#78 子供への甘味はもはや最終兵器。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
「ん?」
なんか随分とうるさいなぁと感じて眠い目を開けてみると、目の前には鼻血を流しながらとろけた笑顔をしているリリィさんがいた。
「……なにしてんの」
「美少女2人が重なるように寝とる光景に見とれとるんです」
言われて背後を見てみると、幼女が俺に抱きついてよだれを垂らしながらまだ寝ていた。
「いつぐらいから」
「5分くらいや思います」
いいや違うな。リリィさんの鼻血量から考えると、少なくとも30分以上は眺めていたはずだ。おかげで大した苦労はしてないけど敷いた畳が真っ赤なんだからな。
「まぁいいや。汚れた畳はキッチリ弁償してもらうからな」
やはり日本人として畳は外せない。まぁ個人的にベッドも外せないんで違和感のある和室みたいになってるけど、ちゃんと土足厳禁なんでぐーすかいびきをかく幼女の靴を脱がせてあるし、ついでに起こすために拳骨を叩き落としたがびくともしなかった。
「そんなん安いもんや。こないな光景見れたんやから」
「じゃあ銀貨10枚ね」
「ふえっ!? そ、そんな高いんですのん!」
「作るのに苦労したんだから当然だろう。掃除もメンドイから土足厳禁って張り紙をしてんだよ」
「うぐぅ……減るのMPだけですやん。勘弁してもらえへん?」
「じゃあ今日から半年は好きな服着させてもらうから」
俺の答えに、リリィさんは唇をグッと噛みながらその場にうずくまった。つまりは俺が色気の欠片もない格好をするという事だからな。
最近はいちいち断るのが面倒だからってスカートで良しとしてきて。それにもなんか慣れ来たところだが、やっぱ男としては断然ズボンだ。下着が見えようが特に気にする訳じゃないが、ひらひらして邪魔だったんだよな。
「そ、そんな……あての楽しみが……」
「それなら金を払えばいい」
「そんな大金すぐに払えへん! せめて一月後くらいにならへんやろか」
「びた一文まけん! さーってご飯にするか。着替えるから出て行ってもらおう」
「断固として断る! アスカはんの雪のように白い肌にわずかに膨らんだ胸なんかをこの目に焼き付けるまでは出て行きまへん!」
「銀貨が金貨になるぞ?」
このもの凄い執念は、俺をもってしても気圧される程ではあるが、それでさらに鼻血を出して部屋を汚すようなら、男の格好をする期間が伸びるだけだぞと脅しながら試しに上着を脱いで背中を見せてみると、リリィさんは鼻を押さえながら逃げるように走り去っていった。ふっふっふ……勝ったな。
「うにゅ……うるさいのだアスカ。このベッドはふかふかでずっと寝ていたくなるのだ」
「じゃあ寝てろ。こっちは朝飯食うから」
「ご飯なのだっ! わちも食べるのだ~」
「ならそれ食ったら帰れよ。文なしのお前にも特別にタダで食わせてやるから」
「むう……わかったのだ。そろそろ帰らないときっとジジイがうるさいと思うのだ」
そんな訳でコテージを出てみると、普通にアクセルさんと侯爵が馬車の外に居るのが見えた。他にはユニが小説を読み、アニーは朝食の準備として湯を沸かしたり簡易テーブルの設置をしたりしている。ちなみにリリィさんはうすぼんやりとした記憶にある服とは別の服を着てるし、アンリエットは料理が出来ない限り決して起きてこない。
「こんな朝早くから居るとは珍しい」
「いえ。朝食を戴きつつ昨晩出来なかった本日の予定の打ち合わせをしようかと思いまして」
「そういばそうだった。それじゃあパパッと作っちゃうんで」
朝と言えばやっぱり和食――と行きたいところだけど、俺が求めるそれはこの世界の人間にとっては到底許容できる物じゃないんで、俺以外の連中の選択肢はもっぱらパン一択だ。別に悪くはないけど、やっぱ日本人としては朝はTKGか納豆が食いたい。
そんな未練を何とか断ち切ってパンを用意する。出来れば食パンをトーストして食べたいが、グリルで実行するにはちょいと難度が高いんで、基本はロールパンをカゴ一杯に詰め込んで中央に置き、スクランブルエッグにカリカリベーコンに生野菜にバターにジャムがいつもの朝食だが、大食いのユニとアンリエットはそれでは腹が膨れないと肉を求めるんで、別に作る。今日は少し豪勢に1メートルほどのサイズの突撃鳥って魔物の半身を使った照り焼きだ。2人は骨ごと行くんで処分に助かるっちゃ助かる。
「うん。いつも通りアスカさんのお料理はとてもおいしいですね」
「マリュー侯爵。出来れば毒見が済むまでは口に運んでいただきたくないのですが」
「アスカさんはその様な事をしませんよ。この赤いドロッとしたものは何ですか?」
「ジャムって言うパンに塗って食べるモンでな。イッカの実を砂糖で煮ただけの単純な奴よ」
俺の説明に、侯爵とアクセルさんは不思議そうに首をかしげながらも美味しいからそれでいいかと納得したのかそれ以上何か聞いて来ることはなかった。
「美味いのだ美味いのだ甘いのだ甘いのだ♪」
貴族然とした優雅な振る舞いで食事をする一方で、アンリエットやユニに混じって鳥の照り焼きやパンをむさぼるように食べ続ける幼女が居る。それをどうとらえたのか知らないが、アンリエットもなぜか争うように食べている。
「お前いつになったら帰るんだよ」
「ジジイが迎えに来るまでなのだ。連絡したからそろそろ来ると思うのだ。だからそれまでに甘い物と美味い物を食べるから邪魔をするななのだ」
「へいへい」
取りあえず放っておこう。食っている限り邪魔になるような事はないだろうからと思っていたら、侯爵が突然俺にそっと顔を近づけてきた。香水のいい匂いがするばい。
「アスカさん。もしかしてあの娘は魔族なのですか?」
まぁ褐色の肌に紫色の髪を見ればそう思うのも当然か。俺はあんま信用してないんだけど、あっちがそう言う限りは一応は受け入れているんで首肯すると、アクセルさんから一瞬だけ敵意みたいなものが漏れたけどすぐに止まった。正確に表現するならあっちの目がこっちを見た瞬間だな。強いと理解したんだろう。
「そう言えば名前まだ聞いてなかったな。おいお前、どこの誰なんだ?」
「わちは魔族なのだ。名前は――」
「姫様ああああああああ!」
平たい胸を張って名乗りを上げようとしたところに、謎の老紳士が猛スピードで駆け込んできて幼女を攫って行った。
あまりの出来事に俺以外の全員が呆然としていると、遠くの方でしわがれた声の断末魔がこっちまで届けられ、しばらくすると幼女と首根っこを掴まれて引きずられている老紳士が近づいて来て、何も言わずにパンにジャムを塗って幸せそうに頬を緩ませながらパクつくんで頭をひっぱたく。
「いや説明しろよ」
「んぅ? それがわちの言ってたジジイなのだ」
「じゃあ帰れよ」
「嫌なのだ。まだまだこの甘味がある限り、わちは腹が破れようと食うのだ」
それだけを告げるとパンにごってりとイチゴジャムを塗りたくって口の中に放り込む。アンリエットと同じですでに20人前以上食ったはずなのに腹が膨れるような様子は見られない。異空間にでも繋がってんのか?
「と言うかお前の名前とか聞いた事なかったって話なんだが……魔族なんだよな?」
「そうなのだ。わちはマリア・ベルゼ。他の種族からは『暴れ姫』と呼ばれているのだ」
「ふーん」
暴れ姫ねぇ……。どっちかって言うと駄々っ子姫と言った方が俺としてはしっくりくるな。
そんな事を頭で考えながらふと周りに目を向けると、アンリエット以外がいつの間にやら5メートル以上も離れた場所で信じられないものを見ていると言った感じで、真っ青を通り越して真っ白になってる。別に燃え尽きてる訳じゃない。
「どした?」
「どしたやない! 『暴れ姫』言うたら魔族でも5本の指に入るメッチャ凶悪な魔族やで!」
「歴史上。その暴威に巻き込まれていくつの国が滅んだか……」
「『暴れ姫』が本気になれば、いかにアスカ殿が強かろうと無事では済まないでしょうな」
「はーっはっは! 当然だ当然だ当然だぁ! 我等が姫の実力をもってすれば、惰弱で矮小な人類種如き、瞬く間に攻め滅ぼすだろう!」
ここで。復活した老紳士が腕を組んで仁王立ちし、心の底からこっちを見下してるんだなぁってのが分かるくらい愉快そうに笑っているのはいいんだけど、脳天にデカデカと存在しているたんこぶさえなければもっと様になっていただろうに。なんかコントみたいで笑いそうになる。
それでも、他の連中にとっては笑えない事態な訳で……とりあえずさっさと帰ってもらわないといつまでたっても出発できない。
「はいはい。とりあえずそっちが魔族って事は十分にわかったんで、そいつ連れてさっさと帰れ」
「なっ!? 貴様誰に口を利いているのか分かっているのか!」
「食いしん坊でワガママなお子様と、朝っぱらからやかましいクソジジイに決まってんだろ」
俺が視線を向ける先には、もはやパンなど無用の長物とばかりにジャムだけを口に放り込んでいる。結構作るのが手間だからそろそろ勘弁してほしいんで素早く奪い返す。
「なにするのだ!」
「それはこっちのセリフだ馬鹿。飯食ったならさっさと帰れ」
「おい貴様! 姫に対して何たる口を利くのだ! 殺されたいのか!!」
「いいのか? 俺を殺したらシュークリームは勿論他のお菓子も、もしかしたら数百年単位か最悪2度とお目にかかれないかもしれないぞ?」
「何を訳の分から――へぶっ!」
価値を知らない老紳士と、その価値が骨身にしみているマリア。その差が後頭部をブン殴られるという悲劇を生み出した。あれくらいじゃ死なないだろうし、そもそも男だから心配なんて皆無だ。
「それは困るのだ。という訳でさっさと帰るのだ」
「なら土産をくれてやろうじゃないか。今度来る時はちゃんと金を用意しとけ。そうすりゃ作りやすいクッキーとかプリンくらいなら売ってやるから」
「わかったのだ。それじゃあまた来るのだ~」
「――の前にちょっといいか? 結局お前はこんな場所まで何しに来たんだ?」
こいつが魔族の中でも特別危険な存在ってのは……まぁ、理解する努力をしようじゃないか。現にユニですらビビりまくってんだ。その脅威はかなりのモンなんだろう。
しかし。そんな奴がこんな場所に来た理由が全くもって理解出来ん。もしかしたらあの魔物を運んできただけなのかもしんないが、だったらわざわざ姿を現す理由もないと思いたい。お子様だから勇者と聞いて飛び出してきたのかもしんないけどな。
「秘密なのだ」
「菓子をくれてやると言ってもか?」
「むぐ……っ。そ、そうなのだ。これは絶対に言っちゃ駄目なのだ」
「そうか。なら無理に聞く事はしねぇよ」
「ちょ!? 何言うてんねん! ええ訳ないやろ!」
「まぁそうなんだろうが、何とか出来るのか? 俺は気が乗らないからやんないぞ?」
俺が本気を出しゃあ無理矢理吐かせる事が出来るかも知れんが、今の俺にはマリアをそこまで苛めたいと思う理由がねぇからな。それよりもさっさと護衛の仕事と2人の王都観光を終わらせて混浴をしたいんだ。面倒そうなのはスルー。そうすればどうせ他の連中にそうなるまで痛めつける事なんて無理だろうから諦めるしかない。
「気が乗らんて……ここで見逃してどっかの街や国が壊滅したらどう責任取るんや?」
「馬鹿っぽそうだがそんな事をするほど馬鹿じゃねぇよ。なぁ?」
「当たり前なのだ。アスカに起こられたらお菓子がもらえなくなるのだ。わちはそんなの嫌なのだ」
「……なんかしょうもなすぎる理由やな」
「何を言うのだ! アスカの菓子は好き勝手に暴れるより重要な事なのだ!」
「つー訳だ。もう行っていいぞ」
「ばいばいなのだ~」
手土産と意識を飛ばしてる老紳士を手に、マリアはあっという間に姿が見えなくなった。これで心置きなく次の街へと出発出来る。




