18 第二章『明日からがんばろう』-4
「あああああっ! 来るなあっ! 来るなあっ!」
黒化した雪斗は先ほどと同じ黒化因子で作った弾丸をゆっくりと近づくルシルに向けて発射する。
しかし、その弾丸をルシルは避けない。弾丸はルシルをちょうど避けるようにして飛んでいく。黒化したといっても、まだ雪斗の理性はなんとか保っているらしく、その弾丸が誰かに当たることはなかった。
「ごめん、雪斗くん。もう少し我慢してて……絶対に、救ってみせるっ!」
人差し指を伸ばし、それと垂直になるように親指を伸ばす。銃の形を作った右手をまっすぐに伸ばし、左手はただ添えるだけ。
「黒に染まりし汝の心よ。我、転生神ルシルの名において、その心を白へと還すっ!」
右手の人差し指から黒化因子とは真反対の、純白の球体が弾丸となって音速を越える速さで黒化した雪斗の下へ届く。それが、雪斗に届いたその瞬間、雪斗を纏った黒化因子は白へと変わり、ルシルの体の中に溶け込んでいく。
――誰かの記憶が流れ込んでくる。
「ねえねえ、お母さんっ! 今日の夜ご飯は?」
学校指定のショルダーバッグを下げた少年が帰宅する。居間では少年の妹が積み木や黒い車のおもちゃで遊んでいる。このときの少年は五歳。まだ、妹は学校に通う年齢ではない。
「だー、おにいひゃん、おあえり!」
妹はまだ言葉が上手く喋れない。それでも、居間に入ってきた少年を暖かく迎える。
「うん、ただいま!」
「雪斗、おかえり。今日の夜はシチューよ!」
「やったー! シチューだあっ!」
「もうすぐできるから、椅子に座って待ってて」
「うん、わかった!」
少年は母に言われた通り、木製のまだ新しい椅子に座って待つ。キッチンから漂うシチューの美味しそうな香りが少年を待たせなくさせる。
「ねえねえ、まだあ?」
「もう少しでできるわ、もうちょっと待ってて」
「ただいま、なんかいい香りがするなあ」
少年たちがそうして椅子で待っていると、少年の父が帰ってくる。
「あ、おかえり、お父さん!」
「ああ、ただいま」
「あら、おかえりなさい、あなた。今日はシチューですよ」
「おおっ! シチューか、それはいいな!」
父もまるで、子どものようにシチューを楽しみにして椅子で少年と一緒に待つ。
「はい、ちょうどできたわよ」
母が家族四人分のシチューの入った皿をテーブルに並べる。
「わー! おいしそうっ! 早く食べようよっ!」
「はいはい。じゃあ、みんな、いるわね? せーのっ!」
家族四人は全員、手を合わせる。
「「いただきますっ!」」
――家族四人が揃って食べる普段の何気ない食事。それは、当たり前のようで、そんな日々も大切な嬉しく、楽しい思い出だ。
雪斗の過去を見終えると、ルシルの目からは自然と気づかぬ間に涙が流れていた。
「なんだ……、楽しい思い出だってあるじゃないか……」
黒化因子は完全に消失し、雪のように白いコートを着た雪斗の姿に戻る。
「……お母さんが作ってくれたシチューは僕の大好物だったんだ。雪の中、疲れるくらい遊んで、寒くなった体も、シチューを食べれば自然とあったかくなって……。シチューなんて雪が降ってなかったら絶対に作ってくれない。それに、雪菜と一緒に、いつも遊んでいたのも雪が降っていた。それも、僕のいた世界が雪しか降らないからっていうこともあるけど、それでも、僕は……あの世界が、雪が……大好きだったんだ……」
雪斗は俯いて涙を流す。もう、あの世界には、雪が降り続くあの世界の中、家族みんなでシチューを食べ、妹と一緒に雪で遊んだあの世界には、もう、戻れないから。
「でも、そんな日々が続かなかったのを僕は、全て、雪のせいにして。何もかもを雪のせいにして逃げていたんだよ。だから、僕は転生するのに相応しい人間なんかじゃない」
雪斗は俯いた顔を上げて、涙の浮かんだ目でルシルを見つめ、笑って言った。
「どうかお願い、お兄ちゃん。僕を……消して」
そのあまりにも残酷な願いにルシルは目を見開く。そして、ゆっくりと目を閉じる。閉じた瞼から透明な雫が零れ落ち、しばらくしてもう一度、ゆっくりと目を開いた。
「……人ってさ、誰でも必ずどこかで間違うことがあるんだ。その間違いの重さは、人によって違う。もしかしたら、これから先もずっと、決して許されない重さを背負う人もいる」
ルシルはゆっくりと一歩を踏み出す。
雪斗は近づくルシルを前に、覚悟をして目を閉じる。
「でも、君はその間違いに気づいて、それを認めた。人は自分の過ちに気づいて、それを認め、次、また同じ過ちを繰り返さないよう自分を正すことができる。でも、それは簡単そうに聞こえて実は全然、簡単なことではない。それが一人でできるのはほんの一握りだけだよ。君はそれを、その小さな体で成し遂げたんだ。誰が転生に相応しいとか相応しくないとか、関係ないよ。間違っても、気づいて、認めてまた、立ち上がればいい。また、明日からがんばろうって、ね」
雪斗はルシルの言葉に閉じていた重い瞼を上げる。なぜだが、今だけは、軽かった。
「だから、僕は、君を消さない」
「……お兄、ちゃん……」
「転生の儀、受け入れてくれる?」
雪斗は何も言わずにただ小さく頷いた。
言葉を聞けないのを残念に思いながらも、ルシルは転生の儀を行う。
「幸の中に不幸あり、不幸の中にまた幸あり。その人生を綴り、今ここで、転生神ルシルの名において、転生者雪斗を転生する。この者の来世に祝福があらんことを」
雪斗の全身は光に包まれていく。雪斗は最後、全て光に呑まれる前に、短くもそこにたくさんの想いが込められた言葉を口にした。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
少年はそれだけ言うと、後は光に包まれ、その光が晴れた頃にはもういなくなっていた。
「行ってしまいましたね……」
「……ああ」
一日も過ごしてはいないけれど、一時でも過ごした少年がいなくなってしまうのは、悲しいけど、転生して、もう一度、新しい人生を歩んでくれる。そう考えると、嬉しいと感じられた。
少年が去ると、この夢幻の扉が創り出していた雪景色もだんだんと消えていった。
――こんなきれいな雪の日に、僕にも思い出があっただろうか。
「あれ? カナタ、マフラーもネックウォーマーもなにもつけてないの?」
「いや、だって、雪が降るなんて聞いてなかったし……それに、朝は温かかったから大丈夫かなって……」
午後から雪が降り出し、公園の屋根付きのベンチで制服を着た二人の少年と少女は雨宿りならぬ雪宿りをしていた。
少女は防寒着を何も身に着けていない少年に、自分のマフラーを半分ほどわける。
「ほら、私のわけてあげる。このままじゃ風邪ひいちゃうよ?」
「ええ……、いや、いいよ……。そんなの――に悪いし」
「もう、カナタはそうやって変なところで意地はるんだから」
少女は頑なに自分のマフラーを巻こうとしない少年に、ほぼ強制的にマフラーを巻かせた。
そこで、記憶は途切れた。
「……今のは、僕の記憶、なのか……?」
何かを思い出す度、激しい頭痛がルシルを襲う。ルシルは、頭を押さえ、なんとか痛みが治まるまで耐えた。
「……カナタ。それが、僕の……前世の名前……なの?」