#94 ヒロうがポンと飛ぶ
「こちらは北方に住まう龍族の地で栽培されているリェクチョという茶葉を使ったものです」
胸元が残念なメイドが一瞬俺を睨みながら(バレたのか!?)置いてくれたカップの中には、サングラスと照り返しでどうなっているのか全く分からない液体が確かに注がれている。
匂いは渋くて少々青臭い。俺としては日本の緑茶に近い物を想像したんで一口。うん。長期輸送ですっかり風味は乏しくなってるし、そもそもの入れ方がなっていないんでいつも飲んでそいるお茶の方が何倍も美味いが、ロクに淹れ方を知らないんだろうと思っておくことにしよう。
そして案の定。アニーやリリィさんは俺が淹れたお茶すら飲まないのにこんな質の悪い苦いだけの緑茶もどきの匂いを嗅いだだけで口をつける事なんて無かった。
「さて。ほいだばさっそく購入に関しての契約書を出してもらえまっしゃろか」
「ええ。こちらが龍断ちに関する購入証明でございます」
事ここにいたってまだ三日月みたいな笑みを浮かべる余裕があるのかと思いながら契約書を受け取り、アニーにそのまま受け流す。別に文字が読めない訳じゃないけど、こういった細々した物を見て確認するのは非常に面倒くさいんで、ここは商人として慣れているであろう相手におんぶにだっこだ。
茶も飲み終わり、後はアニーが契約書をも読み終えるのを待つだけだとボーっとしてると、突然に机をたたく。完全に気を抜いてたからビクッとなった。
「なんやこれは! さっき龍断ちを白金貨2枚で買う契約やったはずなのに、どないしてここには10枚なんて馬鹿げた値段が書かれてるんや? こないに堂々と詐欺行為しよるなんて、あんた……ギルマスやる資格ないで」
ギロリと睨み付けるアニーに対し、対面に座るギルマスは涼しい顔で失礼と一言断ってから叩きつけられた資料を手に取って確認の作業へと入る。
「……おっと。これはこれは失礼しました。どうやら書類担当の人間が間違ってしまったようで……部下は後で叱っておきますので何卒ご容赦を。すぐに新たな契約書を持って来ますのでここでお待ちください」
なるほど。こうやって馬鹿なふりをしながら時間を稼ぎ、この街に居るガラの悪い連中や息のかかった兵士などを集めるつもりなのか。
文句を言えば簡単に引き下がり、牛歩戦術の様に遅々として進ませず、耐え切れずに席を立とうものなら問答無用で奴隷堕ち……って所かな。ここなら他の商人の目もないし、かなりの無茶が出来る。そりゃあ余裕も戻ってくるだろうよ。
だがしかし。それが通用するのは金に余裕のない相手のみ。この俺を相手にそんな勝負を挑むなど未来永劫無駄な事だと教えてやろうじゃないか。
「ええでええで。そないなはした金やったら別に支払ったるさかいに契約するでごわす。ちゃっちゃとそれをこっちに寄越しんしゃい」
「「「ええっ!?」」」
白金貨2枚が10枚程度に増えただけ。昔の俺だったら目ン玉が飛び出るほどの違いだが、今となっては2円が10円になったくらいにしか思わんので、全員が驚いてる事に逆に驚いて感覚が狂ってるなぁと再認識。
「これが約束の代金の10枚やでホンマに。っちゅう訳で――」
「ちょい待ちぃ! あんた自分が何しとんのか分かっとんのか!?」
「なにて……代金の大支払いじゃなかか」
「その代金が問題や言うてるんです! 白金貨10枚言うたらエレレくらいの村の1年分の維持費なんやから! それをあんなニセモンにポンと出すて何考えてますんや!」
まぁ、商人である2人からすれば滅茶苦茶馬鹿げてると感じるんだろうが、俺からすればこんな些事に時間をかける方がよっぽど馬鹿げてんだよな。
なにしろ時間は有限。野郎なんかに使っていい時間なんて俺には微塵も存在しねぇ!
「けち臭いやっちゃやでしかし。おいどんはまだ用事があって急がないかんばい。じゃっからこれでええ言うてるんやからさっさと書類よこさんかい!! ぼてくりこかすぞ?」
「え、ええ。そちらがそれでよいというのであればこちらとしては何もおっしゃいませんとも」
2人の文句を完全に無視。ワッペンの手から契約書を奪い取り、サラサラっとサインを済ませて白銀に輝く硬貨を10枚置くのと交換で麻薬の塊を魔法鞄にしまってすぐにその場を後にする。
去り際、表情をチラリと確認したらさっきまでの笑みを完全に消し去り、随分と追い込まれたような表情になっていた。さてさて、ここからどんな行動をとるのか楽しみだ。
「さて。ほんならおいどんはここで失礼させてもらうでしかし。色々と用事もあるあっちゃけんねぇ。またなんかあったら頼りんしゃい」
「ああ。ホンマに助かったわ。またどこかで会ったらそん時は頼むな」
「おいどんも用があれば利用させてもらうだがや」
という訳で解散。アニー達にはこれから起こるか起こすであろう出来事に関しても、して欲しい事は伝えているのでまずはさっさとネブカを後にするだけだ。
目的地はどこだっていいんだけど、商人という設定上。実力はそこそこで小規模ながら馬車を持っていると判断し、〈万物創造〉でユニに牽かせている物の半分程度のサイズの物と適当に馬を購入して門を出て人気が少ない道を選んでほどなく休憩を取る。
「さて……どうすっかね」
意図せず手に入れた麻薬は早速一口。〈万能耐性〉の前では毒にも薬にもならない物だけど、それを〈狂乱種〉という花の種を乾燥させて粉末にしたもので、ひとたび吸い込めば理性のタガが外れてさながら狂戦士のように敵味方関係なく暴れ回ってしまうらしい効力がある麻薬と知る事が出来た。
現状ではこの程度の情報しか確認できないけど、これだけでも十分すぎるくらい危険な代物だという事は理解できた。こんな物を風魔法を使って街の中心部なんかでブチ撒けようものなら、その場は一瞬で地獄になる。人道という言葉を捨て去れば、これほど効率的に敵を滅ぼせる物はそうそうないだろう。いわゆる自爆テロに似た成果が出せるのは明らかだからな。
とはいえ、これだけの量でどれだけの人間の人生を狂わせることができるのかは分からない。というかそろそろ来てもいい頃だと思うのに、〈万能感知〉の範囲内にはひとっ子一人現れないってどういう事だよ。
俺の予想では、麻薬を買われた事で後に引けなくなったワッペンが、裏に存在する組織にさっき渡した金を使って俺を殺そうと追手を差し向け、それを逆に打ち滅ぼしてギルドマスター含めて一斉検挙。その礼として伯爵とやらに恩を売っておこうと思っていたのに……やっぱ世の中って物事はうまく運ばないもんだな。
とりあえず麻薬は〈収納宮殿〉に放置。使い道は今のところないけど、いつどんなタイミングが訪れるか分からないからな。最悪中身を別の物と入れ替えてインチキ商売が出来る。高度な偽装付与がされてるっぽいし、バレた所でそれを跳ね除けるだけの力は備わってる。
後は着替えを済ませて馬車を破棄。馬は……殺すのも何なのでその辺で誰かに会ったらネブカに永住するとかなんとか嘘を言って譲ってやろう。買った牧場に売ると一発でバレそうな気がしてならないからな。安全に安全に。
結局。20分ほど待ってようやく人に会ったので、嘘八百の説明をして馬をタダで譲り、またネブカで手続きを済ませて街の中に戻ってみると、不思議と物々しい空気が漂っている感じがするぞ。ほんの少し離れている間に一体何があったんだ?
「なぁ。なんか空気がピリピリしてないか?」
「あんたこの街に来てすぐかい? それなら知らないのも無理はない。なんでも犯罪組織が一斉検挙されたらしいぞ。騎士団が大慌てで動き回って大変そうにしてたからな」
「……えっ?」
おかしいな。俺はてっきり麻薬を購入したこっちを襲いにくるもんだとばかり思っていたのに、いざ蓋を開けてみれば襲撃者はゼロ。別に痛くもかゆくもないけど、すれ違った駆け出し商人らしい友人とも呼べる外見の男にいくつか手っ取り早く金になりそうな商品も渡して口止め済み。合計金額は金貨2枚也。
そんな俺にとってはした金を支払わせておきながら、まさかこんな天下の往来であっさりと捕まってるだなんて……どんだけ裏組織の人間はクズ揃いだったんだよ。よく今までやって来れたな。
「いやぁ……あれは凄かったぞ。あそこの宿にデカい狼を連れた貴族様が寝泊まりしてんだけどな。そこに突然ゴロツキ共が大挙として押しかけて来たんだが、それをバッタバッタとなぎ倒し、傍らの獣人もそりゃあもう強いのなんのって。一体何があったのか知らんが、今頃騎士団は大慌てだろうな」
くそう。聞けば聞くほど何をしてるんだと言いたくなるが、それを声高々に叫んでしまえば我が計画である世界中の美女とイチャコラが出来なくなる可能性が出てきてしまう。ここは面倒事が勝手に解決されたといい方向に考えてしまおう。
「そりゃ残念だ」
という事で、すぐに気持ちを切り替えたけど一応残念がっておいてから、人目につかないようにコッソリと宿屋に行こうと裏通りを進みつつ、事の顛末を聞くためにユニへと〈念話〉を飛ばす。
『ユニ。何でも悪人を懲らしめたんだって?』
『主ですか。ええ。非常に微弱で取るに足らない矮小な存在ではありましたが、命じられた侯爵の護衛という観点で見れば害になると思ったので排除いたしました』
『しかし街の衛兵に手を出したとも聞いているぞ。それはどう説明する』
『それは獣人2人のしでかした事です。何でも上まで腐っていたとかなんとか訳の分からない事をつぶやいていましたよ』
あぁなるほど。つまりは街ぐるみで麻薬を売りさばいていたという訳か。それをどうやって察したのかは分かんないけど、とりあえず〈鑑定〉を使ったんだと推測しておこう。
『で? その肝心のアニー達はどこで何をしてるんだ。さっきから繋がんないんだが?』
『現在は矮小共の襲撃を理由に色々と尋問すると言い、どこかへと向かいました』
『分かった。ユニは引き続き侯爵の護衛を続けてくれ』
『主はどうするのですか?』
『取りあえずアニー達の所に向かう』
さて。どうやら思った以上に大捕り物となって来たぞ。このままいくと最悪の場合はシュエイに寄らずに王都まで一直線に向かうしかなくなる。〈万能感知〉で2人の行く先を探ってみると、どうやら準男爵の屋敷の中に居るらしいので、俺もそこに向かうとするか。




