#55 食の恨みはこの世で一番恐ろしい
「ようこそお越しくださいました。村をあげて歓迎いたします」
「こちらこそ。突然の来訪なのに部屋を用意してもらい感謝します」
猫背揉み手のエンギ村長の言葉に、侯爵も笑顔で返す。
ユニのおかげで夕方になる前には目的地であるリンス村に到着。決して大きいとは言えないけど魔物対策の外壁はしっかりとした作りだし、小規模ながらも冒険者ギルドがある。その理由は地図上では王都への最短距離に位置していながらも、北方にある深い森から現れる魔物を討伐するためらしい。全てアクセルさんから聞いた説明だ。
なので多少の危険は伴うけど、この村は他と比べると安全である為に、侯爵も王都へ向かう際はこのルートをよく選択しているらしい。
だから、村長も慌てふためいて宿の所謂スイートルームの空きを確認する事無く平常運転で用意したのか。道理で宿だけが一際豪華だなぁって思ったのにはそう言った理由があったんだな。
侯爵はそんな宿に泊まるとして、護衛にはアクセルさんが当然付き従う訳だけど、連日連夜魔物が蔓延る森のすぐそばにある村な訳だから、冒険者がごまんと存在する。なので村の設備のほとんどは宿屋に重点を置いてある。つまりはどこも満員なのだ。
こっちとしてはコテージがあるから何の問題もない。設置場所として馬車のすぐそばのスペースでも借りられれば十分なので特に気にしてはいないけど、護衛としての観点から意見を言わせてもらえればそれじゃ駄目なんだよね。
「やっぱ俺も侯爵の泊まる近くの部屋に泊まる必要があるのか?」
「そうだな。ユニ殿が陣取る宿にちょっかいをかけるような愚か者は居ないと思いたいが、安全を考慮するのであればアスカ殿には是非とも侯爵様の隣室に居て欲しいのだが良いだろうか」
「まぁ、こっちから言い出した事だし、怪我でもされてあのクソジジイにネチネチ言われるのも癪だから寝泊まりするのはいいが、俺は寝ずの番は出来ないぞ?」
頭脳は大人でも体は子供だからな。30時頃になると自然と目がしょぼしょぼしてきて強烈な睡魔にロクな抵抗も出来ずに夢の世界へと旅立つ。これはよっぽどの事が無い限り抗えない。綺麗で可愛い女性の窮地などであれば問題ないけど、貴族ともなると流石にねぇ……。
「なんと。アスカ殿にもそんな弱点があったんですね」
「そりゃ子供だからな。まぁ、綺麗で可愛い女性が関われば一晩位なら大丈夫だけどな」
「私は駄目ですか?」
「貴族は駄目」
「うーむ。それではさすがに任せられませんので、ここはユニ殿に助力をお願いできませんか?」
「それなら任しとけ」
って訳で、ユニには一応マリュー侯爵が泊まる部屋辺りの警戒もしといてくれと指示を出し、俺達は遠慮なく馬車で寝泊まりするために堂々とコテージを使わせてもらう事にした。
準備自体はほんの数秒あれば十分に終わるんで、別に手伝いは必要ないから2人には村の中の見学でもさせることにした。もちろん護衛としてユニを引き連れさせることは忘れない。俺の女って訳じゃないけど、パーティ―メンバーなんだから素行の悪い連中から守るのは当然だ。こっちは自分で何とかできるから全然何にも問題ない。
そんな2人と1頭を見送った俺は、いつものように夕飯の準備を始める。
ちなみにメニューはアニーはいつも通りで、リリィさんは新鮮な魚との事なので海鮮丼。アンリエットとユニはサーロインステーキ(おろしポン酢味)という事で決まった。大抵の下ごしらえは済んでるんで調理時間は大体で20分ほどで終わるので観光に行ってもらったんだ。
ちなみにアクセルさんとマリュー侯爵は村長のもてなしを受ける為に必要がない。その事については昼食に勿体ないハンバーグを味見の意味を込めて出したのが相当に衝撃だったようで、非常に残念そうにしていたけど、侯爵と言う立場上相手のもてなしを受けるのも礼儀みたいなもんだ。勿論毒の混入は調べる予定で、その際にはアクセルさんが呼びに来てくれる手はずになっている。
「さて。さっさと始めるとしますかね」
「はいなの~」
コテージ内のキッチンには、俺の他にアンリエットが嬉しそうに飛び跳ねている。
どうやらハンバーグづくりを手伝って俺に褒められたのが嬉しかったらしく、手伝うと言って聞かなかったので仕方なく横に立たせている。
「それじゃあアンリエットにはサラダを作ってもらおうか」
「うにゅ……やさいはあんまりおいしくないのなの」
「飯はお前の為だけに作る訳じゃない。文句があるなら飯の量を減らすぞ」
「あちしがんばるなの! ごしゅじんさまのおねがいきくのなの」
ふんすと鼻息荒くそう手のひらを返したアンリエットは、用意した大量の野菜を俺が指定したサイズと切り方を、両手を剣とする事であっさりこなす。正直こういう時にしか剣としての使い道が全くないんだよな。
試しに剣として使ってみたりもしたけど、やれこの魔物は食べたくないだの。やれこの魔物は美味しくないだのといちいち文句が止まらないので、誰かの目がある状況では完全に武器として役に立たないし、暇さえあれば飯を食っているか寝ているかなのでこういう時にしか使い道がない。
なので、文句を言いながらもちゃんと手伝いをしてくれるのだ。まぁ……そのせいで食材の仕込みを任せると大体3分の1か半分くらいはその胃の中に入っていくんだけどな。こればっかりは何度も注意と拳骨による鉄拳制裁をしても治る気配がないので、多めに渡す事で諦める事にした。いつかこいつも成長して分別の付く大人にでもなれば自然と止めるだろう。
「ごしゅじんさまできたのなの。ほめてなのほめてなの」
「よくやったな。次は魚をこれの上に乗せてくれ。言っておくけどこれはリリィさんの分だからな」
「ひうっ!? が、がんばるなの」
リリィさんの名前は、今やアンリエットにとっては禁句に近い。もちろん普段呼んだりする分には何の問題もないんだけど、こと食事の時間限定となるとその威力は絶大な効果を発揮する。
あれはいつだったか……まぁ、アンリエットが加わったのが最近だから最近なんだけど、とにかくやっちゃいけない事をした。リリィさんの食事の邪魔をしたんだ。
彼女も一度俺の食事を味わってから、それはもう気に入ってくれた。特にフェーレースという事もあって非常に魚介類を、それはもう俺の次くらいには愛しているらしい。だからリリィさんの食事は魚を使ったもので9割を占めてるし、それを食べている時は相当に幸せそうにしている。
それを悪い意味でぶち破ったのがアンリエット。簡単に言えば空腹に任せて全員の食事を横取りしたのだ。
あの速度はいまだに伝説に語り継がれるくらいのスピードだったけど、その後に待っていたのは地獄と呼ぶにふさわしい光景だが、ここでの明言は避けておく。あえて言うなら嵐が過ぎ去った後のアンリエットは3時間ほど壊れた機械みたいに「ごめんなさいなの」だけを光を失った目で虚空を眺めながら言い続けていた。
世にも恐ろしい事件の後。アンリエットはそれこそ食欲に一切の衰えを見せる事はなかったけど、リリィさんからは遠く離れた位置に座るようになった。
そんなリリィさんの食事の準備をするなんて相当に緊張するのは当たり前だろうが、海鮮丼の準備はほとんど終わっているので本当に魚を乗せるだけだ。さすがに俺レベルの盛り付けを求めたりはしない。アンリエットが一生懸命やったという事実さえあれば、幼女大好きリリィさんは表情を緩ませて喜んでくれるはずだからな。
という訳で、その間にさっさとステーキを作ってしまう。ユニ用はミディアムレアで焼き上げて、アンリエットは良く焼きのウェルダン。そこにさっぱりさせる和風のおろしポン酢をかけて〈収納宮殿〉に保存しておく。おろしポン酢は冷たいソースなんであっという間にステーキが冷えてしまうが、ユニもアンリエットもあっという間に平らげるので先にかけておくのだ。
さーて次はアニーの生姜焼きを、今日は贅沢に2層にした丼でも作ってやろうかと丼を手にしたところで、ユニから珍しく〈念話〉が飛んできた。
『主。少々困った事になったのですが今お時間よろしいでしょうか?』
『どうした? お前が困るなんて随分と珍しいじゃないか』
声色と逼迫具合から命にかかわる事態じゃないのは明らかだけど、明らかに疲れ切った様なため息交じりの声が、その困りごとの大きさがうかがえる。
とりあえず事情を聞いてみると、別に他の冒険者か何かに絡まれたり戦闘に発展するような事態には当然ならなかったけど、何でもアニーとリリィさん2人の護衛を兼ねて村の観光をしていたところにエルフの子供が何のためらいもなくユニに近づいてきたかと思えば、野菜サンドが食いたいとそれだけを伝え続けているらしい。
『という訳なのですが、サンドとはパンで食材をはさんで食べる物の事で、アニーやリリィが知らぬ事なので主なら何か知っているのではとこうして助けを求めているのですが……このエルフに心当たりはありますでしょうか』
『まぁない訳じゃないな』
俺が知ってるエルフの子供ってのは1人しかいねぇんだけど、そいつはギック市で保護されてるはずだと思ってたが、もう実家に戻って来たって事なのか?
確かに鬱蒼と生い茂る森が近くにあるんで、一応俺の知るエルフが暮らすには丁度いい感じだとは言っても、あの距離をどうやって戻って来たんだ? って疑問があるなぁ。とは言え、野菜サンドなんてモンを振舞ったのはあの時あの場所にいた将来有望そうな胸部装甲厚めのエルフっ娘だけ。
『でしたら、どうにかしていただけないでしょうか。いくら脅しても全く動じず、延々と同じ言葉を繰り返すので頭がおかしくなりそうです』
『分かった。すぐにそっちに行くからちょっと待ってろ』
とにかくまずは確認してみるとするか。本人だったのなら俺を見ればすぐに分かるだろうから、まずは注文通りの野菜サンドを準備せんとな。
しっかし……何が理由でユニが俺の従魔だと気付いたんだろうな。偶然……にしてはピンポイント過ぎるし、聞いてみるか。




