですか? コーラですか? それとも昼間だけどビールとかっ」
先輩は鷹揚に頷いた。
「安心しろ、祐一。私も鬼じゃない。車運転している人間の隣でビールなんか飲まないよ。ウーロン茶ね」
車運転している人に更にお茶を買いに行かせてますけどそこら辺は?
と、突っ込むと血を見るので僕は大人しく買いに行った。先輩は上機嫌でトイレに行ったようだ。
会社では僕たちの関係は秘密なので、先輩のことを話しているのは学生時代の友達だけだ。
みんな異口同音に僕に詰め寄った。
『何でお前そんな女と付き合ってるんだ!?』
『正気に戻れ! 騙されてるぞ!』
『史上空前のタカピーさだ! キングオブ女王様だ! 悪いことは言わない別れろ! 女は地球上に約半分いるんだぞ!』
でも……。と僕は口ごもる。
『なんか……面白くて……』
『『『はあ!?』』』
僕にとってはミュータント(突然変異体)に遭遇したようなものなので、何だか全てが新鮮なのです。一々飽きません。
そんなときの反応は全員同じだった。
『『『変態かお前は!?』』』
先輩が戻ってきた。
「先輩っ。ウーロン茶買いました。あと先輩のお好きな『じゃがりこ』も購入しましたっ」
先輩は誉めて遣わすぞ、という目をした。
「よし。お前も中々気が利くようになったじゃないか。私の教育の賜物だね。ここまで育て上げるのに苦労したよ」
…………僕、変態なのかもしれない。
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伊香保に着いてお昼に水沢うどんを食べた。細かいものは僕が出すが、お昼などは全て先輩の奢りだ。飲みに行っても3回に1回は奢ってくれるのだ。
この人は気前がいい。
その代わり? と言ってはなんだが僕はいつも最敬礼でお辞儀をする。
「ご馳走様でしたっっ」
先輩は『良きに計らえ』といった風情でうなづくのであった。ああ、僕たちカップルって何かヘン。
それから手を繋いでお土産屋さんを覗いた。僕は結構嬉しかった。
会社や会社近くの飲み屋さんではベタベタするわけにはいかないんだ。秘密だからね。なんで秘密なのかというと『社内恋愛とはそういうものだから』らしい。えーっと、どういうものなんだろう……。まあいいや。
だからこうやって誰の目も気にしないで手を繋げるって嬉しい。
【次回 最終回】『「お世辞を言っても何も出ないわよ」ってそういうところが好きなんですよ。』です。