#69 アスカ、初めての屈辱
侯爵を馬車に乗せ、俺達はエレレの街で一際巨大な建物の前にやって来ていた。
あのバカ貴族と違って、こっちは街の景観を損ねるような佇まいはしていなかったけど、パッと見た印象はどこにでもあるような平凡な建物。しいて言うならどこか区役所っぽい感じがするな。特に駐車場が狭い感じなんて俺の住んでいた所にそっくりだ。建物ばっかでかくしやがって……もう少し利用者の事を考えろってんだ。これだから税金で飯食ってる連中は――って話がそれたな。
建物に足を踏み入れてみると、そこもやっぱり区役所っぽかった。客がわんさと押し寄せてるのに増援に来ようとしないところとか見てるとマジで破壊の限りを尽くしたくなるよ。
「ようこそマリュー侯爵様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「伯爵領の通行許可を戴こうと参じました」
「かしこまりました。それでは奥の階段を上がった応接間へどうぞ」
侯爵が差し出した封書に目を通した受付のお嬢さん(眼鏡三つ編み。可愛い系)が先を行き、それに続いてアクセルさん侯爵俺と言った感じで進む。ちなみにアニーとかリリィさん達は全員二度寝をしている。まぁいつもならまだ寝ている時間だしね。
俺も本当なら寝ていたい気分なんだけど、どうしても同行してほしいと侯爵に直々に頼まれたんで仕方なくついて来ている次第だ。あんま貴族と関わり合いになりたくないんだけど、まぁ侯爵様は綺麗だから特別だ。これが野郎だったら問答無用で却下するし、何より護衛任務なんて受けなかっただろうからな。
「こちらでお待ちください」
通された応接室は割と質素な感じだけど、仮にも侯爵を迎え入れる場所なんだからこの建物で最も質にこだわった場所なんだろう。侯爵も自室を見た限りじゃあ質素が好きって感じだから、これが侯爵に対する正しいもてなし方なんだろうと思っておこう。
それから、職員が運んで来た紅茶を楽しみつつも、俺が用意した卵サンドを嬉しそうに食べたりとまったり過ごして20分。開いた扉からは黒髪オールバックに眼鏡。切れ長で融通が利かなそうな硬い表情にキッチリとしたスーツに身を包んで、その手には無数の書類を抱えている野郎がやって来た。
「申し訳ありません。仕事が立て込んでおりこの様な姿で」
「お気になさらず。貴方の生真面目さは理解しています」
「ありがとうございます。それで通行許可でしたね。すぐに発行いたしますので少々落ち下さい」
男が手を鳴らすとすぐにさっきの眼鏡三つ編み職員が現れ、書類を受け取ってそそくさと退室してしまう。あれが手続き用の書類なんだろうなぁなんて考えながら卵サンドにパクついていると、不意に男と目が合った。
「こちらはアスカさん。旅人です」
「ども」
「……マビ・ハインツ子爵だ。この街の管理を任されている」
わーお。明らかに眉間にしわを寄せて不快感をあらわにしているじゃあーりませんか。まぁ、そんなモンを気にするような細い神経してないから別にいいんだけどね。
ってな訳で、そんな眼光なんぞどこ吹く風と言わんばかりに卵サンドを食べ続ける。そう言えばなんで俺って呼ばれたんだ? 手続きは終わったし特に戦闘能力を求められるような場面もなかった。さすがに美味しいご飯が食べたかったからなんてしょうもない理由じゃないとは思いたい。
「ところで侯爵。何だって俺をここに呼んだん?」
こっちとしては普段通りに語り掛けただけなんだが、どうやら侯爵に対する態度じゃないと言う事が子爵は気に入らなかったんだろう。ギロリと睨みつけてきたが気付かないふりをしておく。相手するのが面倒だからな。
「ああそれですか。もちろん美味しい朝ご飯を食べたかったからです。アスカさんの作る食事は今まで食べた中でも上位です。手で摘まんで頂くなんてちょっとはしたない気もしますけど、そうしなければ美味しさが半減してしまうと考えると些末です」
堂々と言い切るなんて……意図せずに侯爵を餌付けしちゃったみたいな感じになってしまったか。
「マリュー侯爵。その子供は一体」
「先程も申したはずです。此方はアスカさん。旅をしているところ、王都までの護衛を請け負ってもらっているのですよ」
「いや。ですから」
「アスカさんです」
「……分かりました」
何という圧力だ。ニッコリ笑顔のはずなのに、とんでもない圧力を感じる。あんなので詰め寄られたら誰だって折れるしかないよな。
「貴方もおひとついかがですか?」
侯爵の提案にちらりとこっちを見るので、俺は別に構いませんよと答えると、自分より上の貴族に差し出されて食べないのは失礼に当たるのだろう。卵サンドを一口。
「これは美味ですね」
感想それだけ。確かに片手間で作った物だけど〈料理〉を使用して作ったんだからもう少し驚いたり食べたそうにしてもいいと思うんだけどと言いたいけど、まるで興味がないと言わんばかりに書類へと目を向けてしまう。く……っ! 屈辱だ。
結局二つ目に手を伸ばす事もなく、淡々と事務仕事をしながら侯爵との会話を続けた中で、内容は他愛ない話から領地の安全管理の話になっていた。
「そう言えば侯爵様。ダンジョンがスタンピード寸前だとの話を聞いたのですが、領地を離れて大丈夫なのですか?」
「ええ。その問題はすでに解決しましたので」
「ほぉ……それはそれは素晴らしい冒険者が現れたのですね」
事務員貴族がちらりとこっちを向くが、俺は貴族連中に目を向けられるのは好きじゃないんで、ちゃんと対応策は考えてある。と言うかこういう質問が来たらこう答えてくれと侯爵を初めとした仲間内にキッチリ叩き込んでいる。
「ええ。何でも勇者様が現れたとの情報がありまして。おかげで何とかスタンピードにならずに済んだんですよ。さすが勇者様と言った実力でした」
「……なるほど。勇者様がとなれば納得ですな」
その答えを聞いて、じゃあこいつは何なんだという疑問の目が投げかけられる所を見ると、コイツも勇者の情報を少なからず把握している確かな証拠となる。まぁ最初に旅人だと紹介されてるんで俺が勇者か? なんて追及は難しいだろ。そもそも、あの笑顔を突破するなんて俺だって無理だ。
実際に勇者は現れてるし、戦えるだけの実力はあった。多少ボッコボコにしすぎた感じはあるけど、それだけ強敵だったと勘違いしてくれれば御の字だ。万が一斥候的な何かが居たとしても、そいつは確実に俺の情報を漏らさないように色々するつもりだったからな。
いくら怪しんだところで、確たる証拠がなければ、子爵如きが侯爵相手に追及するのは難しい。
――――――――――
「……ま。予想通りの結果だな」
あれから1時間程でようやく通行の許可が下り、出発しようとした俺に対してユニがあの者との契約はどうするのですと聞いて来て、すっかりドっさんとの約束があったのを思い出して戻ってみると、そこでは額を地面にこすりつけるように土下座をするドっさんと他2人に、空になった酒瓶の数々。全部飲むなよと念を押しておいたはずなのに……つまみまでからっぽだよ。予想通りすぎて面白くもねぇな。
「本当にスマン。お主の酒の美味さに抗えず」
「必死に止めたんだが……」
「ど、ドワーフはお酒が絡むと人が変わるんで、どうか許してください」
「まぁ約束は約束だ。おっさんには今後二度と酒は売らないし、飲み干した分の代金を支払ってもらう。アニーならあの酒に代金をつけるとしたらいくらだ?」
「せやねぇ……安ぅ見積もって金貨24枚くらいが妥当や思う」
「4・5本でそんな高いのか。朝にも言ったが高すぎね?」
「当然やろ。あないに質のええ酒は見た事あれへん。それにドワーフが我を忘れるほどっちゅう事を加味すれば、それでも安いくらいかもしれへんのやからな。これを謳い文句にしたらもっと高値がつくわ」
「じゃあ20枚でいいや。という訳で、俺が王都から帰ってくるまでに、とりあえず金貨3枚を用意しておくように。出来なければ利き腕を貰う。俺にそれが出来るだけの実力があるのは十分に理解してるだろ?」
「あ、ああ。しかしいいのか?」
「構いやしない。逃げたところで追いかけて捕まえればいいだけだしな」
まぁ……ドっさんのパーティーなら真面目に働くだろうから心配はいらないだろう。めでたくBランクにもなった訳だし、稼ぎが増えるのは確実でありながら約一月の猶予があるんだ。このくらいは死ぬ気で稼いでもらわないと反省の意味がない。
それでも逃げ出したというのであれば、ドワーフの国にでも行って酒を餌に探させればいい。きっと国中が血眼になって草の根かき分けてでもしょっ引いてくれるだろう。
「そんな訳だから、せいぜい冒険者家業が続けられるように死ぬ気で働くんだな」
ま。ドっさん側も俺が酒を盗まれたと事務員貴族の所に駆け込めば犯罪者となってしまうのは自覚しているだろうから、ちゃんと約束は守るだろ。一月でその額が稼げるかどうかは知らんけど、人間死ぬ気になれば大抵の事は何とかできるだろう。
ってな訳で、きちんと恒例の額を押すという事を忘れずに行ってから、俺達は次の目的地であるユーゴ伯爵領にあるオイゲンなる観光都市だ。




