第三章 国境騎士団(2)
「アイザ・ルイス。危害を加えるつもりはない。おとなしくついてきてもらえないか」
国境騎士団の制服を着る彼らからは、敵意という敵意は感じなかった。けれどそうだとしても素直にそうですか、とついて行けるほど信用に足る者なのかもわからない。突然家に押し入られた記憶は新しい。
(ヤムスの森を抜けて、精霊の力を借りてきたわたしたちに追いつけるはずはない……きっと王都近くにいた騎士に連絡をとって、待ち伏せをさせていたんだ)
普通なら考えない、ヤムスの森に入ったかもしれない、と推測できる人間が騎士団にいるということだ。
――騎士は二人。そのどちらも馬がある。今ここでアイザとガルが走って逃げたところで、到底逃げ切れるとは思えなかった。
「……アイザ」
ガルが囁くようにアイザの名を呼んだ。アイザがちらりとガルを見れば、彼の金の目は騎士たちの動きを見逃すまいと睨むように見つめていた。
「俺が時間稼ぐから、隙をついて走って。王都の門はもうすぐそこまで見えているから」
堅牢な城壁に囲まれる王都の、そのさらに向こうにある女王の住まう城は、ここからでも小さく見ることができる。王都に入るための門は、すぐそこだった。
「でも、ガルは――」
「俺は森に逃げ込めば平気だよ」
アイザを安心させるようにガルは笑った。ヤムスの森に入ってしまえば、騎士たちはガルを追えない。精霊たちも、愛し子と呼ぶガルなら迷いなく全力で守ろうとするだろう。
「ちゃんと王都まで送り届けたかったけど、今はそうするしかないだろ」
(たしかに……ガルの言うとおりだけど)
でも、そのとおりにはしたくないと思う自分にアイザは気づいていた。
この状況を打開するために真っ先に思いつくのは、どちらかが囮になることだ。この場合王都へ行きたいのはアイザなのだから、必然的に囮はガルになる。
けれど向こうの狙いはアイザだ。彼らもアイザを一番に捕らえようとするだろうし、ガルが囮になって、アイザが逃げ切れる保証はない。
「……駄目だ。わたしが足止めするから、合図したら一緒に走るぞ」
アイザはごくりと唾を飲み込んで、騎士を見る。焦れた様子だが、すぐに捕らえようとしないのは手荒にするつもりがないからだろうか、それとも――。
「足止めって」
「いいから、わたしを信じてくれ」
ガルが訝しげにアイザを見た。アイザに言えることは信じろということくらいだ。説明する時間などない。家から逃れたときのように、魔法を使えばガルが囮になるよりも確実にこの場を切り抜けられる。
こそこそと話しているガルとアイザに、騎士が徐々に苛立っていたのがわかった。
「おい、とろとろしてないで早く――」
騎士が耐えかねて、ついに怒声をあげたときだった。
「《禁断の森の眠れる大樹よ、その腕を伸ばして、おまえたちの愛し子を守って》」
アイザが歌うように言葉を紡ぐと、光水晶は蒼い光を纏った。
(わたしが、ヤムスの森の力を借りるのはどうかと思うけど)
しかし森の木々はアイザの声に応えて、ざわざわと葉を揺らし、騎士たちを捕らえようと急激にその枝を伸ばした。
「ガル、走るぞ!」
ヤムスの森の精霊からわけられた魔力を使うのなら、ヤムスの森の力を借りるほうが効率がいいはずだ。そう考えたアイザの目論見は当たった。ろくに魔法を使ったことのないアイザでも、予想以上の効果が出ている。
「今の、魔法? アイザ、魔法使えるの?」
走りながらガルが驚きを隠さず問うてくる。背後では騎士たちが木の枝に捕らえられているところだった。
「使えることは、使える。でもあてにされても困る」
「なんで?」
「おまえは、本でしっかり馬に乗る術を勉強してきたけど、実際には一度も乗ったことない人間の馬に乗るか?」
「……なるほど、よくわかった。それは嫌だ」
走りながら渋い顔をするガルにアイザは苦笑した。
王都の入り口、城壁の門では今から王都へ入ろうとする市民が多く列をなしている。貴族であればあのような列に並ぶ必要はないが、平民はああして長い時間待たされることが多い。
(大人しく並んでいたら、捕まえてくれって言っているようなものだよな)
「アイザ!」
ガルが真剣な声で後ろを振り返っていた。木々の呪縛からどうにか逃れた騎士が追いかけてくる。
「枝を斬ったのか……!」
思っていたよりも足止めにならなかった。このままでは門にたどり着く前に追いつかれてしまう。
「止まれ!」
ガルが追いかけてくる騎士たちに向かって吠えるように叫んだ。
「ガル?」
それで止まってくれるなら苦労はしない。だがガルは追いかけてくる騎士たちに向かって叫んだわけではなかったのだ。騎士をのせた馬が、ガルの声に困惑するように足を止める。
「なんだ!? どうした! 走れ!」
「こら、言うことを聞け!」
その様子にガルがにぃ、と満足げに笑った。
「いい馬にのってるな。素直で賢い」
「……何したんだ」
「何も? ただ馬に止まれって言っただけ。賢い奴らだから逆らったらいけないってのはわかるよ」
(――ああそうだ、ガルは獣人だった)
どれだけ動物との意思疎通ができるのかわからないが、人であり獣でもある彼らは動物たちのなかで強者に位置するらしい。動物は自分より強いものに従う。だから訓練された馬も、ガルの声に反応して騎士たちの命令とどちらを優先すべきか混乱して、結果的に足を止めたのだ。
「でもすぐに追いつくよ。どうすんのアイザ」
城郭都市である王都は堅固な城壁に囲まれ、入り口では出入りがしっかりと管理されている。
「……ガル、わたしは魔法伯爵の娘なんだ」
「うん、知ってる」
「父さんは死んだけど、爵位をまだ返上していない今、わたしはこれでも伯爵令嬢ってことになるんだぞ」
あ、とガルもようやくわかる。貴族と平民の扱いは違う。そしてアイザは、かなり強引だがまだ形だけは伯爵令嬢と言えなくもない。
(この場を切り抜けるなら、はったりだろうとなんだろうとどうでもいい)
アイザは姿勢を正して門番のもとへ歩み寄った。
「こら、平民は列に並んで待っていろ」
「――わたしはアイザ・ルイス」
アイザは左耳のピアスがよく見えるように髪を耳にかけ、さらに胸元の小袋からもう一対を取り出した。
「魔法伯爵、リュース・ルイスの娘だ。わたしの扱いは平民と同じになるのか?」
門番のふたりは、顔を見合わせた。光水晶の耳飾りは、滅多にない品である。だからこそこんな小娘が持っているものは偽物では、と瞳が物語っていた。もちろん予想の範囲内の反応だった。アイザが門番だとしても安易に信じたりしないだろう。
「身分証もある。なんなら動かぬ証拠を見せようか」
村娘と変わらない質素な、それもところどころ汚れてしまった服を着ていながら、背筋を伸ばし毅然と立つアイザは人の目を惹き付けた。
「《七つの光、空を駆けて。あなたの色で祝福を》」
アイザが空に手を伸ばす。耳に飾られた光水晶が淡く光を帯びた。
(父さんの光水晶は使えない――使いたくない)
父が遺してくれた形見だ。この虹色の輝きごと、大事に残したい。
精霊がわけてくれた魔力は、驚くほどアイザに馴染んで息をするように扱えた。
「おかあさん見て! 虹だよ!」
王都に入るための列に並んでいた子どもが、歓喜の声をあげる。雨は一滴も降っていない、水の気配なんてないからりと晴れた空に、七色の虹がかかる。
「……身分証も、問題ありません」
ひとりの門番がざわめく声のなか、静かに答えた。アイザがアイザ・ルイスであると証明され、魔法伯爵の娘であることは誰の目にも明らかだった。光水晶の耳飾りと、魔法を使えるという何よりの証拠が身分証よりもアイザがアイザ・ルイスだと揺るぎないものにする。
「確かに。どうぞ。ようこそ王都へ」
「……隣の彼は?」
アイザの隣にいるガルに気づいた門番が問いかけてくる。
「彼は……わたしの従者だ」
「はい、身分証」
待ち構えていたようにガルは身分証を提示する。目を通した門番は頷いて「どうぞ」と許可を出した。
どーも、とガルは笑いながらアイザのあとを追いかけた。アイザが振り返りガルを待つように立ち止まった。駆け寄ってくるガルの髪が陽光を浴びて鮮やかな赤になる。
それは、空を彩る虹の赤と、おなじ色をしていた。