#243 右眼がうずく……
糸目ニヤケとの別れを済ませ、俺とじいさんはさらに奥へと向かって突き進む。すると、向かう先の路地の境目の変化があからさますぎるのを発見した。
「この先じゃ」
今までいた場所は運搬をする関係上だろう。きちっとした石畳が整然と並んで、極力馬車や荷車なんかに揺れが起きないように整地されていたが、これから向かうその先はお世辞にも整ってるとはいいがたいほどむき出しの土が凸凹しているし、建物自体も木造のオンボロの上に建物同士が支えあって何とか体裁を保っているように見えるからとてつもなく道は暗い。お化け屋敷みたいだ。
「なんかボロすぎね? よくこんなんで裏家業がやってられるな。いつか全員下敷きになって死ぬんじゃねぇか?」
どう考えたって人の住める環境じゃないのにもかかわらず、〈万能感知〉の範囲内には人が居る事をしっかりと伝えている。よく平然と暮らしてられるな。これだったらまだ野宿した方がマシだろ。
「こやつ等は常時危険に身を晒す事で己が神経を鍛えておるのじゃよ」
「立派な志だけどやり方間違ってね?」
常在戦場は立派だけど、それを鍛える場が崩壊寸前――いや、崩壊に片足突っ込んでる建物の中で暮らす程度で鍛えられるのか? と問われれば、俺は否と答える。
そんな事よりも木刀で目隠し白羽取りとかしてた方が数倍は鍛えられると思う。俺はそんな事をする必要性が皆無だから、どうなろうが知ったこっちゃないけどね。
「ここの奴等はわしの管轄外じゃ。余計な口出しは無用なんじゃよ」
「って事は、じいさんも間違ってるって思ってんだな」
「そりゃそうじゃろ。戦場にも立たんでひよっこが育つ訳なかろうて」
だよね~。確かに危険っちゃ危険だがいつでも逃げ出せる類の危険だからな。やっぱじいさんなだけあって言葉に重みがあるよ。俺のは紙みたいにぺらっぺら~。
じいさんの含蓄? ある言葉を聞きながら真っ暗な道を突き進み、時々右に左に折れ曲がりながらたどり着いた場所は、この界隈ではまともに見える小屋――と言うか茶室っぽいこじんまりとした建物。
「あそこが終着点か?」
「そうじゃ。あそこにここら一帯の人事を掌握しとるアンズ婆が住んで居るから、交渉するとええ」
「じいさんはついてこないのか?」
「フン。この歳で小僧扱いは御免じゃからな」
鼻を鳴らしながらそう言うと、じいさんは近くの建物の中に消えていった。アレを小僧扱いって……中に居る婆さんはどんだけの高齢なんだよ。会うのが怖くなって来たが、アンジェとリリンの好感度を稼ぐためには突っ込むしかない。
「ん?」
竹垣に囲まれた中に足を踏み入れたとたんに妙な違和感を感じ、すぐに〈万能感知〉で調べてみるも、特に変化はない。変化はないはずなのに違和感があると言う何とも不思議な感覚に襲われながらも石の道をひょいひょい進んで戸を開けようとすると、指先に軽い電撃が走ってピリッとした。
この茶室っぽい建物はほとんどが木造だし、僅かに違う部分も茅葺の屋根くらい。どこにも静電気が発生する要素はない。ってか、さっきの強さは静電気の範疇を越えてたような……
「お? なになに……」
うんうんうなって考えていると、扉の隙間から一枚の紙が出てきたので拾上げて目を通す。
――入る前に手を洗え。
簡単な文だったけど、それには言いようのない妙な迫力があったので素直に指示に従たって、そばにあった手洗い場で案内板に書かれている通りに手を洗って恐る恐る扉に手を伸ばしたが、もはや雷撃と言って差し支えない反撃はなかったんで普通に入室。
「まったく。最近の若者と来たらロクな教育をしとらんのぉ。だからあいつもいつまでたっても小僧と呼ばれるのじゃ」
グチグチと文句を言いながら淡々と茶の準備をしているのは、着物姿の少女。他に人の姿はないし、隠れられるようなスペースもない。つまりは目の前のこの娘がさっきのじいさんが言っていたアンズなる婆さんって事になるんだが、どう見たって未成年だよなぁ。
「いつまで突っ立って居る。さっさと座らんか」
「お、おう。すんません」
ギロリと睨まれたんで大人しく座布団に腰を下ろし、何となく部屋の中に目を向ける。
四畳半の狭い茶室には、茶道具以外の物は掛け軸や古っぽい色合いの竹製の花籠くらいしかないし、室内もしゅーしゅーと湯気を吹く鉄瓶と、茶筅と茶碗の擦れる音くらいしか聞こえない。こんな静まり返った空気で声をかけるのはなんか躊躇するな。
そんな風にジロジロと室内を見回す俺を無視するかのように茶を点てるアンズは、栗毛の髪を後頭部で束ね、多少キツめの切れ長の鋭い目にぶすっとした怒り顔だがかなり整っているし、肌も瑞々しくてプルンプルン。これで本当にあのじいさんより歳食ってるなんてフカシ以外の何物でもない――と言うのは地球での常識。
ここは異世界だ。実際に魔族とかと触れ合ってるとそう言うもんなんだろうと納得できる。
「ほれ」
程なくしてアンズが俺の前に茶碗を差し出す。
それに対して俺は、漫画でちらっと読んだ記憶を必死に引っ張り上げ、それっぽい動きで一連の動作をこなすと、アンズの眉が僅かにピクリと跳ねたような気がするがあまりに一瞬だったから気のせいかもしれんか。
「……苦」
やっぱ抹茶ってのは性に合わん。コンビニとかでもこの手の菓子はタンマリと売られちゃいたが、何が美味いんだか分からん俺としては理解に苦しむと一気に飲み干すと、アンズから思いがけない発言をいただいた。
「この味が分からんとは……男が34にもなってお子様舌とは情けないのぉ。抹茶は日本の心じゃぞ」
カラカラと笑いながらお茶菓子として羊羹っぽい何かを出してきたので口に運ぶ。おや? この甘さに小豆っぽい香り……質はあんま良くないが羊羹と言って問題ないレベルだが、やっぱ気になるのはさっきの発言だよなぁ。
「随分と御大層なスキルを持ってんだな」
シャツにジーンズ姿で確かに男っぽいけど、ちゃんと胸は膨らんでるし声変わりもまだだ。それなのにアンズは迷う事無く男と断定したし、あまつさえ本当の年齢と日本と言う単語まで出されちゃあさすがにごまかす気にもならん。
「〈邪真贋〉と言うスキルを持っていてな。この眼の前には、小僧も貰ったであろう神の力であろうと通じぬわい」
「ふーん。邪とか付くって事は魔族か何かか?」
「わしはその昔に魔王をやっておったが、今はこうして日がな1日縁側でボーっとしとるただの隠居婆じゃから、そう警戒せんでもええ」
随分とあっさりとした大暴露だが、そもそもコイツの言っているそれが真実かどうかなんて俺には分かんないし、アンズも俺を殺そうとするつもりは微塵もないのが〈万能感知〉で十分に理解できるし、俺も魔王を討って名を上げようと言う気が微塵もないんで特に何とも思わん。
とはいえ、なに馬鹿言ってんだお前って斬り捨てる程弱い訳じゃない。今まで出会った中ではアリス・自称龍王の息子に次ぐ実力者だ。
「そうか。ってか何で殺されてないんだ?」
「それは秘密じゃ。それよりも小僧に勇者の称号が見当たらないのじゃが?」
「俺は勇者じゃないからな。それよりもアンズが用心棒とかの斡旋をしてるって事でいいのか?」
「うむ。確かに間違いのじゃが、小僧のステータスを見るとその必要性を感じんぞ。ワシ……これでも魔王としては歴代十指に入る実力を持っとるのじゃが、お主が勇者じゃったら完全降伏するのぉ」
「まぁその辺は気にすんな。用心棒は商売するためにガキをそこそこ雇ってな。そいつ等の護衛ってな感じで最小で20。最大で60くらいいれば何とかなると思う」
1人2人だといちゃもんをつけられる可能性はあるけど、いかなバカな人間だろうと実力者3人を相手に狼藉を働くほど馬鹿じゃないだろうとの考えでの採用数だが、当のアンズの表情は渋い。
「ううむ……」
「なんだよ。もしかして20人も用意できないのか?」
「それは心配するでない。100だろうが1000だろうが用意してやれるのじゃが条件がある」
「金なら言い値で払うぞ」
俺の潤沢な資金を見よ! と言わんばかりに金貨の詰まった袋を〈収納宮殿〉から引っ張り出して積み上げていく。一袋いくらくらいなのか知らんが、全部を吐き出したところで一月もすれば同じ額くらいにはなるから何の問題もない。
「1人当たり銀貨20もあれば釣りがくるかそこまでいらんわ。ワシが言いたいのは小僧の持つ〈万物創造〉なるスキルについてじゃ。字面を見る限り何でも作り出せるとみて構わんか?」
「いや。ポイントの関係上で調理済みの料理と銃や核ミサイルとかの現代武器はいらんと言ってあるから、何でもって訳じゃないな」
どうせバレてんだからとスキルの情報を開示してみると、何故かアンズは目を輝かせてグッと顔を寄せて来る。特に化粧もしてる様子がないから、不老不死なのかな?
「小僧……まさかとは思うがその……何でもという事は漫画も作り出せたりするのじゃな?」
「ああ。週刊誌・月刊誌・コミックス・同人誌・ファッション雑誌から辞書までなんでもござれだ」
「ではっ! ワシに少女漫画を譲ってくれんかっ!! 後コーラとポテチも」
「へいへい」
ま。何となくこうなるんだろうなと思っていた事になったんで、特に拒否る事もなく注文の物を出してやる事にした。




