#232 今宵の俺は一味違うぜ
「あのっ! 準備が整ったそうです」
俺がリエナの頬を餅のごとく引っ張っていると、息を切らせたメイドちゃんが戻って来た。きっと部屋の現状と俺達のやり取りで相当に危険な状況と判断したんだろう。ありがたい勘違いだ。そんな短時間でも十分にルールの設定は出来たからな。
まず。試合時間は30分。こっちには〈時計〉の機能の1つであるストップウォッチを操作すれば容易。その時間を過ぎたらこっちは勝手に場外負けをするつもりだと伝えてあり、その間であれば、観客席に影響を与えなければどんな攻撃だろうと受けて立ってやるし、時間内に場外なりなんなりでもいいから負けと言わせる事が出来れば、牛10頭分の最高級肉をくれてやると言ってからのテンションの上りようと来たらもう……。
「おう。ほら、さっさと行くぞ」
「むふーっ。沢山戦う!」
それだけに、リエナの滾りようったりゃありゃしない。ふんふんと鼻息荒くしながら時々炎がチロチロと漏れ出ているので、ポカリと頭を殴りつけて少し落ち着かせる。
「30分だけだからな。それとメイドちゃん。俺のがさっきの超絶美少女だって事は誰にも漏らさないでもらいたい。これはお願いじゃなくて命令だ。一族全員殺されたくはないだろう?」
告げながら岩をぐしゃりと握り潰す。そして手を開くとそれは砂となって地面に落ちるのを見せるだけで、メイドちゃんは首を縦にブンブン振りながら肯定の意を示したので、トドメに額の秘孔(笑)を突いて意味ありげな笑みを浮かべてやるとあら不思議。今までの連中と同様にガクブルし始めた。
「アスカ。まだ?」
「悪い悪い。すぐ行く」
最後に金貨を1枚ポンとくれてやると、青い顔をしていたメイドちゃんがパッと笑顔を咲かせ、俺を軽やかなステップで挑戦者側の通路へと案内してくれた。
後はリエナが登場するまでぼけーっとしてるだけなんだが、どうやらまだあのゴリラが闘技場で暴れているようで、俺の前を次々に警備の人間が送りだされては運ばれていく。もう面倒だ。さっさと乱入してフルボッコで退場させるか。
ゆっくりとした足取りで会場に姿を現すと、入場口近くに座っていた観客の1人がすぐに俺の存在に気付いて歓声を上げると、それが破門のように広がって会場全体――ひいてはリンク上のゴリラや警備員にも伝播する。
「あんたは……」
「どいてろ」
警備員どもを押しのけてリンクへと上がると、ゴリラは俺に対して機嫌が悪そうな顔をする。それだけで、恐らくあの日に居なかったんだろうと判断できる。侮っている証だ。
「なんだテメェは」
「ザコがリンクを占拠してんじゃねぇよ。半殺しになりたく無けりゃ今すぐここから消えろ。そうすれば、明日も無傷で格下相手に優越感を得られるぞ」
「……チビが良い気になってんじゃねぇぞ。おれさまは強ぇんだ。あんなザコ共をいくらぶっ殺したところで金が稼げねぇ。だったらチャンピオンぶっ殺しておれさまがここの王となる。その邪魔をするってんならまずテメェを殺すぞ」
「お前には無理だ。チャンピオンごときすら手も足も出ないようなザコじゃ傷一つつけられねぇよ」
俺の挑発に、ゴリラは青筋を顔中に張り巡らせながらゆっくりとした動きで背中の斧を両手で握りしめ、爆発したかのように膨れ上がる両腕と肩を砲台として上段からの唐竹割と言う砲弾を打ち出した。
空気の爆裂する音を響かせながら迫ってくる訳だが、俺からすればスローモーションと何ら変わらない。脳天へと迫るそれに人差し指と親指で摘まむだけで進行はピタリと止まる。
「なっ!?」
「はぁ……面倒臭」
そうして、マシンガンのように拳を打ち出し続ける事3秒ほど。全身の骨が程よく砕けた肉の塊の出来上がりだ。
「ほら。さっさともってけ」
「た、助かりました」
そう言いながらゴリラをリンクの上から投げ捨てると、10人もの大人数によってえっちらおっちら運ばれて行き、警備の人間も次々にこの場からいなくなり、残ったのは観客のざわめきと圧倒的強者である俺。
別にこうして待っていてもリエナが意気揚々と出て来るんだろうが、やっぱ楽しませるという観点に置いてはやっぱ行動を起こすに限る。
「不甲斐ないな。貴様等の中に、今のゴリラにこのワタシが敗れると思った無能はどれほど居るのだろうな。そう思うと、選手の質もさることながら、観客である貴様等の質の低さも顕著だ。何せあのような質を疑うほどの酷い試合に歓声を上げているのだからな」
そう問いかけて〈万能感知〉も併せてぐるっと見渡してみると、その反応からやっぱ常人世界じゃそこそこの実力者だったようだが、人外の領域・トップランナーである俺からすればザコいザコい。盛大にために気が出る程だ。
「あの程度の小物の戦闘で興奮していた貴様等のなんと不憫な事か。同時に、客を楽しませると言う工夫すら感じられぬ経営側の連中の怠慢も万死に値する。よくもあれほど程度の低いモノに金銭を発生させているとは……ワタシでは申し訳なさ過ぎて不可能だ!」
いくら娯楽の少ない世界だっつっても限度がある。金爵って言われてる男にしては何ともカスな試合ばかり。いくら手が離せないほど忙しいっつっても、この体たらくは罰則モンだろ。
「故に告げる。これから行う事が、真に客を楽しませる戦闘だと。その相手に相応しいのは頂点に立つ者のみだ。出て来るといい」
完全にアドリブ全開で突っ走ってしまったが、最後にリエナが居るであろう入場口へと手招きして見せると、待ってましたと言わんばかりに飛び込んできてのストレートを受け止めると、後方に向かって空気の爆裂が駆け抜け、悲鳴じみた歓声が沸き上がる。
それと同時にカウントダウンが始まる。
「防がれた。やっぱり。アスカと戦う。楽しい!」
「誰だそれは。ワタシの名前はスーパーストロングメアリーだ」
喜色満面の笑みを浮かべるリエナに対し、音速キックで上空に蹴り上げる。一応動けなくなるような深手にならないように加減はしたが、天井に叩きつけてしまった。とりあえず突き抜けなかった事を良しとしよう。
「どうした? これではワタシの力の10分の1も必要としないぞ」
「まだ……まだっ!」
笑みを浮かべながら落ちて来ですぐ、一発一発で小さく大気が震える連撃を放ってくるもあくびが出る程遅く感じてしまう。きっと金爵の逆効果な計らいでの運動不足が祟って、完全に運動能力が低下した事が原因だろう。
このさび落としで30分は消えてなくなるだろう。
「どうした。これがチャンピオンとやらの力か? 片腹痛いぞ!」
「む……ぐっ!」
連撃と連撃の隙を縫っての反撃で、リエナには少しづつダメージが蓄積していく。その様子は痣や流血となって観客に伝わり、俺の圧倒的なまでの強さにいわゆる一つの絶望を感じているだろう。
「まさか……これが本気なのか? やれやれ。とんだ見込み違いだな」
「もう少し……もう少し……」
挑発に対して、ブツブツとそう呟くだけで何ら反応を示さないリエナ動きは、言うだけあって少しづつだが確実に鋭さを増している。これなら第1段階に踏み込んでもいいかもしれないな。
「む?」
速度と位置を調節し、あたかも対処しきれずにかすめたと言った感じのヒットを演出する事で、観客のざわめきを発生させる事が出来た。
「うん……いい感じ」
観客が喜びのざわめきを上げる一方で、リエナは深い集中の中にいるようでそれらの声は一切耳に入ってない様子。これは……予想以上に早く錆が落ちるかもな。
「たかがかすり傷一つで浮かれてもらっては困るぞ」
「もっと……楽しむ?」
「はっ! このワタシを相手に楽しむと来たか。そう言った大言壮語はもう少し実力をつけてから口にするといい。あと25分」
「絶対……勝つ!」
ぽつりとタイムリミットを口に出すと、リエナは放たれた矢のように突進。一撃を放つために踏み込むだけでリンクにヒビが入り、観客席に届く拳圧を少しづつ質量を増やし始めている。うん。だんだんとあの時プロレスしたのと同じ調子が戻ってきている。
そんな状態から放たれる一撃一撃をわざと掠るようにギリギリの攻防を演出。そして時々「くっ!」とかの焦った声や表情を表に出す事で、周囲にもこのままいけばチャンピオン勝っちゃうんじゃね? とかあんだけ大口叩いといてあの程度かよ。的な言葉を十分に引き出してからの――
「ふうんっ!」
「ぐ……ぁ」
プロレスでは加減したが、この一撃は大抵の魔物は死に絶える通常時の威力。リエナほど頑丈であれば死ぬ事はないとはいえ、血を吐いて蹲る姿は相当なダメージを与えたと確信していいだろう。
楽観的な空気から一変。たった一撃でイケイケムードだった観客たちが水を打ったように静まり返った。
「無能揃いだな。ワタシが多少押し込まれた程度で勝てるなどと思い上がる……笑止っ! 加減をしてやっていた事すら見抜けないとはな!」
カラカラと笑って観客を煽る煽る。全員の殺意を我が手中に! って感じで声高々と吼えながら、今度はうずくまったまま動かないリエナの後頭部を軽く踏みつける。
「どうしたチャンピオン。貴様の実力はこんな物か? だとしたら無様に頭を垂れて懇願するといい。自分は偽りの実力で今の地位に胡坐をかいていた事を許してくださいとな」
この俺の何者も恐れぬ立ち居振る舞いに、観客からはブーイングの嵐。「ふざけるな!」とか「お前なんかチャンピオンの器じゃねぇ!」などと言った罵詈雑言が飛んでくるものの、誰一人として「つまらない」とか「金返せ」って言葉は聞こえない。つまりはそれだけ集中して楽しんでいるって事に間違いない。
後は長々と講釈を垂れつつリエナの回復と背後からの不意打ちを待とうと足をどけ、ふと違和感を覚える。
「なんだ?」
〈万能感知〉に映るリエナの反応が強さを増し始めている。よくは分からんが、何となく嫌な予感がするんでそっと距離を取りたいところだけど、ここまで大言壮語を吐いて来たしわ寄せによってそんな消極策を取れるラインを越えている。
なので、当初の予定通り堂々と背を向けて観客に語り掛けようではないか。




