#91 隠れた勇者? アスカ
「なるほど。これが正解か」
トマトジュースが血の代用品として使われるのは所謂テンプレな訳だけども、これはちょっと健康を意識しすぎてないかね。メディスの記憶を頼りに適当な野菜を混ぜ込んで作ったスムージーは、もはや吸血鬼の食事というカテゴリーからは外れてるだろ。
「うむ。多少匂いに差異はあるが問題ないだろう。貰ってゆくぞ」
そう言って奪い取ろうとするメディスの手を華麗に回避し、一枚の契約書を突きつける。
「契約が先だ」
「むぐ……っ。いいだろう」
契約内容は以下の通り。
1.俺が向かう先で暴れたり迷惑になりそうなことはしない。
2.真実の血の受け渡しは一週間ペースで30時~36時の間のみ。
3.樽1つ金貨1枚だが、真っ当な手段で得た金しか受け付けない。
4.俺と言う存在を同族・他種族問わず言いふらさない。
「まぁこのくらいか。取りあえずシルルに一度来るように伝えておけ」
「人種如きがシルル様にご足労願えというのか!」
「嫌なら飯が食えなくなるだけだし、お前もこれが飲めなくなるだけだぞ?」
ひらひらと血液パック(O型)を振ってみると、ダラダラとよだれを流しながら目を血走らせてその動きを正確に追いかけている。きっとこの間に首を斬り落とそうとしても気づかないんじゃないかなぁって思わなくもないけど、実行に移す予定は今のところない。
「う……うぅ……」
「そもそもこれは、お前と俺との契約書だ。シルルにもちゃんと別の契約書を用意してあんだから、キッチリ書いてもらわんと安定供給させないぞ?」
一応<万物創造>で魔法的な効力が僅かにある契約書を創造してある。罰則としては、ここに書かれた契約を破ると額に肉の字が現れてむずむずとした異物感を与えるようになっている地味に嫌な罰だ。
「ちょっと待て。シルル様は食事をとらずに303年たっている事を考えると、とてもじゃないがすぐに動き回れるとは思えぬ」
ふぅむ。普通に考えるんであれば、300年も絶食してれば確実に死んでるだろうけど、メディスの言い方を聞いている限りは相当に弱っているだろうけど死んでないって確信を持っているように受け取れるな。
「本当に生きてんのか?」
「当然だろう。偉大なるシルル様を始めとした超級魔族の方々が、その程度の事で弱体化する事はあっても命の危機に陥る事などありえぬわ」
「なるほど。ほいだばこいつとこいつをお前さんに託す。それをシルルってのが飲んである程度体力が戻って動けるようになったら改めてこっちの契約書を見せ、受け入れるつもりがあるならもう一度来い。時間はそこに記した時間でな」
ちなみに渡したのはトマトたっぷりのスムージーに、これまた吸血鬼と言えばの赤ワイン(ヴィンテージ物)を数本と、おつまみとしてトマトのカプレーゼだ。つまみが食えるかどうか知らんが、これだけあればシルルに俺が有用な人間であると知らしめると同時に無くてはならない存在と植え付ける事ができるだろう。
「人種如きがシルルさまの人生に指示を出すなど……」
「そうしなきゃシルルが空腹に喘ぐだけだ。それとも……死ぬと分かってて俺に刃向かうか?」
ほんの少しだけ殺気を放出(自分的に)してみると、メディスが顔を真っ青にするのに僅かに遅れて〈万能感知〉内に居た魔物が一斉に逃げ出した。どうやら成功したみたいで大変満足だ。
「い、いいだろう。だが勘違いするでないぞ? わらわはあくまでシルル様のために、貴様の指示を引き受けるだけだ。それだけでわらわが従属したなどと思わぬ事だな」
「そうか。だったらお使いの御駄賃としてこれをくれてやろうと思ったんだが、別にいいか」
「――だが、さすがにタダでとはいかぬ。これを運ぶ事は貴様にも利になるのであるなら正当な報酬というものの1つや2つ渡すのは筋というものではないのか? シルル様も命を成功させた褒美としていつも素晴らしき物を与えて下さるのだ」
「素直に欲しいなら欲しいと言え」
それから、なんだかんだと文句を言いながらも血液パックを受け取ったメディスは、シルルを連れてくるためにとアレクセイの時と同じ方向辺りに向かって飛び去った。なんか戦う事よりも餌付けをする方が簡単に荒事が終わってしまうな。こっちもある程度は殺す気でいたけど、結局のところエリクサーさえあればほとんどの怪我はなかった事になると考えると、瞬間的な怒りさえ何とかしてしまったら、俺に降りかかる火の粉程度であれば平和的に物事を解決できるようになるかもしれないな。
ついつい忘れそうになるけど、俺がしなきゃなんないのは六神をぎゃふん(死語)と言わせる事で、人類圏の平和への貢献じゃない。そう言うのは馬鹿ナガトやゴミ貴族のような勇者の仕事だ。
「あーあ。終わった終わった」
とりあえずメディスについては、一応倒したという事にしておこう。あの姿を見たのは小規模な集落に居た数百人程度で、それを成したのは本来の俺という存在からは遠くかけ離れた容姿をしているんだ。どれだけ噂話をされようとこっちは痛くもかゆくもない。
――――――――――
メディスと別れて集落に戻ってみると、そこでは吸血鬼の襲来によって元々立派ではなかった建物のいくつかが無残にも崩壊し、青空の下。そこかしこでアニーやリリィさんが走り回ってポーションを飲ませ、重傷者にはエリクサーを吹きかけたりして連中に感謝されていた。さすがに死んだ連中にはかけてないっぽい。
「おいっす。首尾はどうだ?」
「あんたのおかげで大丈夫や。それよりも吸血鬼はどうなったんや?」
「ああ。ちゃんと退治しておいたぞ。これが証拠――って言えるのかねぇ」
メディスと別れる際に、一応死んだことにするんでなんか討伐の証になるもんはないかと聞いたところ、何のためらいもなく腰まであった己の髪をばっさりと肩まで斬り裂いた。
34歳童貞にも髪は女の命と言う情報は回ってきている。既に切ってしまった以上はどうにもならない事だけど、メディスにとってはどうせ何年かすれば同じくらいの長さになるとあっけらかんとしていた。この辺りは長い年月を生きられる吸血鬼ならではの思考回路なんだろう。
そんな訳で、吸血鬼の銀髪という素材を証拠として提出してみたが、どうやら十分だったようだ。
「さすがアスカやな。確かに吸血鬼の髪や」
「出来ればこの姿の時はキョウヤと呼んでくれると助かる」
「面倒な奴やな。なんでそないな事しとんねん」
「偉い人間に目をつけられたくないからだ。俺は世界中の美女とお近づきになりたいのだからな。貴族とか王族とか、そう言った連中の目をこの姿に釘付けにすれば、いざアスカに戻った時でも問題なく諸国漫遊が出来る」
「そないな事でけへんようになったらどないすんねん」
「そうならない努力を現在進行形でしている。なし崩し的にだけどな」
本来の俺は面倒くさがりだ。これもあくまでアニーやリリィさんやアクセルさんが危険だから手を出しただけであって、もしアクセルさんが騎士団に同行してなければわざわざメディスと一戦交えるなんて面倒をする訳がない。
「働きモンなんかどうかハッキリせん奴やな」
「女性の為であれば働く。それが俺の存在意義だ。とはいえ走ったり戦ったりして疲れたから帰って寝るけど、そっちはどんな感じだ?」
見たところ。リリィさんは多くの患者らしき鼻の下を伸ばした同類を相手に嫌な顔一つせずに治療や看病を行っているし、鉱山で別れたはずのアクセルさんは難を逃れたご婦人方と一緒に料理をしている。偏見になるかもしれないけど、やはり女性が料理をしている姿はいい。リリィさん以外は。
「こっちも治療はあらかた終えとるし、もうちょいしたら騎士団の連中も戻って来るらしいから、そうなったらウチ等も一緒についてくわ」
「じゃあそれまではのんびりとさせてもらうとしますかね」
と言っても、端から端まで5分もかからない小規模集落で――しかも吸血鬼の襲撃で多くの建物が半壊しているという駄目押しが加われば、出来る事なんて限られているんで、仕方なしにアクセルさんの所で料理の手伝いでもしよう。
「アス――恭弥殿。無事でしたか」
「おかげさまでな。それよりも暇してるんで手伝ってもいいか?」
「それはありがたい。少し手が足りずにどうしようかと思っていたところなのです」
困ったように笑うアクセルさんを見て、好感度が上がった様な幻聴が聞こえた俺は、まだまだ地球の頃の悪い癖が残っているもんだなぁと思いながらご婦人方の中に混ぜてもらう。
「メニューはどんなもんなんだ?」
「黒パンと野菜のスープに塩漬けベーコンと言ったところかね」
「そんなんじゃ栄養が足りないだろう。少し食材を提供しよう。もちろん無料で」
「いいのかい? こんな状況じゃあロクな礼が出来ないんだけどね」
「なら情報をくれないか? うわさ話とかダンジョンでの戦果なんて物でもなんでもいいから」
「そんなの聞いてどうすんだい?」
「ただ単に楽しむ。そういう趣味を持ってるんでね。このくらいでいいかな」
パンはやっぱり食パン。スープに使う具材はこの世界でも受け入れられやすそうなポトフをという事でニンジンにジャガイモ。キャベツに玉ねぎ。ついでにソーセージとセロリ。後はガッツリ食いたい奴のために豚肉と味付け用の塩・胡椒にニンニク醤油のタレをおおよそで200人前分。これだけあれば十分だろ。
「ちょいとあんた。なんなんだいこの量は」
「足りないなら更に倍――」
「「「やらんでいい!」」」
なぜか怒られてしまった。




