17 第二章『明日からがんばろう』-3
僕の名前、雪斗はただ雪の日に生まれたからということでつけられたなんとも安直な名前だった。さらに、僕のいた国では、毎日雪が降ることは約束されていたから、さほど雪は珍しいものではない。むしろ、晴天というものを僕は一度も見たことはない。
僕の家族は、母と父、そして、僕の三年後に生まれた妹の四人家族だった。
「はい、雪斗。五歳の誕生日おめでとうっ!」
五歳の誕生日。母から誕生日プレゼントとして、やや大きめの白いショルダーバッグを貰った。
「これで、雪斗も明日から学校に通うことになるのか……。嬉しいけど、どこか寂しいなあ」
「何言ってるの、あなた。雪斗も成長して、学校に行くんだから嬉しいに決まってるじゃない」
学校。特に楽しみにもしていなかったけど、ついにそのときが来てしまった。雪斗は特にいつもと変化のない無表情でそのバッグを下げてみる。まだ五歳の雪斗では大きすぎて、ショルダーバッグは宙に浮くことはなく、そのまま地面にボトッとと落ちる。
「雪斗、年長の人にいじめられないようにね。みんなとは仲良くするのよ」
学校は五歳から十五歳までの子どもがみんな同じところに通う。十五歳の年長の人が威張る可能性はあるかもしれない。これは、何の確証もないことだけど、おそらくそんなことをする人はいないだろう。
「ほら、雪菜、できたぞ。雪だるまだっ!」
「わー!すごい、お兄ちゃん!」
ちょうど、雪斗が学校に通い始めてから四年後のこと。妹の雪菜も六歳になり、学校に通って一年が経っている。
二人は、ずっと雪が降り続くなか、何の遊具も置かれていない、むしろただの空き地と言っても間違いはないであろう公園で、雪だるまを作っている。作っているといっても、主に作業しているのは兄の雪斗でそれを妹の雪菜が応援しているといった感じだ。
「よしっ、あとはここにバケツと棒を……」
ただの雪玉を重ねただけの雪だるまもどきに、雪斗は落ちていた棒を横に付けて、家から持ってきた青いバケツを頭に乗せて、最後に石で目を作って雪だるまを完成させる。
「わー! すごーい! 本物の雪だるまさんだあっ!」
雪菜はそれを見て、とても喜んでいる。
雪斗は空を見上げる。家を出たのは朝、今はそのときよりも若干空が明るくなっている。それだけで、時刻を確かめるのは十分だ。
「そろそろ、家に帰らないと。今日は、隣町に住んでる親戚の人に会いに行くんじゃなかったっけ?」
「うん、そうだよっ! おじさんに会いに行くの楽しみっ!」
「よしっ、帰ろうっ!」
「おーっ!」
二人は仲良く手を繋いで家まで帰る。
帰宅し、出かける準備をして雪斗たち家族は車に乗った。
白い板に青い文字で『9-6564』と書かれた五桁のナンバープレートを付けた車が、雪で真っ白になった道路を走る。
「さあ、もうすぐおじさんの家につくよ!」
「やったーっ!もうすぐおじさんに会えるっ!」
車の中だというのにも関わらず、雪菜はおじさんの家にもうすぐつくことを聞くと、立ってはしゃいでいる。
「もうすぐ家に着くのはいいのだけれど、あなた、大丈夫なの?今日は雪も強いみたいだし……。事故らないでよ」
「はっはっはっ、まさか。これよりひどい雪の中だって走ったこともあるのに、これくらいの雪では――」
そのとき、突如事故は起こった。
「――うわあああっ!」
雪はいつにも増して激しく、視界は最悪といっていいほど見えない。それは、自分の前を走っている車ですら見えないほどの激しさだ。そんな中、父は、スピードを緩めずに油断していた。
衝突したのは他の車ではなく、どこかの家のどこかの塀だ。車は勢いよくぶつかって、遠くまで跳ね返り、何回転も横に回り続ける。
その後、僕は行く予定だったはずのおじさんの家で目が覚めた。
幸いと言っていいのか、または、不幸と言うべきなのか、その事故で生き残ったのは僕だけだった。
一人この世界に取り残された僕は、一つの、人としてしてはいけない決断をした。
それが……。
「命を捨てた……ていうことなのか……?」
ルシルの問いに、雪斗は無言で頷く。
「命を捨てるっていうことは、必死に生きている人への侮辱でもある行為だよ。それでも、君は……捨てたの?」
「だって、家族のいなくなったあんな世界なんて、生きている意味がないじゃないかっ!それなら、もう……いっそ……死んだ方が……マシじゃないか……」
「……それは間違っているよ」
涙を流して、命を捨てたことを、『自殺』したことを正当化しようとする雪斗の考えをルシルは否定する。
「世の中には、生きたくても生きられない人だっている。中には、君のように死のうと考えたけど、勇気がなくて死ねず、仕方なく生きている人、そこでなんとか思い留まった人だっている。生きる目的のある人、生きる目的のない人、人によってそんなのはそれぞれだ。でも、その人たちは、今、生きているんだよ。必死で今を生きているんだ。自殺っていうのはそれらの人全ての生をバカにすることなんだよ。それに、君が死んだら悲しむ人だっているんじゃないの? 君が家族を失うのがつらいと思うように、その人だって君が死んだら絶対につらいと感じるに決まってる。それでも、君は……死を選んだの?」
雪斗の脳裏に、おじさんの姿が映る。おじさんは、大切な妻を失って、度々遊びに来る僕たちのことをまるで、我が子のようだと思っていた。だけど、そんな僕たちがいなくなったら、おじさんは……。
「それでも、僕は……僕は……! 僕は、僕は、僕はっ!」
雪斗は頭を押さえて必死で言葉を探す。
そこに、どこからか現れた黒いカビのようなものが空中を漂い、雪斗の方へとゆっくり進んでいく。岩の上に座っていたクリュウがいち早くそれに気づく。
「転生神様っ! そいつを止めてくださいっ!」
「えっ、クリュウ!? それは、どういう――」
「僕はっ! 僕はっ! ぼ、く、は……」
雪斗が話す度、黒いカビは雪斗の下へと集まっていき、完全に黒に包まれるには十秒とかからなかった。
ルシルは急いで、クリュウたちのいる岩の方へと走ってあの黒いカビについて質問する。
「あれは……?」
「あれは、『黒化因子』。人の放つ負のオーラに寄って集まる物質です。そして、ああいう風に完全に黒化因子に呑みこまれたのが『黒化』。ああなると、早急に取り除かないと、黒化から戻れなくなり、人ではなくなり……消滅させるしかなくなります」
「消……滅?」
「はい。消滅させてしまえば、魂そのものがなくなり、あの少年の存在自体が消滅します。しかし、それをすれば、転生をして生まれ変わることもできなくなり、もうそこであの少年自体が消えてなくなります」
完全に黒化すれば、結果的に転生すらもできなくなる。あの少年は、転生して自分の過ちを反省して生きることもできないんだ。そんなのは……とても悲しい。
「『取り除かないと』っていうことは、黒化を止める方法はあるってことだよね?」
「はい。それは、私の口からは説明できません。ですが、その方法はあなたの記憶に刻まれているはずです。あなたの、その転生神としての記憶に、です」
「転生神としての記憶……」
ルシルはゆっくりと青い目を閉じ、精神を集中させて、転生神としての記憶を、そこに刻まれた記憶を探す。
黒化因子を取り除く方法……、黒化因子を取り除く方法……。
「僕はあああっ!」
黒化した雪斗は、黒化する前の面影を若干残してはいるが、背中から生えた黒い翼や、服も顔も、髪も全て黒一色のシルエットのようになってしまった今の彼は、自分の人生を嫌っていながらも、命について一時でも考えた、あの雪斗ではない。
その黒化した雪斗は自らに纏わりついた黒化因子を弾丸のように、ルシルたちに向けて発射する。
「うわっ!」
「きゃっ!」
いきなりの攻撃に戸惑うルシルとカグネ。
「はあっ!」
クリュウはその飛んでくる無数に近しい弾丸を腰から取り出したクナイで一瞬で無数の斬撃を繰り出して弾丸を全て消滅させる。
「クリュウ、ありがとう」
「はい。後は任せました、我らが主、転生神様」
「ルシル様……お気を付けて」
ルシルは一人、黒化した雪斗の前へと歩き出す。