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あのね、出雲の国ではね…

作者: flat face

タイトルの元ネタは嘉納純子他『あのね、サンタの国ではね…』(黒井健絵、偕成社、1990年)です。

 日本国にほんこくにおいて旧暦の十月は神無月かんなづきと呼ばれ、各地の諸社を預かっている神人かみたちは、社を留守にして出雲大社いずもおおやしろ神在月かみありづきへ向かう。

 そこで一堂に会し、七日間の神議かみはかりを行うためだ。

 十月一日の神送かみおくりにて彼らは旅立ち、十月十日に稲佐浜いなさのはまで迎えられ、十月十一日から神議かみはかりを始める。


 出雲大社の神在月には高天原たかまがはら天津神あまつかみ葦原中国あしはらのなかつくに国津神くにつかみ黄泉国よみのくに黄泉神よもつかみ常世国とこよのくに他神あだしがみ山祇やまつみ海神わたつみらが集う。

 受け入れる側の出雲大社も大変だった。

 出雲大社の祭神である大穴牟遅神おおなむぢのかみを始め、かつて彼に仕えた神人たちが準備に駆けずり回った。


「VIPのリストは出来たか?」


 ダークスーツを着た穴牟遅なむぢが準備の会議に参加した面々に問うた。

 会議は小洒落た通りにあるレストランの個室で開かれ、スーツ姿の参加者たちがテーブルを囲んでいた。

 彼らはパスタやシガレットを味わいながら、意見や情報を交換した。


 少彦名命すくなびこなのみことが書類の束を穴牟遅に渡した。

 見た目が小さな少年である彼だけサスペンダー付きの短パンだった。

 もっとも、幼く見えようとも彦名ひこなは穴牟遅の相談役だった。


「叩き台は出来たからチェックしてよ」


 出雲大社の神在月は全ての神人たちが一堂に会したが、中にはVIP待遇の者もおり、そのメンバーは固定されていなかった。

 神在月では人間の縁結びについて話し合われ、結ばれる縁は個人間や地域間、自然との関係など多岐に渡った。

 それゆえ、年ごとにその管轄が重要とされる神人は変わった。


「やはり今年は防疫の神人が多いな」


 ボトルの赤ワインをグラスに注ぎつつ、穴牟遅は素戔嗚尊すさのおのみこと牛頭天王ごずてんのうの名前が挙がっているリストを眺めた。

 平成へいせいから令和れいわへと改元して二年目だったが、昔なら元号が改まっても不思議でないほど疫病が猖獗を極め、人々は不安や恐怖を覚えていた。

 現在は科学が発展し、神秘は衰退していたが、光の輝きにどれだけ薄められようとも影は消えず、信仰など目に見えぬ力が今も顕世うつしよに働いていた。


「……アマビエ?」


 そういった幽事かくりごとのため、リストアップされた名をチェックしていると、穴牟遅は不意に眉根を寄せ、ピンクの長髪を掻き上げた。


「アマビエは妖怪じゃあないのか?」


「ああまで祈りを捧げられてたら、神人と見なして良いんじゃない?」


「新たに神人と認定するには高天原とも協議する必要がある」


「それじゃ、いってら☆ お母さんたちに宜しくね!」


 良い笑顔でサムズアップされ、穴牟遅の口から溜め息が漏れた。

 高天原には彦名の母親たる神皇産霊尊かみむすびのみことを経由して提案しようと穴牟遅は考えた。

 神皇産霊かみむすび別天津神ことあまつかみであるけれども国津神の祖神おやがみだけあり、その立場に配慮してくれた。


「たまには里帰りしたらどうだ?」


「ま、稀にしか帰らないことで帰省のブランド価値を高めてるのさ!」


 国津神の始祖として神皇産霊は依怙贔屓せぬよう我が子に厳しかった。

 その恐ろしさを知る彦名は、穴牟遅の提案に勢い良く首を左右に振り、腰まで届く青い三つ編みが大きく揺れた。

 そうでありながらも彦名がちょくちょく神皇産霊と連絡を取っているのを穴牟遅は知っており、内心で苦笑を浮かべたが、それを口に出すような野暮はせず、それよりも高天原とのセッティングに思いを馳せた。



 新たな神人の認定について協議するため、穴牟遅は高天原を非公式に訪れた。

 公式の訪問となれば色々と面倒なので、ただでさえ忙しい神在月の仕事をこれ以上は増やしたくなかった。

 彼は襟元ファーのロングコートを羽織ってボルサリーノ帽を被り、黒い手袋を嵌め、マフラーを巻かずに垂らした。


 高天原の主宰神たる天照御大神あまてらすおおみかみが穴牟遅と会談し、金髪を後ろで束ねた彼女は、ワインレッドのビジネススーツで決め、高層マンションの上階に彼を迎え入れた。


神魂かむたまの義母上から話は聞いとる。アマビエを神人と見なすことに合意を得たいんじゃな。今年度に限っての特別措置なら、そう難しくもなかろう」


 リビングのソファに腰掛けた穴牟遅に天照あまてらすがオンザロックのウイスキーを渡した。


「高天原の神集かみつどいに諮るのか?」


 自分もウイスキーのグラスを手にして穴牟遅の隣に座り、天照は溜め息を吐いた。


「反対の声は出んじゃろうし、手間が掛かるだけと言えなくもないが、手続きはちゃんと踏んどかんとの」


「何かある度に神集いを召集してきたお前らしいまどろっこしさだ」


 壁一面のガラス窓に目を遣り、摩天楼が建ち並ぶ高天原のビル街を見下ろしながら、穴牟遅はその主神をからかった。


「放っとけ。高天原と出雲いずもでは風土が違うんじゃ」


 これからしなければならない調整のことを思ってか、自棄酒を呷るように天照はグラスをぐいと空けた。

 高天原では主である天照が天津神たちの神集いと協調して物事に当たった。

 それに対して出雲国いずものくにでは大国主おおくにぬしたる穴牟遅が指導力を発揮し、皆を率いてきた。


「その風土が違う出雲にお前たちは高天原のやり方を押し付けたわけだがな」


 穴牟遅の言葉に天照は声を詰まらせ、ややあってからクッションを抱き締めながら答えた。


「……国譲りの決断を下したことは、今でも後悔しとらんが、お主には申し訳なく思っとる」


 かつて出雲国いずものくにと高天原は戦い、敗れた穴牟遅は出雲を天照たちに譲った。

 正統性や大義名分はあれど、穴牟遅たちが苦労して造った国を高天原が奪ったことに変わりはない。

 穴牟遅の舅である素戔嗚すさのおが天照の弟ということなどもあり、彼女は国譲りに複雑な思いを抱いていた。


「俺も詮無い話をした。お前と同じように俺にも信念と失敗の双方があった。国造りで目指した理想は、決して間違ってなどいなかったが、俺も出雲の民らには酷いことをした」


 暴君と呼ばれても仕方のないところもあった。

 何より国造りを失敗に終わらせてしまった。

 どれほど動機が立派でも結果で判断されるのが為政者だった。


「ならば、最善の結果に至れるよう尽くすのが勝者たる私たちの務めじゃ」


「精々、頑張ることだな。未だ俺に理想を見出してくれる者もいるのだから」


「今年もあやつは神在月に参加せんのか?」


 頷いて穴牟遅がグラスの氷を揺らした。


「ああ、この後で訪ねるつもりだ。ところで、これは良いウイスキーだな。あいつへの土産に貰えないか?」


 穴牟遅と天照が話題に挙げたのは彼の養子である建御名方神たけみなかたのかみだった。

 諏訪大社すわたいしゃの祭神たる建御名方たけみなかたは神在月であっもそこから動かなかった。

 それは国譲りに際して諏訪国すわのくにから出ないと天津神らに誓ったからだった。


 もっとも、建御名方がその誓いを守っているのは、天照たちへの忠誠心によるものではなかった。

 神在月で天照は出雲に参集する神人たちの最後に参上して最初に退出する。

 そこには天照を上位とする考えが表れており、そのことに建御名方は反発して参加しなかった。


「俺が正統な地位を取り戻した見なさぬ限りあいつは来んだろうよ」


 そうした建御名方を穴牟遅は神在月の前に必ず訪ね、酒を酌み交わしていた。



 神在月で出雲大社に集まった神人たちは神議りの間、東十九社ひがしじゅうくしゃ西十九社にしじゅうくしゃを宿舎とする。

 神議りが終わった後も、彼らは出雲の万九千神社まんくせんじんじゃに立ち寄って宴を催し、来年の再会を約束して旅立つ。

 それらの神社は神人たちの視点においてはプールなども付いた高級ホテルのようになっており、そこで提供されるサービスも、出雲によって準備された。


 神人によってはタブーとされる物事もあったので、酒食や娯楽の手配は大変だった。

 大変であるのは招待状にも当て嵌まった。

 何せ八百万やおよろずと言われるほどなので、発送するだけで大仕事になった。


 特に相手が黄泉よみ伊邪那美神いざなみのかみ伊邪那岐神いざなぎのかみ根国ねのくに素戔嗚すさのお奇稲田姫くしなだひめともなれば、穴牟遅が手ずから招待状を書いた。

 そういった招待状の業務が終わり、穴牟遅は書斎で革張りの肘掛け椅子に腰を下ろし、葉巻を燻らせながらブランデーを舐めた。

 そこに妻である須勢理毘売命すせりびめのみことがやってきた。


「いやー、あの子たちが手伝いにきてくれて助かったぜ」


 パンツスーツのジャケットを全開にした須勢理すせりは、顔を手でぱたぱた扇ぎながら、アンティークのような冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、王冠を歯で空けた。

 それから、穴牟遅の書斎机に腰掛け、瓶から直接ビールを飲んだ。

 穴牟遅はグラスを置き、須勢理の赤くてつんつんしたロングヘアーを指で絡め取って微笑んだ。


「あいつらの地元も何かと大変だろうに」


 二人の間に子供はいなかった。

 しかし、穴牟遅がかつて因幡国いなばのくに越国こしのくになどを傘下に収めた際、彼はそれら諸国の王であった稲羽八上姫いなばのやがみひめ高志沼河姫こしのぬなかわひめから実子を引き取った。

 一種の人質ではあったが、穴牟遅は諸王の子供たちを養子として厚遇し、教育を施して出雲の神人たちと人脈を築かせた。


 養子の中には筑紫国つくしのくに事代主神ことしろぬしのかみのように出雲のナンバーツーとなった者もいた。

 そうしたこともあり、養子たちは穴牟遅と須勢理を慕っていた。

 国譲りの後に養子たちは諸国へ散ったが、神在月の時には穴牟遅たちを手伝いにやってきた。


水蛭子ひるこ伯父さんが幾ら遣り繰り上手でも限度があるしな」


 祭神が出雲に出向くと、その地域を鎮護する者がいなくなるので、神人の代わりに留守番をする留守神るすがみたちが置かれた。

 そのような留守神たちを斡旋するのが水蛭子神ひるこがみで、伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみの長男たる水蛭子は素戔嗚と奇稲田くしなだの娘である須勢理の伯父に当たった。

 彼は外の天地に開かれた高天海原たかのうなばらの支配を任され、外交も担当しており、神人とは別なる存在とも太いパイプがあったため、その力を借りられた。


「まだまだ改善せねばならんところが幾つもあるな」


 眉間に皺を寄せ、穴牟遅はブランデーに口を付けた。

 神在月は出雲にとって大きな負担だったが、廃止されることはなかった。

 穴牟遅にとって神在月は己が理想を実現するための大切な事業だった。


 神在月は普段ならば顔を合わすことのない神人たちを一堂に会させ、自他が抱える問題を共有させる。

 また、海外から日本にほんにやってくる留守神が内と外を相互浸透させる。

 その果てに皆が誰とも争わずに繋がれる世界が訪れてほしい。


 そのような世界を夢見て穴牟遅は戦い、そして、敗れた。

 だが、国を譲っても夢は終わらなかった。

 それは穴牟遅の夢を信じて彼に付いてきた者たちも同じだった。


「……いつか必ず建御名方も来たくなるような神在月をやろうぜ、穴牟遅」


 ビール瓶を置いて須勢理は自身と穴牟遅の手を重ねた。


典拠は以下の通りです。


神無月に出雲国へ向かった神人たちが稲佐浜で迎えられる:出雲大社社伝

建御名方神が神在月に出雲国へ行かない:諏訪大社社伝

天照大御神は神在月に出雲国へ参集する神人たちの最後に参上して最初に退出する:天照神社社伝

神議りが終わった後、神人たちが万九千神社に立ち寄って宴を催し、来年の再会を約束して旅立つ:万九千神社社伝


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