#294 口は禍の元(常人にとっては)
「ほぉほぉ。小さい割にいい部屋だな。気に入った」
何はなくとも一番いい部屋をと注文して案内された先は、複数階ある訳じゃないし、土地自体も小さいんで全員が寝るには少々手狭だけど、置いてある家具や備え付けの魔道具なんかはそこそこイイものを使っているし、この狭さが何となく心地いい。
「小さいは余計や。宿泊料は1泊銀貨7枚やけど、アニー達も居るから全部で45枚でどうや」
「ちょい待ち! おやっさん。それはいくら何でもボッタくりすぎやろ。ウチ等が泊まってた頃は銅貨5やったはずやで? いっちゃんエエ部屋や言うても高すぎるわ。いつ金に目がくらんだんや」
「そうですなぁ。おやっさんはロクに食われへん冒険者なんかでもお腹いっぱい食べられて寝れるように言うてこの宿を作ったんやないんですか? 何がおやっさんをそないな人にしはったんです」
俺は別に構わないんだけど、昔を知ってる2人がその値段に対して責めるような目を向ける。さすが顔見知りだな。あれだけの迫力の相手に歯に衣着せぬ発言を突きつけると、おやっさんも思う所があるんだろう。迫力のある顔が3割増しに怖い顔になりながら口を開く。
「……お前等はこの街をどう思う」
「薄着の美人が多くて興奮しっぱなしだ」
「アスカは黙っとけや!」
「せやけどホンマにその通りや思いますわ。ここに来るまでに街1つしか通って来ぇへんかったけど、そっちはあないな薄着で居ったんはアホな男連中だけやったですわ。大抵は涼しなる魔道具を着こんどったし、他も同じような状況や聞いとります」
「ほれみろ。この俺の観察眼はまさに完……璧」
「それで? 宿賃の値上げの理由は何なんや?」
無視っすか。
「……この街が他と比べて涼しいやろ?」
「せやな。ここに来るまで手放されへんかった涼しなる魔道具が逆に邪魔になるくらいや」
「あてが知っとる獣人領と比べても格段に過ごしやすぅてええ思います」
「そのせいで払う税が10倍に跳ね上がっとんのや。ほらと比べていくらか安ぅしとるけど、ここまで宿代上げへんかったらこっちが食っていかれへんようになるわ」
「どしてそない急に上がったんです? それに誰も文句を言えへんかったんですか?」
「もちろん出たわ。せやけど外壁に描かれとる文様の維持の為には金がかかる言われてもうたらどうする事もでけへんやろ。いくら獣人や言うても暑さには敵わへん。こういう事がでけへん村なんかは子供や年寄りが沢山死んどるんやからな。文句を言おうもんなら門の外に放り出されるだけや」
「なるほどな。まぁ、多少高かろうが俺は一向にかまわんぞ」
ここに泊まるのはある意味でアニーとリリィさんの好感度稼ぎの一環に過ぎないんだからな。いくらかかろうが無尽蔵に創造できる俺からすれば、白金貨だと提示されても顔色一つ変えずに支払えるんで、ついでに貸し切りにさせてもらった。おかげでユニも気兼ねなくのんびりできる事だろう。
「ええんか?」
「気にすんな。これでアニー達の好感度を稼げれば安いモンだ。それよりも飯が食いたいぞ」
「スマンな。まだ嫁が買い物から帰って来ぇへんからどうにもでけへんわ」
「……いったいどんな脅しをかけたんだ?」
「あはははははは♪ やっぱアスカもそう思うわな」
「ホンマですよねぇ。あて等も初めてこの宿泊まった時はエメラはんを見て、もの凄綺麗で同じ事を言うてしまいましたわ」
「何ぃ!? 綺麗だとぅ! なぜ断らなかった!」
信じられん。この顔面凶器が結婚してるってだけでも顎が外れそうなくらいビックリだってのに、それに加えて奥さんが美人だなんてリリィさんが言うとなると、相当なレヴェルって事になる。借金のカタや脅して無理矢理じゃないのは2人の反応を見れば明らか。
ってなると、顔面凶器からか奥さんからのどっちかのアプローチってなるんだが、前者がそれをやるともれなく脅迫以外の何物でもなくなる訳で……信じられん!
「俺かて嫁に不幸になるでいうたわ。せやけど一度言うたら曲げへん頑固な奴でな。言うこと聞けへん」
「何言うてますのん。アンタさんに嫁がんかったら、うちは死んだほうがマシなんや。アンタさんはうちに死ねていうんか?」
「ホンマよ。悪寒がこんだけ好きや好きや言うてんのに、いい年して何恥ずかしがっとんねん」
おっとりとした口調と溌剌とした声にぐるっと顔を向けてみると、買い物袋を手にした女神みたいな大牛獣人女性と、ちょっと気の強そうな10代前半くらいの中牛獣人少女がそこに居た。これが……この顔面凶器の嫁と娘だって言うのか!? 信じられん……何をどう間違ったらレナレベルの美人が他の男に寝取られるんだよぉ……。
「ん? 急にチビがしゃがんでもうてるけど大丈夫なん?」
「こら。シフィ。お客はんにそないな言葉遣いはアカンて何度もいてるやろ」
「ええねんええねん。ウチ等もかしこまられん好かんし、こいつ――アスカ言うんやけどこう言う奴やからあんま気にせんでええよ」
「お客さん、大丈夫です?」
「大丈夫じゃない! 奥さん。その男と離婚して俺と新たに夫婦の契りを交わしませんか?」
「すんまへんねぇ。うちは旦那一筋なんよ」
「あんなののどこがいいって言うんですか! あの100人は殺してそうな悪人面で――」
「アカン!」
シフィの悲鳴みたいな声を上げたけど、それがどういう意味があるのか気が付いた時には目の前が真っ暗になっていた。これは一体どういう事なんだろう?
「おいガキ。いま旦那の悪口言うたんか?」
……うん? このドスの利いた声には欠片も聞き覚えはないけど、旦那とか言うような存在は1人しかいないし、〈万能感知〉でも部外者の存在は表示されてない訳で……つまりはあの大牛美人と言う事になるのか。
何で視界が真っ暗なのか分かんないんで、取りあえず何かが視界を覆ってる前提で手で払ってみると、エメラさんに何やらアイアンクロー的なものを掛けられてたようで、一瞬だけ白磁みたいな白い肌に柔らかそうな細い腕が脂肪を微塵も感じさせないゴリマッチョな物になっていたのをしっかりとこの目は捉えていた。
「嘘ぉ!? キレたおかんの拘束から逃れたで!」
「アスカならやる思うたけど、やっぱ化け物やな」
「なになに? 一体何がどうなってるん」
なんか驚いてるみたいだけど、こっちからすれば顔面凶器のどこがいいのかを聞こうとしただけであって、いきなりアイアンクローをぶちかまされる筋合いは……あんましない、と思う。
「あー……スマンけど、嫁は俺の悪口言われるとキレんねん。せやから基本は無視か挨拶だけしといてくれや」
「えー。別に悪人面は悪口じゃないだろ。純然たる事実だ」
「またいうたな!」
ぺろっとそれ関係の吐き出すだけで、大牛美人が般若の形相で俺に向かって駆け込んで来たものの、おやっさんが間一髪で羽交い絞めに。おぉ……暴れ回っているじゃないか。胸が。
「おかんが悪口思うたらそれは悪口なんや。っちゅうかあれくらってなんで平然としてられんねん」
「まぁ、頑丈に出来てるからな。あのくらいじゃへでもない」
とにかく。顔面凶器に対する言動は気を付けないといけないらしい。さもなくば頭蓋が砕かれるんじゃないかってくらい強烈なアイアンクローが待っているとの事らしいが、俺的には痛みも感じないし彼女のフェロモンが楽しめるんで、それはそれで役得だ。
「……なんか変なこと考えとらんか?」
「いやいや。この大真面目な顔を見てみろって。やましい事なんて微塵も考えてない顔してるだろ?」
「スケベな事考えてるやん。アスカの魂胆は丸見えやねん」
「アスカはんが望むなら、あても精一杯頑張りますよって、見捨てんで下さいね」
「ぐ……っ。お前等はどっちの味方なんだよ!」
とりあえず飯が出来るまではゆっくりさせてもらう。アニー達に食うかどうか聞いてみると、ここはなじみの店だから不義理はしたくないとの事で全員分用意してもらう事にして、俺はいつも通りに美女探しのための散策をするために街へと飛び出し、アニー達は下着などの販売に動くらしい。正直あんな薄着のどこに着けるんだよと思わなくもないが、あれはあれで非常に役に立つ。特に夜時には効果は抜群だろう。
「じゃ。不届き者が来たら殺さない程度に」
「かしこまりました」
最後、ユニにこの宿の護衛を頼んでおけば問題ないだろう。まぁ、あの顔があってあの般若が居ればそうそうここにケチつける馬鹿もいないだろうが、ゼロじゃないだろうからな。




