#35 あの時の奴かあああああ!
一夜明け。取っていた宿で目を覚ますと、すぐに併設されているシャワー室へと直行する。
「はぁ……やっぱ風呂入りたいな」
一応ここは高級宿。風呂もあるにはあるんだが、ビックリするほど狭い上に毎日決まった時間にしか入れないし別途料金がかかる。まぁ……このシャワー室も別途料金がかかる上に降って来るのは冷たい水なんで、今の時期は問題ないが冬にこれやったら軽く死ねるんじゃないか? ってくらい冷たい――らしい。
らしいってのは、俺は自前の魔道具があるからちゃんと適温の湯が降り注ぐシャワーを使えるし、シャンプーにボディーソープも使える日本と何ら変わらない朝の習慣を済ませて着替えを終えた俺は、まずユニの下へと向かった。
「主でしたか。おはようございます」
「おはよう。どんな感じだった?」
「特に問題はありませんでした。しいて言うのであれば、水汲みに来た下働きの小娘2人に驚かれたくらいですかね」
「そっか」
てっきり港でボコった奴以外にも邪魔者が来るんだとばっかり思っていたけど、これにはかなり拍子抜けだ。バカ貴族はもう後がないはずなのにたったあれだけで何とかなると思っていたのか? それともあの程度が精一杯だったのか。どっちにしろ奴の裕福な生活もあと少しで幕を下ろすはず。寄り親である侯爵もクズでない限りはだけどな。
あの地がどのくらい重要な場所なのか知らんが、1つの都市に何度も危機をもたらした馬鹿が行き着く先は多くはない。
犯罪奴隷として死ぬまで労働を強いられるか。
即刻死刑で幕を引くか。
どっちにしろロクでもない未来だが、そうなるだけの事をして来たのは手紙を確認した際に十分すぎるくらい知っているので、微塵の同情心はない。見た目だけは完全にブタだったんで親友っ! と呼べなくもなかったけどさすがにかばい切れんさ。
「それよりもお腹がすきました。食事を要求します」
「へいへい。そんで? 今日はどんなものが食べてみたい」
「魚を所望します。先日食べたマグロなる魚が非常に美味でした」
「わかった。なら早速始めるとするか」
朝から脂っこいものはあんま食べたくないけど、ユニは嬉しそうに尻尾を振ってるからきっとスナズリの部分が食べたいんだろう。
そんな訳で、今日のメニューは鉄火丼に決まりだ。
まずはマグロを用意する。そしてバットに出汁醤油を赤身とスナズリが軽く浸かるくらいまで注いでしばらく放置。味がしみこむまでの間に丼とご飯の用意をするが、もちろん炊くところから始めると時間がかかりすぎるので、事前に大量に炊いて1食分ずつ小分けにしておいたものを〈収納宮殿〉から取り出して、シャリにしてからそれを盛り付ける。ユニはサイズ以上に大食漢なのでかなりの量を胃に収めるが、やっぱマグロとシャリのバランスを考えると大体三合ぐらいずつを数回に分けて味わってもらうほうが最後まで飽きさせないだろう。
そんな訳で第一陣。シャリの上に千切った海苔を撒き、さらにスナズリをたっぷりと乗せて完成だ。
「ほいできあがり」
「いただきます」
こっちの世界でも飯を食う時の言葉は同じなんだなぁと思いながら、俺も赤身のヅケ鉄火丼を口に放り込む。
薄めの出汁醤油の塩気と赤身のねっとりとした舌触り。そこに海苔の香気とシャリの酢加減とコメの甘みが混ざり合って、なかなか満足のいく出来栄えとなった。朝なんで少量だけど、これはお代わりをしたくなる。
「アスカぁ! ウチら待たんで飯食うて薄情なんと違うか!?」
「酷い思います。罰は抱きつきの刑とさせてもらいます。あぁ……シャンプーのええ香りがします。朝のシャワー姿を見れへんかったんは残念やけど、この匂いをかげたんだけでも嬉しいわぁ」
ユニが3回目のお代わりをしたあたりで、ようやく起きてきたアニーはマグロを見てちょっと眉をしかめて、リリィさんは表情をとろけさせながら俺に抱きつく。ちゃんと食事の邪魔にならないようにしているのが心配りの出来る人だなぁと思う。
「食べるか?」
「ワサビ言うやつがあんなら食うわ」
「ちょっと待ってろ」
アニーは基本的に生臭いもの全般を嫌う。だから生姜焼きのタレをあそこまで気に入ったんだろうけど、さすがにマグロに合わせるのは厳しいので、どうにか食べさせようと試行錯誤をした結果。ワサビを気に入った。
なので出汁醤油にワサビを刻んでおいたものを〈収納宮殿〉から取り出して、いくつかの部位を混ぜたいわゆる普通のマグロ丼を差し出す。
「ん。やっぱちょい辛いけどこれなら生臭くなくてウチでも食えるわ」
「そりゃよかった。リリィさんはどうする?」
「あてはアスカはんが食べさせてくれるんやったらなんでもえです」
「じゃあマグロと納豆を混ぜた丼にするか? これはこれで美味いぞ」
「う……」
リリィさんは俺が作った物なら基本的に残さず食べる。それはもう幸せそうな表情で食べてくれるからこっちも嬉しくなるんだけど、どうやらねばねばした系統の物はあんまり好きじゃないらしい。もちろん残さず食べてはくれるが、それ以外のペースと比べるとかなり遅くなるし、表情も少し暗くなるんですぐわかる。ちなみにアニーは滅茶苦茶遠ざかる。
ま。女の子にそこまで意地悪したくないんで出さないようにしてる。俺が食べたくなった時はちゃんと風下に行くし別の料理も用意する予定だ。
「冗談だよ。マグロの手巻き寿司にするから少し待っててくれ」
「あうぅ……すんまへん」
「気にするなって。誰にだって好き嫌いの1つや2つあるもんだから」
そんな会話をしながらちゃちゃっと手巻き寿司完成。お願いされたとおりにリリィさんの口元に運んでみると、一瞬きょとんとした表情をした後。今まで見た事もないほどの嬉しそうな表情でかぶりつき。そのおいしさ? に舌鼓を打ってくれた。
――――――――――
日は上って12時。そろそろ侯爵の所に手紙を届けるアポでも取りに行こうかなーなんて考えながら俺の部屋で全員がのんびりゴロゴロしていると、控えめなノックが聞こえてきた。
「開いてますよー」
俺の声に促されてゆっくりと扉が開く。そこに立っていたのはこの宿の従業員と、見覚えのない身なりのいい敵が1人。
「すみませーん。侯爵家からお客様が来ているのですが……」
「なんで?」
ハッキリ言って見覚えはない。かといって特別殺意を帯びてる訳でもない。そもそも待ち合わせどころかいま会いに行きますなんて宣言した記憶すらない訳で。
とりあえず上体を起こすと、相手は律義に敬礼なんだろう――左拳で右胸を叩いた。
「私はマリュー侯爵様よりアスカ様方一行の案内を任されました。黒薔薇騎士団第二中隊長のアクセルと申します。侯爵様の命により迎えに参りました」
ぐぬぬ……所作のいちいちが何とも様になる。
透き通った様なサファイアの髪に切れ長で優しさを纏ったような目。常に笑みを浮かべているけどそこに下卑た感情は一切ない上に好印象を与える。
名前の通り黒い鎧を着る肉体は190以上の長身。どうしてこの世界にはこうもイケメンが多いのか。きっとあの駄神が俺に嫌がらせをするためだけにそうしたに違いない。今度会うような事があったら文句と言う名の鉄拳制裁をしてやる!
「そうか。迎えが来たんなら行くしかないか」
「ほな頑張って」
「あてらはここで待たせてもらいますわ」
「え? ついて来てくんないの?」
まぁ手紙を渡すだけだから大した事はないんだろうけど、それにしたってこっちは貴族に対する礼儀作法の一切を学んでこなかった34歳元・引きこもり童貞なのだ。どう考えたって粗相をする未来しか見えない。
もちろんそれをして打ち首! なんて言われたところで逃げればいいだけなんだけど、国際指名手配なんかにされたら可愛くて綺麗な女の子達との出会いは未来永劫失われてしまう。そうなったらバッドエンドルートとして独裁者になって恐怖ハーレムルートってなるのは御免だ。
だからついて来という意味を込めての問いかけに対して、2人は――
「マリュー侯爵はおおらかな人や聞いとる。冒険者の無礼の1つや2つしたって許してくれるやろ」
「ええ。侯爵様は罪人以外の何者に対しても分け隔てなく接して下さるとても心優しい領主様です」
「冒険者の礼儀がなっとらんのは世界の常識です。要はあいさつと多少の敬語が使えるんやったらそれほど肩ひじ張る必要ない思いますよって」
そんな感じで完全にだらけモードに入ってしまった2人は、ベッドから起き上がる事もせずに暇つぶして読んでいた地球の漫画(異世界語翻訳済み)に再び目を向けてしまった。こいつはもうテコでも動かん気だな。何の気なしに出した事をこれほど後悔したのは初めてだ。
「はぁ……っ。分かったよ。って訳で、1人だけどいいか?」
「ええ。こちらとしてはアスカ殿さえお越し頂ければ問題はございません」
「なるほど。じゃあ案内してくれ――っとその前に行くところがある」
宿を出る前に獣舎に行き、ユニにマリュー侯爵の所に行ってくる事を伝えると当然ついて来ると答えてくれたけど念のために2人を守るように言い含めた。まだバカ貴族の魔の手が迫らないとも限らないし、こうなると他の可能性も出て来るからな。
そんな訳でアクセル先導で宿を出ると、入り口の前には何とも豪華絢爛な馬車が止まっていて、さも当然のように中へと案内される。
完全に送迎用に作られているために、中はアクセルが横になっても十分な広さがあり、椅子も革張りでクッションの利いた豪華なソファーと簡素ながら細工の施されたテーブルには飲み物とグラスが用意されていた。
「至れり尽くせりだな。ただ手紙を渡しに来ただけの人間にここまでするのが貴族なのか?」
どう考えたって過剰接待だろ。っていうか、来ている事は門番から報告があったんだろうけど、そもそも侯爵に目通りのアポすら取ってないし、滞在中どこの宿に泊まっているかなんて情報すら誰にも言ってない。
なのにここまで豪勢な出迎え。どう考えても事前に察知して無けりゃ昨日の今日で用意できんだろ。アポイントメントも含めてな。一体どうなってんだ?
「何を仰る。アスカ殿は侯爵様の領地でも重要な中継都市であるギック市をワイバーンの群れから守って下さり、侯爵様の顔に泥を塗るような廃棄物の所業を明るみにしてくださった重要なお方。粗相がないようにきちんとしたもてなしをしろとの侯爵の命ですので」
「……ちょっと待った。どうしてその事を知って――」
そうか。手紙は何も1通ずつ運ぶ必要はない。アイツの持っていた鞄であれば30くらいは一度に運べるだろう。となると、クソ貴族の手紙と共にクソギルマスの手紙が入っていてもおかしくはない。むしろその可能性の方が高いな。どうりで中身を見せろと言った時に平然としていた訳だ。最初からこうするつもりだったって事か。
「やってくれんじゃねぇか……あの野郎」
これは随分と俺の怒りの炎に油を注いだぜ。すぐにでも発散しねぇといかん。




