#54 いま旅立ちの時
翌日。予定に無かった王都までの護衛の依頼をこなすために侯爵の屋敷の前まで迎えに行くと、どうやら少し早く着きすぎたようでまだ準備中との報告を受けた。仕方ないんで馬車で待たせてもらっていると、先にアクセルさんが馬車に駆け寄って来た。
「すまないな。侯爵様は未だ雑務の処理をしておられるので今しばらく待ってほしい」
「気にしない気にしない。女性の準備には時間がかかるものだと理解してますんで」
事実。アニーとリリィさんの2人も毎日色々と準備に忙しくしているのを何度も確認している。特に化粧をしている風には見えないけど、とにかく時間がかかっている印象だ。中身が男の俺からすれば何にそんなに時間がかかるのかがよく分からないが、とりあえずそこについては突っ込まないようにしている。まだ死にたくないんでね。
実際に今も、2人は宿屋に置いてきている。侯爵を乗せてから宿屋に戻って回収する予定だ。
ちなみに待っている間はコッソリ〈万物創造〉の一覧を埋める作業をしている。ボーっと待ってるのも時間の無駄なんでね。
「しかし……アクセルさんは随分と軽装ですね」
腰のレイピアはいつものままだけど、防具は黒い鎧は完全に脱ぎ捨てた代わりにグレー色の革胸当てを装備して、他には肘まで覆う手甲のみと動きやすさを重視した感じの出で立ちになっている。シャツにジーンズの俺が言う事じゃないけど、そんな装備で大丈夫か? って思う。
「私は手数を重視した戦闘を得意としているのです。あの鎧はいつでも侯爵の盾になれるようにと装着しているのですが、対魔物への護衛としてはこちらの方が都合がよいのです。それよりも私としてはアスカ殿の方が心配になるのですが……」
まぁ当然だわな。見た感じどこにでもある――かどうはは知らんが、これから魔物の蔓延る外へと向かうと言うのに、革鎧どころか防具らしい物を何一つつけてないんだからな。
多少あこがれもあったんで着てみた事はあるんだが、〈万能耐性〉と〈身体強化〉があるせいかどうにも邪魔って印象しかなかったんで、こうして普通の服を着てる訳だが、そんな理由が通じるとは思えん。
「こう見えても森林蚕の糸を使用しているから、見た目より随分と頑丈に出来てるんだよ」
「さすがですね。それほど高品質の物を着用できるとは羨ましい限りです」
羨ましそうに俺の服を眺めるその目はは、年頃の女性と言うよりは1人の騎士として高性能の防具が羨ましいって感じでとてもアクセルさんらしくて好感が持てる。
一応森林蚕の糸は品質40くらいで、これを使用した衣類は程度の低い剣を弾き、火以外の魔法に対する抵抗を示すため、斥候職垂涎の品らしい。
それから。一覧を埋めながら他愛ない話をしていると、数人の執事が荷物を手に先導しながら、ようやくマリュー侯爵が馬車に乗り込んで来た。
ちなみに。侯爵が乗るにはあのボロ馬車だといささか不釣り合いだから豪華にしろと執事長に陰で文句を言われたんで、ムキになってまぁまぁデカいサイズの見た目豪勢な馬車を作ってやった。
車輪は当然オフロード用のタイヤに高品質のサスペンション付きだから、大して整備も慣らしもされていない異世界のでこぼこ道の振動なんてまるで問題ない。
見た目はソコソコ豪華な幌馬車っぽく見せてるけど、内装は空間拡張が施されてるからリビングにキッチンにトイレにお風呂に寝室ともはや一軒家と呼ぶにふさわしく、今回は寝室を侯爵専用室とさせてもらい、俺達は常時リビングで待機し、夜はコテージで寝泊まりする予定だ。ちなみにアクセルさんもこっちに寝泊まりさせる予定になっている。
もちろんそんな内装だから相当に重量もかさんだけど、ユニのレベルであれば十分許容範囲らしい。と言うかむしろ馬車を牽いているという感触がやっと実感できるくらいだとドヤ顔をしていたな。
「この馬車……私が所有している物とは比べ物にならないほど豪勢ですね」
「ええ。とある老執事が程度の低い馬車では領主様に相応しくないと言いやがったんでね。その態度と顔がムカついたからこうしてみたんだが、出来栄えはどうかね?」
あえて明言はしていないけど、侯爵の屋敷に居る老執事はたった1人だけだ。文句を言われて黙っている俺ではないからな。最高のタイミングで最高の反撃をする。まぁ、ここが最高なのかどうかはこの際置いておいて、侯爵が並び立つ老執事を睨み付けているのを見ると胸がすっと軽くなる。
「申し訳ありません。部下の不手際は私の失態です。どうか馬車の代金を支払わせてください」
「気にしない気にしない。金は腐るほど持ってっからこの程度の出費は痛くもかゆくもない。おかげで非常にいいモノも見れて胸がすっとしたし、普段使いすればいいだけなんで」
事実。これに使ったのは金じゃなくてMPとHPだ。絶対にぶっ倒れると思ったから、リリィさんを伴って寝る前に創造したが何とか倒れるまではいかなかった。なのであえて代金を請求するのであれば、宿泊代の金貨1枚になるが、老執事の苦々し顔が見れただけでそれ以上の価値がある。
やはり野郎の悔しがる顔を見るのはたまらねぇなぁ。特にナイスミドルやイケメンが苦痛に歪むのは、ブサメンである俺からすれば快楽を伴うくらいには気持ちイイ。
「しかしそれでは……」
「まぁそれはおいおい決めて行こうや。急ぐんだろ? とりあえず乗りねぇ乗りねぇ」
「わ、分かりました。帰ったら話があります」
「はい。気を付けて行ってらっしゃいませ」
別に急ぐ旅ではないし、ユニの力をもってすれば1頭で馬2頭以上の活躍が期待できるんで、行程に遅れが出ればその分移動速度を上げてもらうだけでいい。ある程度の無茶は俺の従魔だろ? と言えば納得してくれる。その後でちゃんとご飯と言う報酬でもって対価を支払う事を忘れなければ、ユニは非常に働き者なのだ。
という訳で半ば強引に納得してもらった侯爵を乗せた馬車は、一度宿屋まで戻ってアニーとリリィさんを拾ってから正門前までやって来る。やはり早朝という事もあって入ってくる人影は全くなく、出て行こうとする人の姿も非常に少ない。
なのでほとんど待たずに手続きが出来るなぁと楽観していると、検査に来た兵士がマリュー侯爵の姿を見てギョッとした表情をするとすぐに守衛のおっさんがやって来て、侯爵自身が王都に向かう旨を説明。それが終わると最優先で街の外に出してもらう事が出来た。
「いいんかねぇ。いくら侯爵が乗ってるって言ってもこんなに堂々とズル抜かしするなんて」
「ええに決まっとるやろ。っちゅうか本来なら侯爵が乗っとる馬車は決して止まらずが基本なんや」
「止まってしもうた瞬間に敵の凶刃が襲い掛かるかもしれまへんからな。まぁ、アスカはんが居てそないな事になる思えまへんけど」
「なるほど」
そう言えば日本でも、天皇が通る信号は全て青に統一されるって聞いた事があるな。一体何のためなんだと思っていたけど、きっと同じ理由なんだろう。
1人納得しながら馬車が外壁を越えて数百メートルほど離れたところで、俺はいつものように馬車の屋根に飛び乗り、足元に投擲用の石を創造していると頭上で音がしたのが気になったのか、侯爵が幌に取り付けてある窓を開けて身を乗り出して来た。
「アスカさんでしたか。どうしてそのようなところに居るのです?」
「ここが俺の定位置だからだ。生まれつき魔物の気配に敏感でね。移動の間はこうして目を光らせ、近づく奴が居れば狩るんだ……こんな風にな」
もっともらしい理由に聞こえる。生まれつき気配に敏感と言うのはスキルを持っていると言っているのと同じだけど、明言しない限りは他の方法である可能性も相手に植え付ける事が出来る。そうさせるために俺は侯爵の前で魔法も披露しているから。
「そ、そうですか。それではあまり文句は言えないですね」
「侯爵は一切の心配をしないで悠々自適に、久しぶりの休暇とでも思いながら過ごしねぇ」
そう答えながら石を放り投げる。それだけで〈万能感知〉内に踏み込んだ魔物の反応はあっさり消えた。久しぶりだからなまってはないかと少し心配だったけど、何の問題もなかったんで一安心。
「ありがとう。是非ともそうさせてもらうわ」
何かを諦めたような曖昧な笑顔を浮かべながらゆっくりと顔をひっこめた。きっと目に見えない速度で飛んでいく石に心配するのが馬鹿らしいと思ってくれたんだろう。これで安心して〈万物創造〉を使う事が出来る。
〈万能感知〉は近づいてくる何かに対して非常に強力なんだけど、こうしてほぼ重なるような状態になられると相手の動きが分かりにくくなるのが弱点だよなぁ。こうして遠くから敵を殺すのには便利なんだけどな。
「ほいっと」
そんな事を考えながら、利き腕で石を投げて魔物を葬り、逆の手で創造する。そして創造した物はすぐさま〈収納宮殿〉へと放り込む。アイテム出現時間を最短にして可能な限り見られないようにする。それが今できる最善策だろう。
『主。本日はどのあたりまで進みましょうか』
『そうだなぁ……いつもリンス村ってところに行ってるらしいから、近づけるだけ向かおうと思う』
『分かりました。それでは適宜道案内を頼みます』
『任せとけ』
取りあえず、日々の目的は宿の確保だ。
さすがに王都に向かうと言っても最短距離を突き進む訳じゃない。侯爵やアクセルさんが居なければそれでもいいんだろうけど、護衛をするにあたってそんなところを突き進む許可が下りる訳ないんで、可能な限り村や町の宿に宿泊させないといけない。
正直言って馬車のベッドの方が寝心地抜群だし、護衛の観点から見ても野宿する方が都合がいいんだけども、やっぱそこは侯爵。自領に金を落としていきたいらしい。
なので、普通に舗装された道を進む。それでも土を踏み固めた程度の路面は積載量の大きい馬車や商隊にかかればどうしたって凹まされるし、一度ぬかるめば車輪を取られたりもして脱出させるのに人手が居る。
それでも。オフロードタイヤにかかれば問題なく進めるし、サスペンションのおかげである程度の凹凸は吸収してくれるので――
「何なのですかこの馬車は……というか、本当に馬車なのですか!?」
「フム……まるで平たんな道を走っているかのようだ。一体どこで手に入れたのだ?」
「あーやっぱ侯爵様達もそう思いますやろ? アスカと一緒に居ると色々常識がおかしなってくるんで、気ぃ付けた方がええですよ。それとこれの入手に関してはアスカの手作りなんですわ」
「……あの幼さでこんな知識を?」
「ウチ等はアスカやからで納得するようにしとりますわ」
「深く考えたら負けですよって、そう思っとくのんが疲れまへん」
足元から聞こえる驚きの声とそれに対する少し納得できないやりとりを聞きながら、石を投げる。




